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2010年10月25日 (月)

日記と記憶

小雨が降り続く。朝7時気温17度。

今ここに連載している吉田武中尉のメモを読んでいると、よくもあの激烈な戦場でこんなに細かに書き残したものだとつくづく感心する。私も同じような環境にいた訳だから、その意思さえあれば書き残せたと思う。怠惰に毎日を過ごしたのかと思うと恥ずかしい。
絶えず移動を繰り返していたし、決まった時間的余裕が無かったせいかもしれない。
いつも筆記具を身辺に携帯しなければならないし、心がけも悪かったのだろう。
カメラは最初いつも持ち歩いたが、現像焼付けの機会が無いので写しても仕方が無かった。後には鞄の底に収まってしまった。

日記などというものは、時間もだが、一人になる場所が無いと書けない。思考も浮かばない。
その差が吉田中尉と私の違いだろう。
私の場合寝ても覚めても伝令が2人身近く同居していた。戦争最中だから仕方が無い。
夢を見るくらいしか孤独な時間はなかった。
それでも百点ぐらいのフィルムネガは最後まで保持していたのだが、捕虜の身体検査の時没収は免れないだろうから予め焼却するよう内命があったので、その通り1枚残らず焼却した。

作戦地への出動前の半年ぐらいの官舎生活中は孤独な時間もあったし、日記や写真整理も出来たが、今度は出動と同時に私物一切を内地に送り返して、米軍の爆撃により家諸共壊滅した。

こんな例は私一人ではなく、全国では無数にあるのでは。
吉田中尉はその点失うこと無く、今日まで残せたのは幸運以外の何ものでもないといえる。

ただ戦記全文には、後日資料を調べて書き加えた文面が各所に見えるから、正確にはメモそのものではない。
その点は私も同様である。
写真を写すように時々刻々と日記を書く訳には行かないのは当然である。
記憶の反芻の間に、正確と思われる資料を投入する。これまた当然の作業である。
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(平成20年吉田武中尉遺作メモから、今田勇編集著述「ニューギニア戦記」より)(その112)

昼過ぎに様子を見に行ったがまだ死亡していないのか,何となく身体に温もりがある様に感じた。勿論意識は全く無くもう駄目だと言われつつ数日がたったが、なかなか死んだとは言い切れない状態が続いた。今までにこの度と同じ状況で亡くなった者が何人かいたが、どう仕様もない事で,「座して死を待つ」といった言葉通りであった。
此の方面に第3中隊が転じてから全員が栄養失調や,マラリヤ等による発熱、そして熱帯性の潰瘍に悩まされ,死亡する10日又は2週間位は口も聞けない状態になった。そして朝な夕なに死生の間をさまよい続けて、ローソクの灯が消える様に死んで行くのがいつものことであった。
そして数日後葛本上等兵は既に死亡していることが確認されたので,遺骨の代わりとして彼の小指を末関節から切り落として携帯燃料の空き缶に入れて遺骨とした。
ここでは僅かでも煙を立てると敵機の攻撃の目標になるので、火葬に付することは出来なかった。一旦煙を出すと敵機は其処を目標にして、その後何時迄も襲撃を繰り返されることとなるので、絶対に一寸でも煙を出してはならないのである。(つづく)
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