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2010年7月13日 (火)

大雨洪水警報

凄い雨音に驚いて目覚める。ラジオが此の地方に大雨洪水警報が出ていると伝えている。
我が家には心配は無いが、この付近は山裾だし、なんどか雨の被害を受けているので、そちらが心配だ。

寝たり起きたりの怠惰な暮らしだが、それが出来るという事はやはり幸福である。
が、そとはザーザーと気にしないで済む様な音ではない。
ちょっと窓を開けても湿風が舞込んで,面も向けられない。

午後4時早くも日暮れの感じ。とばりにあたりはすっかり包まれる。
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(平成20年今田勇編集著述「ニューギニア戦記」より)(その26)

人は平素から分かっている事でも実行する事はなかなか難しい。時に目の前の惨状に幻惑されるものである。先に勝手に早く海中に飛び込んだ兵士たちは見る見るうちに本船から遠ざかっていってしまった。

  旭盛丸の最後・・・・海上に退避する
30分くらい経った頃船長が巡回してきて、機関室に火が回ってきたのでエンジンが爆発する恐れがあると伝えにきた。既に下船準備の命令が出されていたので、中隊員は銃を斜めに担い、雑嚢に最小限の食糧(乾パン)を入れていた。三人一組のグループを作り、各組は乾パンの空き箱で作った浮きを持って舷側の近くに待機した。
船は殆ど停止していた。「退船用意」の命令で兵士たちは先ず乾パンの箱で作った浮きを投げ込み、次いで携行糧抹や乾燥野菜の入った缶,ブイ、竹材、予備の浮き胴衣等あらゆる浮くものを投げ込んだ。
本船付近の海面は多くの浮遊物が散乱し、暴風雨の過ぎ去った後の港の中のようであった。
輸送指揮官の「全員退避」の命令で一斉に海に飛び込み始めた。

舷側に吊るされていた救命ボートが海中に下ろされていた。下半身を打ち付けて半身不随となっていた中村軍曹が戸板に括りつけられて運ばれてきて、そのまま舷側からロープで吊り下ろされ救命艇に収容された。この様に重傷者はすべてロープや戸板で吊り下ろされたが、無傷のものは自分で、舷側に吊り下げられたロープを伝って海面に降りて行ったのである。
戸板で降ろされた中村軍曹は当夜ラエに揚げられたが、3月7日に死亡した。
(つづく)
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