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2010年8月 1日 (日)

死んでもタダでは転ばぬ女

朝6時半、雲は多いが東天が白み日射しはやわらかく窓辺に届いている。気温28度,今日も暑いぞー。
夕方からは妹の通夜が決まっている。

檀那寺の正覚寺の和尚さんが友引のお葬式を敬遠したので一日遅れる事になった。
宗教にこだわるとこういうことになる。

私は葬式はしないで,献体しろと遺言しているのだが,家内に任せたので,はっきりした事は私にはわからない。
が、お寺さんは呼ばないで身内だけの弔いにするつもりらしいから安心だ。
もっとも今度の様な突発事故で若い妹が先に逝くなど、当てにはならないが。

昨日の事故は地元の新聞で夕刊朝刊 、そして翌朝早くテレビでもそれぞれ報道されたらしい。
これでは内緒に出来る訳は無い。うかつに派手な死に方は出来ないという事だ。
どうせ死ぬるのだから簡単にと思うし,妹はそれを実現した訳だが、やはり新聞が取り上げたか。

若い時から軍国女子青年で派手に頑張った口だから,名前が残ったとでも思ったかもしれない。
どちらかというと私もよくやり込められた方で、事業に失敗した時などぼろくそに言われたものである。
晩年になってやっと対等になった気がする。

私のブログのファンで、何時も纏めた本をくれとせがまれていたが、これで1冊助かるという事だ。
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(平成20年今田勇編集著述「ニューギニア戦記」より)(その42)

さて辛うじて撃沈を免れた4隻の駆逐艦浦波、敷浪、雪風と朝雲は、引き続いて救助を続行したが、それぞれ4日、5日の両日にラバウル港に帰還した。そして撃沈されて帰らなかった4隻の駆逐艦は朝潮、荒瀬、時津風、白雲であった。次にこの作戦で沈没した輸送船の沈没日時は次の通りであった。
旭盛丸ー2日09:26、建武丸ー3日08:09、愛洋丸ー3日11:30、神愛丸ー3日13:14、
大明丸ー3日16:30、帝洋丸ー3日17:30、大井川丸ー4日09:00
そして防衛庁公開戦史に記録されている、この作戦に参加した将兵の状況を述べると次の通りである。
 全乗船人員ー約7300人  生存者ー約3600人(ラエ上陸者)
 生存者の内内地帰還者ー約1200人  戦死者ー約3700人
そして、輸送船団が全滅した場所は正確に言うとダンピール海峡南口フィンシハーヘン東南方30kmの地点であり、目的地ラエとの距離は所謂指呼の間であった。

そして、この戦闘を連合軍は「ビスマルク海海戦」と呼称した。又この作戦について米軍側は「真珠湾以来の艦船に対する最も壊滅的空中攻撃」といって高く評価しているという。これ以来日本軍の輸送船による組織的な上陸作戦は見られない。
(つづく)
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