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2010年8月14日 (土)

我が家のお盆

長女の家に招待を受けているので、それまでに妹のうちに盆参りに行かねばならず、起きるとすぐから気ぜわしい。

昨日すさまじい交通量を経験しているだけに、順調に広島市内に入って行けるのかいなと気がかりなのである。

広島市の死体焼却場のある尾長山の山裾にある妹宅までうねうねと辿り着く。やはり4,50分かかる。
長男が昨夜中に横浜から帰っていてくれたので、遺骨との対面は果たせた。明日は岩国のお寺に預託するのだそうだ。
簡単には会いにも行かれなくなる訳だ。
もっとも私もまもなく同じ世界に移転するのだろうが、私の思慮では永遠の別れは既に終わっている。
1時間ばかり話したりして辞去し、長女宅に出かける。
予定時間をかなりすぎていたが仕方がない。

曾孫が3人になったから、大分騒がしい。もっとも0才の男児二人は泣き声くらいで、それぞれの親たちが忙しいだけである。
来年となると大変だろうなと思うのだが,今度はコチラが今年見たいに楽に応ずる事が出来るかどうか。

帰りは婿が途中まで車で送ってくれたりして、負担が少なくて済んだ。
終日深い曇天で幾分涼しく、まあまあ何とかお付き合いの責任が果たせて助かった。

新しく仲間入りした新しい家族たちも皆心掛けがよく、和やかな団らんに終始し、心置きなく過ごす事が出来てほんとに楽しかった。
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(平成20年今田勇編集著述「ニューギニア戦記」より)(その53)

潜水艦が少しでも夕刻早めに浮き上がる事があると間髪を入れずに敵機が飛来し潜水艦目がけて突っ込んで攻撃を仕掛けて来るのが何時ものことであった。この日も同様であったが、この時潜水艦はいち早く作業を中断して緊急潜航をした。全く急な攻撃だったので艦上に縛り付けていたロープを切り離す事が出来なかったので、改めて日没後再び浮上してこの作業を続行したのである。潜水艦はこの作業が終り次第に潜航して去って行ったが、海面にはかなりのドラム缶だけが散乱して残っていた。暗闇にドラム缶はその頭を僅かに海上に出してぷかぷかと波間に浮かび、彼方此方へと流されて行く。米を詰めたドラム缶の運搬は毎度一回に20本ぐらい届けられていたので、艇員はこれだけのものを暗闇の海面を目を皿の様にして探し回った。それはなかなかの難作業であった。

このフオン湾の奥まった所には大きなマーカム河が流れ込んでいた。この河から流れ込む濁流は湾の一部を茶褐色に染めていたが、それは河口から数kmにも及んでいた。又この湾内は複雑な地形をしており、海水の流入によって潮の流れが複雑になっていた。為にドラム缶は思い思いの方向に流れて行って、何時も探すのに随分と苦労したものである。(つづく)

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