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2010年7月15日 (木)

病院通い

午前6時起床、気温23度、軽い雨音。
7時半家を出て広島総合病院に行く。勿論1番目の診察。やはりチガソンを又呑む事になる。
いろいろ試されるわけ。この病気はリウマチと一緒で治る病気ではないのだから。

雨がひどいせいか外来が驚く程少ない。はやばやと病院を後にする。

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(平成20年今田勇編集著述「ニューギニア戦記」より)(その28)

副中隊長の寺田中尉がやってきて、中隊員が全員退避したことを中隊長に告げた。
二人で船橋のタラップの下に腰を下ろし、寺田中尉が煙草を取り出してそれに火をつけて差し出した。二人は無言のうちに思いっきり煙草をふかした。

船は完全に停止していたが、船上には兵士の姿は全く見られず四周の海上には点々と漂流者が浮かんでいた。もう敵機の姿はなく、打ち上げた砲弾の名残らしい砲煙が薄雲の様に高い空に残っていた。ハッチ内の砲弾の破裂音もまばらになってきた。その時船長が走ってきて「もう危ない」と叫んだ。よし、行こうかと二人は腰を上げ、煙草を投げ捨てて右舷の欄干を越えて寺田中尉と共に一挙に海上目がけて飛び込んだ。これで二人も海上を漂流する仲間となったのだ。
飛び込む前に船上から中隊本部員の位置を確認して,其処に飛び込んだにも拘らず,一旦海上に入ると見通しが悪く皆目見当がつかない。何はともあれ沈む本船から離れる事が先決である。浮き胴衣をつけていると思う様には泳げない。

やっと本船から7、80mばかり本船から離れる事が出来た。大声で呼び交しているうちに中隊本部のグループを発見して,辿り着いてやっと彼等と一緒になることができた。

此の時、振り返って本船を見ると船首を海中に突っ込んでいた。次の瞬間船は逆立ちとなって船尾が水面に立ち上がり、やがてするすると海中に消えていった。
旭盛丸は実に他愛無く沈んで行ったが,暫くして水中を通して腹にずしんと衝撃があったが、これは船が海底に着いた音であろう。と海上に水しぶきが揚がり,暫くして海底から砲弾の破裂する振動音が思い出した様に伝わってきた。味気ない本船の最後であった。
(つづく)
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