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2010年7月17日 (土)

民主党も一騒動あるか

珍しく高曇りの朝,6時現在気温24度。青い空が点々と見える。今日は暑くなりそうだ。
寝苦しい夜が続く様になって、目覚めの体調が良くない。

ここにきて、前原国交相が小沢の説明責任を果たせと言い,枝野幹事長は離党勧告を辞さないなどと言い出した。
民主党の大敗は小沢の責任だという訳。くるくる変わる世の中である。
民主党の分裂はもはや避けられそうにない雲行である。

朝9時、かんかん照りになる。
ぼつぼつ梅雨が明ける頃ではあるが。

間もなく昼のニュースで梅雨明けの気象庁宣言が出たと伝えている。思いつきが偶然当たった様だ。
しかし照り返しと蒸し暑さは凄く,もうこの部屋を明け渡したくなる。

半藤一利の「幕末史」という本を昨日買って来て今日一日掛けて読んだ。
著者本人が言う様に,反薩長史観に立ってもの言うと言ってる様に、幕府よりの論議が多いが,講談調で結構面白い文章である。ただ、時に坂本龍馬は大久保の使嗾によって佐々木只三郎が殺したとか,孝明天皇は女官の誰かが筆にヒ素を塗って毒殺したとか、面白くするのはいいが、行き過ぎた論調も多く頂けない。
噂として伝えられてはいるが、彼程の歴史家が、その様に自分も信じているというに至っては何おかいわんやである。

小さい時から薩長憎しと育てられたという,長岡生まれの父の薫陶のせいだという。
それにしても妙な思い込みをするものである。こうして歴史は曲げられて行くものだろう。
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(平成20年今田勇編集著述「ニューギニア戦記」より)(その30)

   海上に退避し,隊員を捜しつつ漂流する
旭盛丸の沈没した時刻は午前9時16分と陸幕公開戦史に載っているから,被爆してから沈没する迄1時間10分浮遊していたことになる。四周には陸地らしい姿は見る事が出来なかった。

然し乍ら海に浮かぶ一同にはこの先生きて行く自信があり,浮いていれば必ず助かるだろうという安易感があった。むしろ船上に居る時より海中にある方が安全と思っていたのだ。
もし船上に居たとすると,此の船に対し敵機、敵潜水艦の間断の無い襲撃に神経を尖らしていなければならないが、太洋の中に点々と浮いていれば,ここの隊員はただの豆粒くらいにしか見えないので,最早敵の目標にはならないだろう。敵の目標としているものは遠く離れて行った船団であり,太洋に浮かぶ漂流者ではないという安堵感であった。恐らく輸送船団は引き続いて攻撃を受けながら進み続けているだろうと思っていた。結局当日沈没したのは旭盛丸ただ一隻であった。大陽が中天に昇った時敵機が一機低空で接近して来たが,恐らく旭盛丸の沈没を確認に来たのだろう,我々には攻撃を加えて来なかった。

漂流者一同の気持ちに余裕が出てきて,互いの縋り付いていた浮遊物を引き寄せ,細い携帯用のロープで繋ぎ合わせた。そしてもし敵機が攻撃をしかけて来た時には此のロープを緩めて海中に潜り込める様にも工夫した。救助の艦艇が来てくれるのは恐らく夕刻だろう。敵機が飛び去ってからだろうから相当長時間海中で頑張らなくてはならないと考え、それまで体力を消耗しない様に気を配った。
(つづく)
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