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2010年7月18日 (日)

娘等の上海旅行

やっと青空が大きく広がった。気温24度。
朝はまあまあさわやか。
昨夜は蒸し暑くてどうにも我慢出来ず,1時間ばかりクーラーのお世話になる。
11時頃タイマーを入れたのだから,お蔭で布団を被ったまま朝までぐっすり眠る。時には文明の利器も利用しなければ仕方がない。

長雨のせいか夏みかんの実が沢山落果した。残った実は大きいものは3,4cmもありそうだ。去年は40個なったのだが、今年は百個もなれば良いがどうだろう。
人でも物でも成長を待ち望む心境は楽しい物だ。

東京の娘が連休を利用して,友人等と上海観光に出掛けている。孫等に手がかからなくなって、羽を伸ばしたくなったのだろう。同級生の男性も交えてというのだが、世の中も変わったものだなと思わずに居られない。
それにしても私たち夫婦が始めて上海に出掛けたのは丁度20年前になる。昨年亡くなった横山君の誘いで一緒に日中友好協会のお世話で行ったのだったが、その後上海は随分発展してまるきり様子が変わっている由。
横山君は友人などが居た関係上何度も訪れているが、私たちは中国は何度か訪れたが、上海はゆっくり落着いて見物した事はそれ以後無かった。
万博は見る予定は無いといってたが、過密都市無事に目的が果たせるかどうか。

今日は立ちくらみが激しい。何でも無い時にふらっとやってくる。嫌な気分だ。
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(平成20年今田勇編集著述「ニューギニア戦記」より)(その31)

体が冷えて来る、両股を支えている紐を締め直す。入水して暫くは大声を上げて互いに呼び合い又軍歌等を歌っていたが,今はその元気等も既になく互いに話合う元気すらない。それぞれに今後の成り行きを考えているのであろうか、どう考えても答えは出ない。皆そういうことは分っていながらも、繰り返し同じ事を考えているのだろう。大陽もどうやら傾き始めたので、もう救援艦もやってくる頃だろう。今は敵機からも見捨てられたようで、もう7、8時間近く海中を泳いでいることとなっている。                                                                     
このまま夜に入ってしまったら、仮令救援の駆逐艦がやってきても我々を発見することは難しかろうと思った。                      

水平線近くに垂直に紗幕を垂らしたようなスコールが見えて来たが、随分と遠くこちらまでとてもやって来そうにない。

中隊本部の浜田曹長は海に入った後も中隊員の掌握に努めていた。平素から生真面目で堅物だということで通っていた。34、5歳と思われる召集の下士官で、色の黒い頑強そうな身体と鋭い目つきの持ち主であった。ご面相に似ず心は至って優しく気のよく着く人柄であった。口数も少なく寄り付き難い風貌をしていたが部下からは大変信頼されていた。船舶兵として召集された者の中には泳げないものも居たが彼もその一人であり、どちらかといえば頑強な彼も水には弱かったのであった。そして、私は彼が泳げない事は以前から知っていた。
(つづく)
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