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2010年8月20日 (金)

再度新京の地図のこと

猛暑はまだまだつづきそうである。
今朝も気温は27度と変わらない。風がないので体感温度は余計に高い。

昔2年半過ごした、冬は酷寒零下30度だった東安今の密山の地が羨ましいくらいだが、世界温暖化の影響で彼の地も夏の気候は変わってしまったかな。

私のブログの検索ランキングを見ると、依然として新京地図が毎日のごとく入っている。ということは新京に縁の深い人が多いという事である。
康徳7年即ち昭和15年(1940)の地図だから、時期から言うと満洲のことを調べるには欠かせない地図という事になる。
ランキング位置の高い事はよく分かる。
5年前長春を訪れたとき、大同大街の旧ヤマトホテルのロビーに陳列してあった地図を¥1000.だったか¥2000.だったかで買ったのだが、これがこんなに評判になるとは思っても見なかった。

昭和15年は私の社会人生出発の年だし、新京はその発足の地だったから、買わんかと差し出された時即座に言い値で受け取ったものだった。

今の時世だからこぴーは簡単である。要望いただければ喜んで差し上げるつもりでいる。
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(平成20年今田勇編集著述「ニューギニア戦記」より)(その58)

最後の乗組員が艦内に入る頃には甲板の近くにまで海水は迫っていた。ハッチを締め終わるか終らないうちに艦は海中に潜って行った。一隻の大発艇はもあい綱が離れずに正に引き込まれんとした時、綱が離れて海面に浮き上がって危ない所で沈没を免れた。がその瞬間艇はもんどりうって海面に叩き付けられたが、正に危機一髪の出来事であった。

気がついた時には既に敵機2機は爆弾の雨を降らして飛び去って行った。この当時の記録によるとこの襲撃を受けた時艦上で作業中の潜水艦乗組員2名が被弾して戦死したとある。海上に残された作業員は直ちに作業を中止して、再度の敵機の襲来に備えて各艇は分散して襲撃に備えたが、暫くしても敵機は二度と上空に現れなかった。

大陽は既に西に沈んでその残照はサラモア半島を真っ赤に染めて早くも空には星がまばらに瞬いているのが見えて来た。
先程敵機の投下した爆弾が確かに潜水艦に命中したかに見えたが、爆弾の投下と潜水艦の水中に潜ったのが同時だった様に見えたので、どうなったのか状況ははっきりとはしなかった。何にしても専任士官の顔は見えたものの話し合う余裕すらない瞬時の出来事であった。
そのうちに海面にむくむくと油が浮き上がって来て、夕暮れの付近の海面は五色の光が揺れ動き不吉な予感に包まれた。

当日4隻の大発艇が作業実施のため出動していたが日の暮れかけた時に海上に集結してお互いの異常を確かめ合ったが、幸にして艇の損害も艇員の戦死者もなかったので、ひとまず海岸に向い積み荷を揚陸することとした。(つづく)
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