« 上には上がある | トップページ | 戦争の甘美な記憶 »

2010年10月10日 (日)

お祭りの日

昨日の雨も上がって快晴、清々しい朝。気温も18度ということなし。
部落のお祭りの日で、今年も部落全体で一子供神輿が出るそうな。
子供の少なくなった老人部落だから仕方のないことである。

7時に起きて家の門前をのぞいてみると、隣のご主人がてんがいをつけておられる。礼を言おうかと思ったが、うちの前は家内が昨夕つけたのかもしれず、おはようと声をかけるにとどめる。

明日は体育の日で3連休、またぞろ道路の渋滞が始まってるとか。
27日には尾道ー世羅間が開通するとか、松江までの開通が待ち遠しい。
18の歳に自転車で出雲、松江と回った。それから何度も往復したが、いつも険峻な中国越えの難路だった。
しかしいつの時も思い出に残る懐かしい旅の道であった。

今後は気安くちょっと行って来るかとなるかもしれない。ただ私の年齢がそれを許してくれるかどうか。

子供神輿はあっという間に通り過ぎるように行ってしまった。家内も気づかずに後を追ったようだった。
こうしてお祭り行事は滞りなく終わった。
もうお宮にもうでることもないし、出来る体でもない。
  __________________
(平成20年吉田武中尉遺作メモから、今田勇編集著述「ニューギニア戦記」より)(その100)

突然敵の偵察機が飛んで来て湾口の沖に一つ又一つと吊り星が投下され,湾口付近は昼間の様に明るくなった。密林の樹木の1本1本が見える様に明るく照らし出された。暗夜の海は忽ちにして白昼の海と化し,白波がキラキラと光っている。既に敵は今夜の駆逐艦の入泊を察知していたのか哨戒機は2機、3機と増えて来た.舟艇は息を殺して敵機の動きを見守った。そして、照明弾が海中に落ちて消えるのをじっと静かに待った。照明弾の落ちる速度が何にしても遅い様に感じられた。やっと海没して光が消えるとほっとして敵機が一刻も早く立ち去ることを心から祈った。

突然ゴーゴーという海鳴りの様な音が聞こえて来た.友軍の駆逐艦の到来である。艦影が沖に映し出された。これは悪い時に入港したなと一瞬思ったが,敵機に対しての配意は全くせずに,艇を直ちに沖の駆逐艦に向って発進させた。
最も心配していた明るい照明の下での揚陸作業となった。艦は無事フィンシ港に進入していたが、この艦も敵機に対しては沈黙を守って停泊していた。
直ちに大発艇を駆逐艦の舷側に着け、まず中隊長が艦の甲板に昇り、甲板指揮将校と揚陸と患者の乗艦作業の手順について打ち合わせをした。輸送された物資の揚陸の後直ちに患者を駆逐艦に乗艦させた。防衛庁戦史室の戦史(爾後公開戦史と呼ぶ)によると、約600名の患者を収容したと記録されている。(つづく)
   _____________________

|

« 上には上がある | トップページ | 戦争の甘美な記憶 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/157907/49700752

この記事へのトラックバック一覧です: お祭りの日:

« 上には上がある | トップページ | 戦争の甘美な記憶 »