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2010年10月19日 (火)

「醒めた炎」について

朝曇りか、今朝も霞んで上空は見えない。7時半気温15.5度。

村松剛著の「醒めた炎」については、2005.12.10以来、何度かこのブログに書き込んだ。
未だに検索してくれる人が後を絶たない。

もっとも「龍馬伝」に刺激されての検索だろうとは思うが、最近特に激しい。

木戸孝允については、既に私の子供の頃から「木戸公伝」という大册が出版されていたし、中学時代にも学校の図書館で見かけたものである。簡単には読めそうにも無いし、読了したことも無かったので内容は知らないが、概ね彼の伝記としては完璧なものだろうと思っていた。

私は偶々地元の図書館で「醒めた炎」という不思議な題名で木戸孝允の副題のついた大册を見つけた。
借りて読むうち、非常にその生涯が面白かっただけでなく、単なる幕末の志士の伝記ではないことに気づいた。

まず一番に出来うる限り虚構をさけて事実を追求したと作者は後記している。だから面白くはない筈である。
しかし事実は誠に奇である。

司馬遼太郎は”逃げの小五郎”などという、面白、おかしい小説を書いて、彼の生き様を酷評している。
維新後は何程の能力も発揮しなかったとは、司馬さんも少しひどすぎる。

彼は苦境の長州で期待され、待ちわびられ、表舞台に立つや彼でなければ出来ない政治動向を作ってしまった。
幕末の薩長同盟しかり、維新後の版籍奉還・廃藩置県しかりである。彼一人の功績と云っても過言ではない。
・まず主君たる毛利藩主をくどいて政権を返上させ、大久保を助けてその意思の無い島津久光を返上に追い込み、他の諸公に右に倣えさせた功績は、他に比類が無い。
鶴の一声とか、生殺与奪とか、絶対の主権を持つ殿様を口説き、承諾させるのである。簡単に想像しうる状態ではない。

政権の一新はこれで初めて出来上がったといってよい、しかも平和裏に実行された。諸侯をなくしなければ民主国家の成立はかなり遅れたことであろう。

西郷が江戸の壊滅を救った、木戸が中央集権政府を作った。
議論はいくらあっても、これこそが英雄の仕事だったと私は思う。
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(平成20年吉田武中尉遺作メモから、今田勇編集著述「ニューギニア戦記」より)(その107)

この河の右岸側は特に基地としての条件を整えている。断崖は切り立って居り,沿岸の水捌けはよくて湿地が少ない。流域の密林の中を1,2m程の小さな地隙が沢山あり,水は平素はないが降雨の時はこの地隙が水の捌け口になった。そして露営するには最適の地形で,天然の壕に入っている様で,敵機の襲撃が自然に擁護されることとなった。

舟艇隊員は2、3人が一組となって携帯天幕を張り分散してこの地隙に露営した。そして更に何処で露営するにしても先ず上空から遮蔽される場所を選び,次には敵の火力を避けられる天然の地形を求めた。この様な条件を満たすことのできる所は、一般的に云って露営する者に取っては健康的には良くないのが通例であるが、この点このプブイ河畔は場所として露営するには好適な場所であった。
この舟艇隊の行動は昼間には寝ていて夜間に行動するのが建前であったが、こんな生活は健康には良くない.為に日増しに体力は消耗して行き神経ばかりが鋭敏になってきた。しかしラバウルからの援軍が到着して以来は,隊員が増えた事で毎日の作業も楽になり,日々の生活にも張りが出て来たようであった。(つづく)
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