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2010年7月30日 (金)

突然妹死す

昨夜8時20分、岩国警察より電話が入り、田丸の妹が交通事故で救急車で国立病院に搬送されたと知らせて来た。すぐ行く準備を始めたのだが、近くの幸雄に何故連絡しないかと聞くと電話が通じないという。改めて私が掛けても弟は出ない。仕方がないので娘に電話して連れて行ってもらう事にしたのだが、婿が何かの会合で酒が入っているからと車の運転を断られる。
仕方がないから汽車で行こうと準備を始める。

今から出掛けるからとこちらから警察に電話を入れたところ、今度は弟のところと連絡がついて、既に弟が病院に出かけたから良いですとの返事だった。

そのうち弟から電話が入り、妹は既に大腿骨折と頭もやられて意識を失ったまま9時13分亡くなったと伝えて来た。哲郎君にはすでに連絡して葬式は広島でするからとのことで時間などは分らないとの事であった。
後はもう連絡を待つ以外に無い。

後に聞くと担当医師から直接哲郎君に電話で詳細な病状の説明があり、その死を了承したとの事であった。

全く思いも掛けない突然のあの元気な妹の死であった。
直前まで農作業をしていたらしく、暗くなって多田の家を出て、新幹線口に歩いて向っていたのであろう。
7時半通行車両にはねられ、救急車で国立病院に運ばれたが、もう気がつく事はなかったらしい。
百までは生きるだろうと安心していた程元気だったが運命は分らない。神は強引に寿命を取り上げてしまった。
私と2年と1日違いで,満88才を超えていた。農業を楽しみに田舎まで新幹線で往復して倦む事を知らなかった。
何度か一緒に旅をしたが、その元気さは忘れられない。

今回警察からいち早く兄弟の私たちや横浜の息子や東京の娘にまで電話があったことが不思議でならなかったが、妹の所持品には健康保険証はもとより、緊急の際の連絡先など細かなメモを、沢山な携行品と一緒に身に付けてことがわかった。
えらいやつだなあと改めて感心する事しきりであった。
一人暮らしの危険を十分承知の上、油断無く日々暮らしていた事が窺われて、やはり賢い奴だったなあと認識し直しているところである。

すぐ後から追っかけるから待ってろよと、土色に変わった厳しそうな顔に語りかける私だった。
兄の私を差し置いて、死を自ら求めた様に急ぎ逝った彼女に今更言う言葉は他になかった。

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