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2010年7月23日 (金)

大暑

熱帯夜変わらず。今朝は27度の夜明け。
家内予約している記念病院に8時半出掛ける。広電駅まで送る。
ちょっと動くともう流汗淋漓。

寒い時期には夏が待ち遠しかったが、良かったのは5、6月の初夏だけ、今となってはもういけない。
冬よりもっと身体が重くなった感じすらする。

アルゼンチン蟻も活動し始めた。今朝も机に寄ってると足元に噛みついて来る。痛いのに驚いて潰す。
夏も良いこと無いなあ。

昼近くベランダからの熱気が凄い。もう30度を越している。そよとした風も熱気を含んで却って暑さを増す。
新聞も暦通りの『大暑」と書いている。今度は全国くまなくらしい。
やはり裸になってシャワーを浴びる事にする。

午後1時近くなって、煮えた様になって家内が還って来る。
路面は50度くらいになっているだろうと喚く。よほど暑さが頭に来たのだろう。
体力が落ちると負担が大きくなる。仕方ないな。

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(平成20年今田勇編集著述「ニューギニア戦記」より)(その35)

駆逐艦に上がって見渡すと海面には全く人影は無くなっていた。時間的に余裕があったので兵器を引き揚げることになった。これは本船には山砲2門が積んであったが、遭難した時に沈まない様にドラム缶を3缶縛り付けておいた。
幸いにしてこのうちの一門が海面に浮かんでいた。三砲小隊長の意見を聞いてこれを引き揚げてニューギニアまで運ぶということになった。やがて山砲は舷側に引き寄せられ沢山の兵士を集めこれにロープを掛け、掛声もろとも艦上に引き揚げた。この後この山砲はニューギニアの前線に運ばれて、大変に貴重な武器として活躍したという。

艦上で中隊の兵員の点呼をした時は既に夕闇も迫り薄暗くなりかかっていた。
海上に浮遊していた将兵を救出した駆逐艦の朝雲と雪風は総ての救出が完了した後、一直線に暗闇のダンピール海峡に突入してニューギニア島のラエに向って急いだ。夜半にラエに到着して全員無事に上陸した。

船舶工兵第8聯隊第3中隊は吉田中隊長以下123名が旭盛丸に乗り込んでいたが3月2日最初の第一次の敵機の来襲攻撃によって沈没、海中を漂流した後駆逐艦に収容された者は89名であった。福地准尉、浜田曹長以下35名は敵機の襲撃によって亡くなり、その他一部の者は漂流中に亡くなったが、結局上記殆どの者が船上で戦死し輸送船と運命を共にしたということになる。

漂流者が駆逐艦に収容されたのは、薄暮の迫った時刻であった。救助された中隊員は二隻の駆逐艦と共にそのままラエに直行し上陸したが、漂流時のままの丸裸に近い姿であった。
(つづく)
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