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2010年8月21日 (土)

興南大差で優勝

朝8時半せいこう外科に膝の具合を見てもらうために行く。
9時から始まるだけに未だ3番目の外来だった。
40分ぐらい待たされて、診察をうける。
注射を打ってもらい、レントゲン写真も撮られる。
さして異常は無い由。まあ無理して沢山のカセットテープの廃棄処理をしたのがたたったのであろう。膝に掛かる負担が意外におおきかったのかも。
今日は入浴も禁止。すわる事も歩くこともするなといわれる。寝てる以外に無い。

甲子園は決勝戦。
興南高校が沖縄県ではじめての全国制覇を果たす。それにしても東海大相模高校を13-1という大差で破っての勝利、ここぞとなると凄い連打は全員の力が揃っていたということであろう。
興南高校はそのうえ春夏連続優勝という華やかな記録まで成し遂げた。
驚嘆以外に無い。

夕方になるも猛暑衰えず。
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(平成20年今田勇編集著述「ニューギニア戦記」より)(その59)
海面に溢れ出た油を見て潜水艦は恐らく撃沈されたのではなかろうかと語り合った。海岸で荷揚げをしていた所のすぐ近くの浅い海に突然巨大な異様の姿のものが現れた。よく見た所艦艇だろうとは思ったが、今迄このあたりでは見た事のない船だった。次の瞬間大波が海岸に打ち上げて来たが、その巨大な物体は先程沈没したかと思った潜水艦であった。

この潜水艦は戦後の戦史によると伊号167号である事がわかった。当時の館長は田辺海軍中佐、甲板士官は荒木海軍大尉であったことは、戦後に元伊号潜水艦板倉艦長の著書「ああ伊号潜水艦」によって解明された。

私(吉田)は直ちに擱座した潜水艦に接舷して甲板に乗り移り副艦長の荒木大尉と打ち合わせをした。話では田辺艦長は敵機の空襲時に胸部を負傷して瀕死の重傷を負っているようだった。
荒木大尉は言った。「至近弾によって燃料タンクをやられているが、応急修理をすれば動けるので、全力を挙げて離州したい。幸に内部の機関はやられていない」と。そこで荒木大尉に一つの提案をした。「直ちにドラム缶を集め出来るだけ多くのドラム缶を甲板上にくくり付け離州時に浮力を少しでも増やしたがよいだろう」と。
荒木大尉は藁をも掴む思いで、この提案をこころよく受け止めて舟艇隊の協力に感謝した。
星の光に照らし出された擱座している潜水艦の前半分は完全に砂浜にのし上がっていた。各舟艇は直ちに桟橋に急行し、そこで空の重油ドラム缶を積載して潜水艦の場所に引き返した。幸に今日の潮時は今夜半が満潮であり、潜水艦は最も干潮に当たった時に擱座したわけであった。(つづく)
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