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2010年7月21日 (水)

生きている疲れ

昨日は病院で3時間以上も待たされたので、余程疲れたらしく朝までぐっすり眠れ、食事を終ると又2時間眠る。
よく考えると寝るのも疲れるらしく、起き出てもまだあくびなど連発してすっきりしない。
どうやら生きてるだけで疲れるらしい。

今日も外はかんかん照りだ。風があるので助かる。

ダビングした20年前の上海旅行を眺めながら、元気だった友の在りし日の姿を偲ぶ。時に目頭が熱くなる。
もうどうにもならない時が来たのだと感ぜざるをえない。
20年なんて一瞬だったなあ。

昨日は近所の老人の保健を担当して居られる方が見えて、いろいろ保健施設を利用する様に勧めて帰られる。
試しに言われる事を聞いて覗いて見ようかなと心が動く。

東京の娘からは何の連絡も無いが、もう帰っているだろう。楽しく目的が果たせたかどうか、要らん事かも知れないがちょっと気にかかる。
20年前のビデオでも凄い人のラッシュだったが、当時の何倍にもなってるのだから、正に想像を絶するものだったろう。
もっとも東京、大阪、名古屋などに住み慣れているのだし、パリにもローマにも家内を世話をしながら旅をした経験者だから、改めて聞けば、これ位問題ないと云った素知らぬ答えが還って来るのだろうが。

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(平成20年今田勇編集著述「ニューギニア戦記」より)(その34)

艦上には沢山の兵士の姿も見られ、海面は忽ち騒々しくなっていった。そして、艦は微速で接近し直ちに中隊の分隊員の手で折り畳み舟が泛水されて救助作業が始まった。救助舟の折り畳み舟はそれぞれの駆逐艦に各中隊の小隊長又は古参分隊長の指揮する一個分隊の手で、予め6、7隻宛搭載されていたのである。
泛水された折り畳み舟は近くに漂流する兵士たちを手当り次第に収容しては駆逐艦に運んだ。また海中にいる兵士たちは一斉に駆逐艦を目指して泳ぎ始めた。
彼等の海水を含んだ被服は重くなって居り、勿論自力で舟に乗る事は出来ない。そして救援舟の乗組員に両方から抱えられて舟に引き揚げ収容されていた。
絶対に浮き胴衣を外しては行けないと言われながらも、早く舟に泳ぎ着きたいと脱ごうとする者も居た。そうこうするうちに30分余りで殆どの兵士が救助された。

舷側の高さが僅か3、40cmの折り畳み舟でさえ単独では乗り込めない。装具は海水をたっぷり吸い込んで居り、更に衣類と身体の間に海水が入って更に重くなっていた。救助員が両側から手を差し伸べてバンドに手を掛け、1、2、3のかけ声とともに舟に引き込む。引き込まれた兵士はやっとのことで舟の中に転げ込む。要領の悪い者はなかなか転げ込めず、何回も1、2、3を繰り返すが、そう簡単には舟に乗り込めない。普段の様に海水浴場でボートに拾われるようなわけには行かない。かなりの時間をかけて全員がやっとのことで艦上に人となる事が出来た。
幸いにこの間に敵機、敵潜水艦の攻撃がなかったことは幸運だった。
(つづく)
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