« 床下補修工事 | トップページ | 人生紆余曲折あって当たり前 »

2010年10月31日 (日)

昔通信フォーラムというのがあった

台風14号は紀伊沖から伊豆諸島を経て北上し、銚子沖を過ぎた所で熱帯低気圧と化してしまった。
大したことにならなくてよかった。
しかしこの余波か天候はぱっとしない。
今朝も15度の夜明けで、曙光は雲の隙間にちょっと見えただけ間もなく姿を消す。

もう1月もすると今年も暮れの師走となる。
このブログも2005.12.8から書き始めたのだから丸5年になる。改めて月日の早さに驚く。
その時に書いた通り、この日米開戦の日こそ私の運命を決めた日になった。その思いは今も変わらない。

最近は書く材料も乏しくなり、日記をそのまま載せたりしているのだが、当初は張り切って小説でも書く勢いだった。さして教養も才能もない俺だからこんなものだろう。
数々の経験も自分では結構大変だったと感じていても、人から見れば大した変哲にも見えないだろう。
時代が時代だったのだから、当然といえば当然と映る筈である。

ブログが始まる以前に通信フォーラムといういろいろと各自勝手な発言をメールで送り込み、議論を戦わしたり、教わったりするものがあった。私はこのフォーラムのおかげでパソコン知識を身につけた。
その末期に各自がホームページを作り始めて、フォーラムから次第に離れて行き、何百とあったフォーラムは次第に解散に追い込まれた。しかしそのうち共通の広場をということで再びフォーラムに似たブログが考え出され、今はツィッターの時代に進化している。

ホームページは自己の主張を載せ、自己の作品を発表するなど、優れた手段だが、アクセスに頼るだけで、積極的な働きかけは難しい。アクセス手段も簡単ではない。だからブログやツィッターということになった。
私もホームページはあるが、転がしたままでここ数年手を入れていない。死とともにその存在を失うものである。
変化はまことに激しい。この先どんな時代になるのだろう。
  _______________
(平成20年吉田武中尉遺作メモから、今田勇編集著述「ニューギニア戦記」より)(その116)

これは将来性のある若い軍医が事もあろうにこんな絶海の孤島と言える、しかもこの激戦の地へやって来た事への同情でありいたわりによるものであった。
彼の軍服は身にぴったり合っていなかったし、軍刀を身につけて行動する動作もぎごちないものであった。初陣の彼としては当然の事だったが、これは隊員たちにとって問題ではなく彼の医師としての献身的な奉仕に,心底から敬愛の念を抱き心を寄せていたのであった。彼の言葉や動作等は所謂民間人そのものであり,当人としてはまるで勝手の違う戦場生活に戸惑っていたことであろう。しかし隊員たちが訴える病状に付いて,大きな眼を開いて真剣に聞き入る姿は誰もが心を打たれた。
彼は診断、施療をしていない時は傍らで見ている眼には痛ましく思う程に,敵機の轟音に神経を尖らしていた。が、一旦患者に向かい合っている時は丸で別人を見ているようであった。
葛本上等兵が亡くなった時と記憶しているが,手を握って彼の容態を見ていた時、突然キーンという爆音と共に敵機が河口の方から襲撃して来た。あっという間もなく一連の機銃掃射を受け,其処に居たものは反射的に身を躍らせて艇から崖に駆け上がり地隙に逃げ込んだ。(つづく)
   ___________________

|

« 床下補修工事 | トップページ | 人生紆余曲折あって当たり前 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/157907/49893166

この記事へのトラックバック一覧です: 昔通信フォーラムというのがあった:

« 床下補修工事 | トップページ | 人生紆余曲折あって当たり前 »