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2010年8月15日 (日)

終戦の日から65年

朝早くから日射しの強い好天気、7時現在気温27度、湿度75%。
8時を過ぎるともうむしむしとたまらない。幸い窓際から風がすべりこむ。それでもたかが知れてるので、やはり扇風機がたより。

終戦の日、私たちは遠く中南支境の山岳地帯をうろうろしていて,何も知る事はなかった。敗戦の厳しさはその数週間後までは感ずることは何もなかった。
それにしても平穏な日本国である。誰が当時この国のこの現実を予想し得たであろうか。

戦には敗れた。しかし営々として臥薪嘗胆,苦難の日々を耐え抜けた。
その成果を今享受している私たち世代にもう悔いは無い。

終戦時生まれたものも65才、戦争記憶を残し,戦争後遺症に苦しむものはまだまだ多い。政府もその対策に手を差し伸べているが、十二分とはいえない。

実戦渦中に居たものは、名利は勿論捨てて国の為命を捨てた。
しかし戦後の世論は実戦体験者に必ずしも好感を持たれているとは思えない。又長い間無駄死にの地位に置かれた。
生き残った私には何も悔いは無いが,共に戦って死んだ戦友たちが哀れである。人間の世の宿命か。
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(平成20年今田勇編集著述「ニューギニア戦記」より)(その54)

隊員は集めたドラム缶をロープで大発艇の艫部に括って曳航したが、これは自動車が道路をブレーキをかけたまま走る事にも似て艇は遅々として進まず、全く速度が上がらない。結局作業は夜明け迄かかることもあった。
更にこれに加えてドラム缶は潮の流れに逆らって流れ、又風の吹く方向によっては思い思いの方向に流れてしまう事が多く、誠に厄介な作業であった。この暗夜の複雑な動きをする海の中でドラム缶を探す事は並大抵のことではなかった。しかし暗夜と言ってもこの南の星空の下は案外と明るく、海上は金波、銀波とまるでいぶし銀のようにきらきらとかがやいている。が、なにしろ缶の先端が僅かに波間に出ているだけで目標が小さく、その確認は誠に難しいものであった。あれはドラム缶だと言って潜水艦の舳先に向って舷側を走り出てみると今ドラム缶だと思ったものは波だったというような勘違いはしばしばあった。

そして、疲れきった頭には何時もドラム缶の幻影が浮かんで来たものである。夜通し海上をさまよって眠い目を無理矢理に開けていると、神経が疲れ果てて瞬きする度に、ギシギシと音を立てる様に感じその上塩を被った瞼が傷んだものである。(つづく)
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