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2010年8月24日 (火)

医者通いはつづく

朝6時半、気温26度、灰色の空霧深し。雨の気配は全く無い。

同じ暑さが未だ続きそうだ。

昨日の歯医者だが、レントゲン写真で歯が折れていると言われ,抜く事になったのだが,考えてみると堅いものは食わないし、なんで歯が折れたか心当たりが無い。

寝苦しい晩がつづくから、はぎしりでもひどくしたのだろうか。

そういえば朝起きた時口の回りが異常にしびれていたな。

これ以外に考えられない。副先生が私が歯の表彰状をお届けに上がったことがありましたねと言ったが,あれからもう十年。

丈夫な歯だったのに、老い先極まれりということだろう。

自慢話にはならないと思うが、中支に転戦した昭和19年、揚子江を北上し、石灰窰に上陸して、給食を受けた時、米飯に沢山の砂利が混じっていた。うっかり噛み砕いて歯が欠てしまった。

記憶に残る虫歯の原因はこれにつきる。勿論戦いの最中どうすることも出来なかったのだから。

戦後永年の間に自慢の歯も全部入れ歯に変わった。ただ根は自分の歯が20本以上あるからと80歳の時表彰された。

この表彰状をわざわざ届けてくれたのが、ここの副先生だったらしい。

あれから1本2本と抜かれたと思うからもう過去の夢物語だが。

今日はせいこう外科,毎日医者通いが続き,いやだいやだ。

朝早く行き過ぎてドアの外で待たされる。ほかに二人三人とこの暑いのにはやるんだなあ。

もう痛くなくなったからと言って今日でお通いは終わりにしてもらう。

28日には妹の法事を正覚寺でやると,哲郎が一昨日電話して来た。

この暑いのに用事の多いこと。

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(平成20年今田勇編集著述「ニューギニア戦記」より)(その6

総ての作業は一段落した。ラエ海岸に引き返した私は指揮艇の隊員と共に艦の近くに残り、潜水艦の離州を確認することとした。海岸は今は全く静かになっていたが、艦からに溢れ出た重油は澄んだ星空の下でギラギラと光っていた。

夜も更けて海の潮も次第に満ちて来たようで、最良の条件が整ってきた。副館長は「これから離州します、お世話になりました」と、お互いに手をしっかりと握り合った。私は「無事にラバウルに帰られる事を祈ります」と言いつつ甲板から大発艇に乗り移った。これで潜水艦の離州の準備は十二分に整った。そして、最初の試験的な後進では艦体は微動だにしなかったが、次に乗組員を左右の舷側に移動させながら後進を懸けた所、艦が僅かに動いたと見えたとともに加速的に一気に海中目掛けて滑り込んだ。無事に離州に成功したのであった。陸岸でこれを見ていた舟艇隊一同は「よかったのう」と手を取り合って喜んだ。潜水艦はそのまま沖に向って去って行ったが、その後の艦の状況は全く判らなかった。その後ふとした機会にこの時から数日の後にラバウルに無事帰還したことを聞いたが、今でも荒木大尉と甲板上で固く握手したときの感激は忘れられない。

しかしながらこの陸海軍の力を合わせて懸命に取り付けたドラム缶が、潜水艦の離州にどれほど役に立ったかはわからない。しかし、離州さすという事は、極僅かな浮力、衝撃によって初動がつけば後は惰力でもって容易に動き出すものである。ドラム缶の浮力も6、7缶で1tの力を出すので案外に馬鹿にならない力といえる。

そして戦場での行動に十分だと言う事はなく、如何に協力してもし過ぎるという事も無い。一を得るためには十倍、百倍の努力が必要である。この事はスポーツ、芸術そして仕事にも否万般に通ずる大原則かもしれないと思う。(つづく)

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