« 参議院選挙戦酣なれど腹決まらず | トップページ | DVDアルバムを又作る »

2010年7月 2日 (金)

東部ニューギニア戦記佳境に入る

朝6時半霧深し,視界混迷して本日の天候いかなるや占う能わず。
気温25度。

窓は開放したまま眠ったのだが、室温29度と熱気がこもって蒸し暑い。湿度70%。
時々雨がちらつくが本降りにはならない。
相変わらず寝たり起きたりしながら,聞くとも無くDVDの音楽を楽しむ。
自分で録音したものでも時折珍しくいいなあと聞き惚れる瞬間もあったり。

  _____________________
(平成20年今田勇編集著述「ニューギニア戦記」より)(その15)

26、7日の両日で総ての搭載を終わり,最後の乗船部隊を陸岸から輸送船に送り込んで全搭載が終わった。
第3中隊は吉田中尉以下の主力が旭盛丸に乗り込んだ。この船には第115聯隊第3大隊(西川少佐)の主力や高射砲隊が乗船した。
その主なものは
人員・・1316名  大砲(15榴)・・2門  高射砲・・3門
速射砲・・2門  山砲・・2門  大隊砲・・2門  車両・・20台
大発動艇・・4隻  軍需品・・2000立米  その他空ドラム缶・数十本
を積み込み,甲板上の大砲には沈没時に浮くようにドラム缶を縛り付けた。
ありとあらゆる浮遊物は甲板上に配置した。総ては沈没を前提として準備をしたのであった。そして積み込んだ山砲のうち1門はドラム缶3個が縛り付けてあったため,沈没した時海上に浮き残り,駆逐艦に引き揚げられラエまで運ばれた。恐らくこの大戦にあって遭難時に砲を拾い上げた例は他にないのではなかろうかと思う。このようにして準備は進んで行ったのである。

今回の上陸作戦では特に指揮官以下遭難時の研究,訓練は真剣であった。
船舶工兵第8聯隊は緒戦以来,釜山ーサンジャック(仏印)ーシンゴラ(タイ南部)ーシンガポールーリンガエン(フィリッピン)ー大連ー釜山ー宇品ーラバウルと常に輸送船のお世話になった。
航行延べ移動距離も1万kmに及び,100余日の輸送船上の体験をして今日に至っている。しかしながらこの間遭難時の対策は起てては来たが、今日まで一度も遭難の経験はしていなかった。
(つづく)
   __________________________

|

« 参議院選挙戦酣なれど腹決まらず | トップページ | DVDアルバムを又作る »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/157907/48775623

この記事へのトラックバック一覧です: 東部ニューギニア戦記佳境に入る:

« 参議院選挙戦酣なれど腹決まらず | トップページ | DVDアルバムを又作る »