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2010年8月28日 (土)

妹との最後の別れ

8月28日(土)晴れたり曇ったり

暑気相変わらず。

妹の満中陰の法事が正覚寺で極近い親族だけ呼ばれて開かれる。

暑い暑いの繰言ばかりが絶えない。それでも本堂はクーラーが利いていて文句は言えない。

先祖の倶会墓に無事納骨される。

嫁として他家に入り切ったわけである。

なんだか苗字が違うだけに少し縁が遠ざかった感じがしないでもない。

長い年月の間には、嫁ぎ先が間違っていたと私たちの母といさかいする場面もあったことを思い出す。

母が無理やり行かせたわけでもなかったろうが、多少の不満を乗り越えて70年よく辛抱したと賞賛せざるを得ない。

何よりよき後継者に恵まれたことは女親としての一番の功績だろう。

宿命とはいえ女には男と違った生死のあることを今更のごとく思わざるを得ない。

写真は妹の最近の元気な姿

Photo

今日は朝早くから、ごそごそせざるを得なかったせいか、膝の痛みがひどくなる。

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(平成20年今田勇編集著述「ニューギニア戦記」より)(その6

「ああ、堂々の輸送船」と歌に歌われたには開戦初期の事であって、中期以後にあってはどの作戦でも輸送船は連合軍側の格好の餌食となっていた。

第8方面軍今村司令官は、北岸のツルブ駐在の歩兵第66聯隊とその他の部隊を、5月中旬から約1ヶ月のうちに大発艇を総動員して海峡を横断してラエに投入する方針を決めた。

当時ツルブ以西において大発動艇で稼働しうるものは40隻足らずしか居ない有様であった。そしてラエ、サラモア方面は主として船舶工兵第3聯隊の鵜飼中隊、ダンピール海峡は船舶工兵第8聯隊吉田中隊が主軸となって担当する事になった。この海峡横断には石原後に原小隊が(隊長共に戦死)特大発動艇をもって参加した。

大発動艇は目標が小さく海峡や沿岸の航行輸送には最適であり、友軍の期待を担って連日、連夜敵機や敵潜水艦又は魚雷艇の攻撃を受けながら・ラバウルーツルブーブッシングーフィンシハーヘンーと接岸航行をしつつ海峡を渡り、兵員の輸送と患者の後送にと全力を注いで任務を果たした。その一部ではニューブリテン島の南側を廻って輸送する艇隊もあり、その延べ距離は7800kmに及んだという。(つづく)

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