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2010年8月16日 (月)

寂しき老人たちの盆休日

家内の慫慂を受けて,少し暑そうだがまあいいかと諾し、岩国に出かける。
大竹のスーパーでお供えするものを買い求め,11時頃になったので、軽く食事をして、先ず田賀の墓参りから始める。
日はかんかん弟りだが,風が強く、火をともすなどという事は全然できない。灯明なしで拝んで去る。

田賀の仏前に詣でて、久しぶりの雑談永くなる。
昼食の時間になってしまって、急遽そうめんを頂く事になってしまう。食事時を避けるつもりが、積る話が長引いて迷惑をかけてしまった。

おばあさんと娘さんを相継いで失った静ちゃんのところに盆参りに立寄る。予め連絡はしてなかったので、突然の訪問となり驚かす。

家内はそれらの葬儀には参列していたが、私は欠礼していたので改めてお悔やみを申し上げる。
妹婿の森重さんもおばあさんの死去の1週間前に亡くなって居り、不幸続きを嘆かれ,同情の涙うるむを覚える。
悪いときはよく重なると古来言い伝える言葉、実際に直面するとやはり痛々しい。
1時間半位お邪魔して,今度は弟のうちに行く。
今年になって始めてではなかったか、先般の妹の不慮の死の時,死体の移動に関わったりして,対面は果たしているから、ひさしぶりというわけでもなかったっが、世間話はあるものである。
1時間位はあっという間に過ぎる。4時、ラッシュに引っかかると大変なので,急いで辞去する。

盆が過ぎれば何処も同じ夫婦二人の家庭ばかり。特に急に家族を失った静子さん夫婦は大きな邸宅を持て余すのではと,要らぬ御せっかいだが気の毒な気持ちを強く抱きつつ後にした。
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(平成20年今田勇編集著述「ニューギニア戦記」より)(その55)

時には夜が明けて来たのでやむなく断念してマーカム河の秘匿基地にすごすごと帰って来た事もあった。またこんな記憶もあったが、舟艇を繋留して露営地に向って歩きながら、明けて行く水平線の彼方を眺めていると、そこにドラム缶らしいものを発見した。直ちに艇を海上に乗り出してそこに引き返す事にした。今から出掛けると必ず敵機の急襲を受けるのは間違いない事と思ったが、当時ラエ飛行場にはまだ海軍のゼロ戦が10数機居たので、直ちに連絡を取って支援を求めた。舟艇は沖に漂っているドラム缶を目掛けて夜明けの海を突っ走った。そしてこのドラム缶は艇に引かれて帰途についた。艇は案外にドラム缶が重いので遅々として前に進まない。全速で走る艇の後尾には白波が立っているが、その割合には速度が出ていなかった。時速3、4kmという程度の遅い速度だったが、なかなか岸に辿り着くには時間がかかりそうであった。

突然敵機が2機低空で襲撃して来たが、艇のものは誰もまだ気づいていなかった。あっという間にバリバリと機銃掃射をしつつ密林の彼方に消えていった。それと全く時を一つにして零戦が一機飛び立って来て、敵機を追って朝靄のかかった密林に消えていった。とどの詰まり何とか無事にドラム缶を陸揚げする事が出来た。

なお、4月そうそうにはこの零戦も他所の基地に転進して行き、それ以来ラエ地区で艇の白昼での運行は全く出来なくなった。(つづく)
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