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2010年9月20日 (月)

敬老会には出ない

昨夜少し雨が降ったらしい。路面が濡れている。
7時の気温23度。大分秋らしくなった。
体の軽さが違う。

子供等が去ってまた我が家はいつもの静寂を取り戻す。
聞こえるはテレビの音と時折の家内のつぶやきだけ。

昨今坂本龍馬の名が喧しい。戦前は私などはほとんど知らなかった。おそらく司馬遼太郎が火付け役だろう。
テレビというのはやはり凄いなと思わざるを得ない。
今やってるドラマは私のイメージとは少し違う。しかし黙ってみてるところだ。本質的なところは変わらないと思っているからだ。

昔は皆大臣,大将を志し、卑賤より身を起こした秀吉、伊藤博文などが目標だった。今とずいぶん違って、理想は高い程よしとしたものだ。従って競争意識は却って少なかったのではないかと思う。

現在は小さい時から受験受験と大騒ぎし、今やオール大学生の時代である。個性を曲げ、誠に馬鹿馬鹿しい。

午前中家内は近所の老人と誘い合わせて町の敬老会に出かける。
私はいつも通り出ない。
こうした行事の楽しさが私には理解できない。

新聞に80歳以上が800万いると出ている。喜んでいて大丈夫なのかと不安である。
中国がまた攻勢を仕掛けてきている。老人ばかりでは戦うことは出来ない。両隣はものすごい戦備を整えている。
いつ火がついてもおかしくない。
竹島も尖閣諸島も強がっても仕方がないのではないのか。
もう私の若かった時代とはまるで別の世界なんだから。
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(平成20年吉田武中尉遺作メモから、今田勇編集著述「ニューギニア戦記」より)(その84)

やがて夜半を過ぎてそろそろ艇隊が到着する刻限になった。お互いに航行中は無線での交信は封鎖することが原則とされていた。これは受発信の状態が極めて悪いからであるが、それでも何か受信出来ないかと漂流しながらもいつでも受信ができるようにしていた。しかし艇隊の方は海峡を越えてこちらの岸に着いてから交信をしようと決めていたのであろうかなんの連絡もしてこない。

夜半過ぎに敵の哨戒機がやって来て吊り星を投下して正面の海峡を照らしながら探索を始めた。この地区のプブイ河の河口及びランゲマック湾には舟艇が出入りしていたので、かねてから敵はこの辺りに目をつけていたらしい。当初は昼間が主であったが、最近では夜間でも頻繁に哨戒する様になっていた。敵哨戒機の哨戒の要領は判を押した様に上空を3回旋回した後に、毎回来た方向と同じ方向に飛び去って行くのであった。艇が暗礁に乗り上げない様に錨を投げ込んだ。急流に押し流されていた艇も僅かばかり錨が効いたのか、艇の流れる速度が緩くなってやっと止まった。しかし錨の効き目は不十分で艇はときどきずるずると少しづつ流されていた。(つづく)
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