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2010年10月27日 (水)

カセットテープを捨て今度はビデオテープ

朝7時気温8度に驚く。そういえば今朝方寒くてなかなか床離れが出来なかった。
家内がこれを着ろとセーターを2、3枚持って寝てる部屋に入って来る。それで起こされる。

ぼつぼつストーヴが要るなと思ってた所へこの寒気。決心がつく。
倉庫からストーヴを運び込んだり、カセットテープの残りを倉庫に持ち込んだり一仕事始めることになる。

床下の換気と基礎の補修も29日やってもらうのに、あちら任せには出来ないので、私も潜って確認をする準備をする。鉛管服は捨てたと家内が言うから、代わりの作業衣を探したり忙しい。
家内は危ぶんで、今の体で潜れるのかしらというから、寝転んで這うだけだから大丈夫だよと答える。

朝のうちは晴れてたのにいつの間にか雲が出て空を埋め尽くす。
午後はすっかり朝の寒さに戻る。15度ちょっとしかない。

ビデオテープの捨てる予定のものを拾い上げて、セットして見始める。結構よく写っていて捨てるのは惜しい。
1991年9月に放送されたキャサリン・ヘップバーンとケーリー・グラントの白黒のコメディ映画だ。
彼らの若かりし時代と見え、人違いするほど。
廃棄するのもやはりかなりの決心がいるらしい。

広電へ買い物に行ったが、この寒さでは人出は少ない。
食堂でうどん1杯食ってそうそうに帰宅。
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(平成20年吉田武中尉遺作メモから、今田勇編集著述「ニューギニア戦記」より)(その114)

敵機、敵艦船、現地人のスパイには必要以上に細かい神経を払った。生き残る為にはいくら神経を擦り減らし、また体力を消耗しようともこれを厭わなかった。
飯盒炊爨にあたっては裸火を外に出さない様に、常に夜間にはその火を遮蔽して炊いた。この様に昼は煙、夜は灯りとこれらには万全の注意を払ったが、これが戦場で生き延びる為の最小限度の条件であった。こんな訳で戦友が死亡しても火葬にする事は出来なかった。煙を少しでも出さない様にと浜辺に出て其処に打ち上がっている木片を拾った。白骨の様になっている木片は、木の精が全く抜けているのか火をつけても殆ど煙が出なかった。これを叩くとカンカンと軽い音を出した。何年もの間天日に晒され波に打たれたものは、人骨にそっくりであった。
昭和18年6月以降には中隊本部は対岸のブッシング河の辺りに移動したが9月上旬に第51師団がラエを撤退するまで中隊は依然としてラエ-プブイ-ブッシング-ツルブを大発艇の基地として保ち続けた。その為プブイ河の舟艇秘匿基地は重要な基地としてその役割を十分に果たしてきたのである。(つづく)
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