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2010年7月24日 (土)

スイスの列車事故

連日好天気がつづく。今朝も26度、湿度はやや下がって66%。蒸し暑さはほとんど変わらない。
スイスで列車の脱線事故があり、日本人数十名の死傷者が出たらしい。数年前家内等が利用した旅行社のツアー客も含まれているとか。事故に遭ったものは勿論大変だが、主催した側も大変だなと思う。
私も先般の国内旅行で怪我をして保険金を沢山頂いて、所得税がかかりはしないかと心配している位だが、今度の事故は補償金も大変だろうなと、余計な心配を起こしたりする。

それにしてもスイスのこの列車1列車に百何十名も日本人が乗っていたという。日本は不景気ではないのかといいたくなる。

応接間の敷物を取り替える。老人二人でえっさえっさと大事である。生きてる事は食うだけではない。
暑い盛りにやる仕事ではないな。

熱中症患者がうなぎ上りらしい。特に老人が弱いという。家内がせっせとお茶を呑ませる。水分補給が一番大切な予防法だといいながら。

家内の眼は眼球が脆弱で白内障の手術も出来ないのだという。もっとも片方だけらしいが、当人で無ければ分らない事だが、不自由だろうな。好きな旅行もし辛くなるだろうし。

上海旅行の印象は20年前と一緒で、人の混雑が一番だったらしい。万博にも一日出掛けたらしいが、東京に居る人間には目新しい事は矢張りなにも無さそうである。

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(平成20年今田勇編集著述「ニューギニア戦記」より)(その36)

輸送船団は翌3日の夕刻にラエに上陸するために依然として航行を続けていた。
駆逐艦雪風には第51師団長中野英光中将の他司令部員が乗船していたが、旭盛丸が撃沈されたので急遽方針を変更し救助された旭盛丸にに乗っていた船舶工兵隊の800余名と共にラエに急行することとした。旭盛丸には歩兵第115聯隊の西川大隊長以下1316名の各兵種の将兵が乗っていて、朝雲に救助された者は819名であった。駆逐艦の甲板はもともと部隊の兵員を乗船させる様に作られていない。戦闘を主眼として軽快な行動が出来る様に設計して作られているので、この駆逐艦には部隊や人間を乗せる余裕など全くない訳である。従って甲板上の砲の蔭、煙突の側、階段や通路の一隅とか、ありとあらゆる場所にずぶぬれの陸兵が踞っている。そして被服に含んだ海水は何時迄も滴り落ちていた。

全速で走る駆逐艦には台風並みの風が当たる。この疾風は人の体温を奪い取り、夜気は湿気を含み身体を芯から冷やし、塩分を始めとして皮膚を刺す。耳をつんざくばかりのエンジンの轟音に遮られて只一人として話し合う者はいない。ただ黙々としているのみであった。
水兵たちは忙しそうに足取りも軽く行き来しているが、乗っている陸兵たちには為すべき事は何もなく、只艦の行く所に身を任せる以外にどうする事も出来ない。

大陽は既に沈み暗夜の満天の星空のもと、艦はダンピール海峡を全速力で南下して行った。我々は船舶工兵でありながら一隻の艇もなく、全力をかけて整備した舟艇は全没して艇なき船舶工兵となってしまった。あれを考えこれを思うとき今後の事が思いやられる。やがて上陸地ラエが近づいて来た。
(つづく)
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