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2010年8月 6日 (金)

原爆被爆死者66回忌

原爆の日、彩寧の誕生日、悲喜こもごもといった日である。

昨日から手のひらにしこりが2個出来てなんだか痒くて気になって仕方が無い。

どうして出来たのか思い当たることは何も無い。

足の裏にまめが出来たことは何度もあって、不思議でもなんでもないのだが。

豆というほど大きなものではないが、触ると少し固い。そして痒くくすばい。

まあ、神経質になることもないだろうが。

階下暮らしが身に付いてきたというか、今の所快適である。

気力の回復にも繋がっているらしい。

平和式典の放送を襟を正して見聞きした。国連事務次長やアメリカ大使などの参加は伝えられた通りで,圧巻だった。この式典の意義が一段も二段も向上した。

関係者の努力が称えられる。

世界人民の思いは当然ながら多様である。原爆でなければ制覇できないと思っている国民も大国には多い.痛い目にあわなければ判らない。これらの国にこそ原爆を破裂させたい。

翻って思うのに、平和という理念は最高ではあるが、いまだに実現は不可能だし、永久に実現されることはあるまい。

人類が百億にでも到達したら原爆以上の自壊作用が起きなければと懸念する。

世界はその真っ暗な淵に向かって直進しているのではと恐ろしい。

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(平成20年今田勇編集著述「ニューギニア戦記」より)(その4

太平洋戦争に負けた日本人は、敗戦に伴ってシベリアに送られて苦役させられたり、連合軍の裁判に懸けられて受刑者を出したりした。即ち勝者は自由勝手に敗者を処理して来たのである。そして、この近代戦にあって相手国の遭難者を救助し合った例は極めて稀である。これは今日の戦争に対する考え方からすれば当然かもしれない。それ故に今後の戦争については、今は根本的に考え直さねばならない時代になったのではないかと思う。

   ラエに上陸して船舶工兵聯隊第3中隊の露営地を定め、輸送任務に就く

第81号作戦に失敗しダンピール海峡北口で沈没した船舶工兵聯隊の第3中隊の主力80名は駆逐艦朝雲に救助され、第51師団長中野英光中将の乗艦する駆逐艦雪風と共に、3月2日夜半に他に先行してラエに上陸した事は既に述べた通りである。第3中隊はとりあえずラエ東方約2kmの海岸近くに集結し、海岸正面の整備を命じられ配備について、更に別命を待つ事になった。

この隊は本来上陸作戦を本務とする船舶中隊であるが輸送船に積み込んだ艇は1隻も残らず撃沈された。そしてただ身につけているものは銃剣と3食分の携行口糧のみで、所謂丸裸でニューギニアに上陸したのである。

(つづく)

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