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2010年8月17日 (火)

私の銷夏法

白雲が点々と青空に浮かぶ正に典型的な快晴の秋空。朝6時半現在気温26度。
風少々,涼しくて心地よい。
昨日の疲れは一掃された感じ。

先般来手のひらに出来たしこりは、皮膚の剝ける前兆だったらしい。今は綺麗に剝け取れて,新しい皮膚が顔を出して、すっきりと綺麗になった。昆虫の脱皮だな。
乾癬で年中表皮がはげ落ちて、赤味が露出している我が身にも、こんな部分が残されていたらしい。何でも無い事に却って驚かされる。

正午を過ぎると、天候は一変する。猛暑に堪え難く、風呂場に入り冷たいシャワーを心行くまで浴びる。
若いときなら定めし海や川で寒気がする程潜るところだろうが、この老い耄れにその元気は無い。

夕方にはまた堪え難くなる。シャワー程度ではどうにもならない。
病気を避ける為にはやはりクーラーか。

蟻がここのところ猖獗を極める。珍しく蚊はほとんどいない。
夕方庭の水やりを手伝う。
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(平成20年今田勇編集著述「ニューギニア戦記」より)(その56)

このドラム缶一個には160kgの米が入っていて、これは700人の兵士を一日養う事の出来る量であり、命より大切なものであった。その後当分の間潜水艦によって運ばれて来るドラム缶の揚陸作業は続けられた。

この潜水艦による揚陸作業中敵機の攻撃で破損し砂浜に擱座した潜水艦にまつわる一つの挿話がある。
去る3月3日の第81号作戦のラエ上陸作戦が失敗したために、ラエ、サラモア地区に集結した前線の戦闘部隊は、食糧の補給がまったく途絶えたことによって緊急な事態に陥っていた。ここに苦肉の策として潜水艦による米の輸送が始まった訳である。勿論大がかりではないが大発艇によっても人員、弾薬、糧食等の輸送も並行して開始されていた。
戦闘を本務とする潜水艦が補給船代わりにに使われる事は、海軍として頗る不本意な任務に就かされたと悲憤やるかたない思いであったこととさっするが、これも陸軍の前線での窮状を見るに忍びなかったことと、また軍の作戦推進の全般的視野に立ってもやむをえないことだったのであろう。

18年3月20日、3日に一度の計画にのってラエに糧食等を輸送して来た潜水艦が,予定通りラエ沖に到着し浮上した。第2中隊が当日の輸送を担当し、陽のあるうちにに何時もの様にマーカム河からラエの浜辺に大発艇を回送して潜水艦の到着を待っていた。当日は全く風がなく海面は凄く凪いでいて静かな夕暮れであった。(つづく)
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