« 原爆被爆死者66回忌 | トップページ | クーラーの中での暮らし »

2010年8月 7日 (土)

踊らされる国民

朝曇、気温25度とやや涼しい夜明け、でも間もなく蒸し暑さがじわじわと身体に迫ってくる。

ネット報道を見ると、原爆を投下した機長の息子がアメリカ大使の式典参加を非難している。暗に謝罪を表現しているように見えるというわけである。

日本側もどの発言も投下した行為を非難するものは無い。

それなのに原爆の苦しみ、原爆を無くせよばかりを言う。発言の弱さがまことに気になるし、国民の納得、共感を受ける者は何一つ無い。

我々命を賭して戦った草莽を逆なでするようにのんきな発言で満ち満ちている。

こんな式典なんていらない。

真剣に真摯に式典を見守っただけに余計に腹立たしかった。米大使もだんまりで謝罪のひとこともなかった。ただ偵察に来ただけだという感じに見えた。

新聞報道も原爆関係報道で満ち満ちている。戦争中の報道といっしょで大勢に並ばねば損だとばかりの論調である。

私たちは新聞に乗せられた。そして命を捨てた。二度と繰り返したくない。

高校野球始まる。猛暑の最中気の毒な気がしてならない。

見る私の気が弱ってるのかな。

____________________

(平成20年今田勇編集著述「ニューギニア戦記」より)(その4

翌3日夜が明けると師団参謀の篠原少佐から地形偵察に行くから同行せよとの連絡を受けた。先ずラエ地区を俯瞰出来る飛行場の東側台地に登った。底は海軍の警備隊の飛行場援護の対空陣地が築いてあった。陣地は四周360度が洩れなく射撃出来る様に円陣に掘り下げてあるが、掩蓋も偽装網も全くない完全な暴露陣地であった。精悍な顔つきの水兵が四周の上空を警戒していた。眼下にラエ飛行場が見え、その滑走路の末端は海に接している。ラエの街は見渡す限り荒れ果てて人影は全く見えない。台上は敵機の連日の銃爆撃により穴ぼこだらけに掘り起こされていた。守備兵の話では飛行場とここの陣地には毎日何回か敵機が来襲して来るので油断は出来ないという。すぐ前に見える山並みの向こうは敵の飛行場ワウである。

突然対空陣地より激しい射撃音が聞こえて来た。振り返って見ると海の彼方の山波を這う様に乗り越えて、この陣地に向って超低空で襲って来る数機の敵機が見えた。次の瞬間陣地帯を覆うような猛烈な射撃に見舞われた。一瞬の事身を隠す暇も無い激しい攻撃である。土石に打ち当たる激しい機銃の弾着音に続いて敵機の地軸を揺るがす爆音と爆風にただその場に身を伏せるのがやっとであった。薬莢の降り注ぐ音を残して、敵機は急上昇して林辺の彼方に消えて行った。平穏なラバウルから来てこの東部ニューギニアの前線の激しさを、我が身に叩き込まれたように感じたのはこの時であった。

(つづく)

   _______________________________________

|

« 原爆被爆死者66回忌 | トップページ | クーラーの中での暮らし »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/157907/49082814

この記事へのトラックバック一覧です: 踊らされる国民:

« 原爆被爆死者66回忌 | トップページ | クーラーの中での暮らし »