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2010年7月 1日 (木)

参議院選挙戦酣なれど腹決まらず

靄に包まれた空に変わりはないが、淡い光がもやを通して地上に達し、山野は明るく映えている。
早朝の気温24度。何時もと変わらない。

参議院選挙運動の声が日に日に高まりつつあるのだが、老人の私にはどうしたらいいか迷いばかりが高まる。
誰がやっても同じだなとは何時も思う事だが、日本そのものの国力が低下したお蔭か、生活は苦しくなるばかりである。
私などはまあまあ税金も払えるし,食うに困っている訳でないから好しとしなければとは思っているが,その税金にしても年金所得だけで十数年も暮らしていて,収入は同じでも税金は5倍にも6倍にもなっている。その他の掛も並みではない。
庶民にははっきり税金の取り過ぎだとの感覚がある。それにも拘らず国家は借金だらけで何時国がつぶれるかと心配が絶えない。
だから消費税を倍にするという。ますます国民は金が使えなくなる。不景気はひどくなるばかりだろう。

こんな時どこを選べというのだろう。政権に関係ない政党を選んだところでどうしようもないし、いっそヒットラーの見たいな独創的な指導者がいないものかと思ったりする。
しかし見渡したところその萌芽すら見当たらない。
誰も彼も迷ってるのと違うだろうか。

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(平成20年今田勇編集著述「ニューギニア戦記」より)(その14)

この船団は丸3日かけて直線距離にして600kmあるラエに行き着く計画であったので、近代戦というにはほど遠い,余りにもかけ離れた戦争と言える。とは言っても当時なけなしの船を掻き集めて実施したのがこの作戦であった。今から考えてみると,標的を流しながら敵のただ中に飛び込む行動であったかもしれない。
これらの輸送船へ26日早朝から搭載を開始した。搭載は概ね揚陸の逆順で実施する。1ヶ師団の人員及び軍需品その他はある程度制限されていたが,相当の量になっていた。
主要な品目は次の通りであった。
人員・・5916名  軍需品・・6500立米  弾薬・・740立米  燃料等・・750ドラム
その他・・1500立米  大砲(口径10)・・33門
これらのものがそれぞれ輸送船に分載された。
そしてどの船が撃沈されても人員その他の損耗が片寄らない様に各船に配分された。

上陸作戦のための揚陸には大発動艇が使用されるが、この度は全部で38隻が各輸送船に分けて積み込まれた。そして小発動艇及び折り畳み舟(ベニア板製)はそれぞれ駆逐艦に救助用として分けて積まれた。

この大戦の前半の作戦には優秀なディーゼル船が第一線の上陸作戦には使われた。
それぞれ15、16ノットが出る足の速い輸送船であった。以前は「ああ堂々の輸送船」の歌の通りの華やかなものであったが、今回はそんな光景ではなく屠場に引かれる牛のような感じであった。昼間は敵機の,夜間は敵潜水艦の襲撃が何時来るか何時来るかと待っていたのであった。
兵士たちの間ではこの度は何処まで行けるかが話題であった。我々舟艇隊員は輸送船に乗ってるときが一番不安な時であった。敵機、敵潜水艦の襲撃に対して何らなす術が無いからである。如何に小なりといえども、大、小発動艇に拘らずこれに乗って行動している時は,敵機、敵潜水艦の攻撃に対して心の不安はなかった。
これは駆逐艦乗組員が艦に乗り、陸上部隊の将兵が陸に居るのと同じ気持ちだろうかと思う。
(つづく)
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