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2010年9月14日 (火)

私ののろいのろい作業

うっすらと高曇り、午前6時半気温21度,ちょっとひんやり。
快適な朝である。昨夜遅くまで部屋の中の配置をあれこれと取り替える。

今朝起きるとやはり又少し変更する。4畳半の部屋だから,ベッドあり大きなテレビあり,オーディオ機器、パソコン2台、本棚4、小机と誰でも考えあぐむことだろう。
マア何とか食事時までには何とか決まる。

膝の痛みが再発しない様におそるおそるだから時間はかかる。

昼近くなると日射しが強くなる。窓際は暑い。
しかし風はかなり涼しい,秋は争えないな。

今度の連休に東京の娘が孫共を連れてやって来るという。
敬老の日ということで思い出したのかもしれない。
忘れていなかったことはいいことだ。

家内は布団を干したり,部屋を片付けたり忙しい。
私は書棚の整理に使ってやろうと待ち構えているのだが,応じてくれるかどうか。

今ナットキングコールの歌声がスピーカーから流れている。
煩わしくなくていいな。ジャズでも邪魔にならないのが良い。

今しがた菅さんが小沢に圧勝して、次期民主党代表に決定した。
国会議員票はほぼ半々で拮抗したが、地方票が違いすぎた。
国民の目はごまかせない。利害に捕われる渦中の人々の思惑を超えたところに目が行っている。
政治の向かうところはどちらでも変わらないと思うが、落ちぶれた日本を何とか挽回してもらいたいもんだ。

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(平成20年吉田武中尉遺作メモから、今田勇編集著述「ニューギニア戦記」より)(その80)

3月中は敵機は偵察機の他にはこの地を襲って来ることはなかった。でも、昼間は高空をコンソリデーテッドB24機が毎日の様に,沿岸に沿って偵察をしていたが、その巡回する時刻は大体決まっていた様だ。

フィンシの北方に教会があり,ある日この教会を訪れてみた。留守番の土着の住民がノウノウと手をふって、入るのを拒むので,その訳を聞いてみると次の様に答えていた。ドイツ人の宣教師が拉致された時「必ず帰って来るからそのままにして待って居なさい」といったということであった。この言葉から以前昭和17年の事で、フィリッピンのバターンへ第2次作戦が終わり,マニラ南方のキャビテ軍港に集結してもっぱらコレヒドール上陸作戦準備をしているときだった。何かの連絡でマニラのホテルに行った事があったが、このホテルの1室にマッカーサー将軍の住んでいたという部屋があった。ホテルの管理者はその部屋は日本軍の占領後も開ける事を拒んだという.その後軍が開けて見た所この部屋の隅の机の上に,旧日本陸軍の作戦用務令が一冊開いたままで置いてあったとか聞いていた。丁度フィンシの話がこれとよく似通ったところがある様に思った。(つづく)
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