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2010年7月 4日 (日)

家内眼鏡を壊して困惑

若干雲が薄いのか,雲を通して明かりが四方を照らす。まあまあの夜明け。しかし相変わらずの霧で沖合は霞んで見えない。此の風景はもう何日つづくことだろう。

ワールドサッカー、ベストエイトの戦いが始まる。ドイツがアルゼンチンに4-0と完勝し、昨夜オランダがブラジルに2-1と勝ち、スペインが今早朝パラグアイを1ー0で下して,PK戦でガーナを辛うじて破ったウルグアイを残してヨーロッパ勢がいずれも南米勢を退けた。

一頃劣勢に見えたヨーロッパ勢流石に底力があった。
次はドイツ対スペインが見物だが、オランダもウルグアアイに勝てば初優勝が見えて来る。今回も欧州勢の決勝か。

家内が眼鏡を壊したので,アルパークに修理か新規購入かするために出掛ける。
どちらでも1週間かかるので,新規に一つ作り、出来上がった段階で修理を依頼する事にして頼んで帰る。
眼鏡一つがもう10万もかかる時代だから、簡単ではない。

千代さんからさぬきうどんを送って来る。中の手紙で夏休みにはやって来たいと書いてある。
孫共皆つれて来いと言えと、家内にいうのだが、家内はもてなしが辛いらしく喜びの色は見せない。
80才を過ぎるとやはり家事が一番辛くなるようだ。
昔だったら皆嫁の仕事だったからなあ。無理ないな,面倒かけてすまんと心の中。

朝子はカナダに留学するというから、死ぬまでに会っておきたいし、晴子は依然として悩みが消えないというから、是非聞いてやりたいし。
役に立たないかなあ。
大正生まれの老人の話なんど,もう通じない世代だろうな。
今の大学生は何を習っているのだろう。
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(平成20年今田勇編集著述「ニューギニア戦記」より)(その17)

吉田中隊の乗った7隻の輸送船を護衛してくれる駆逐艦は次の8隻であった。それは、荒瀬、朝雲、時津風、白雲、浦波、雪風、朝風、敷波の諸艦であった。

船団の進路はニューブリテン島の北側を遠く離れながらダンピール海峡を南下して、ラエに向うコースをとる予定であった。ラエ到着の予定は3月3日の16時30分であるから、丸3昼夜の航行となる。
恐らくこの3日間は身体は休んでも気は休まることは無いであろう。今向いつつあるニューギニアの南部地区の戦況はとても厳しいものがあったようだ。

さる1月2日ブナの守備隊が玉砕した。丁度時を一にして岡部支隊がその後方の敵飛行場ワウ占領の目的で1月5日ラエに上陸するが、1ヶ月余りで攻撃を断念しラエ方面に後退した。

第51師団はラエ及びその前方のサラモア地区を確保するためにラエに向って前進しているのであるが、気分的に先行きには厳しいものがあった。

3月1日朝、航行第一夜は明けた。船団はニューブリテン島の遥か北方を西に向って前進している。もう四周に陸地は全く見えない。船団の速度は8ノット、護衛の駆逐艦は二列で前進している船団の四周を遠巻きに警護しつつ航行している。
船団は敵の潜水艦の攻撃を予想してジグザグ航行を続けている。進路を変える旅に船は大きく右、左にと傾く。間もなく上陸部署の打ち合わせが船橋で行われた。
本船の輸送指揮官西川大隊長の許に各乗船部隊の指揮官が参集した。歩兵の各中隊長、各砲兵、速射砲の小隊長のほか、船舶工兵の中隊長等である。

打ち合わせが終った後、船舶工兵隊の中隊長は各艇長以上を集めて、上陸部署に付いて詳細な説明を行った。戦後当時の分隊長だった小泉繁次軍曹はその時の模様を次の様に手記に書き残している。
吉田中隊長は各分隊長を集めて上陸の担当区分を詳細に指示した後、檄文を与えられた。それは「船橋が如何に凄惨苛烈を極めようとも、諸氏は己が責務を重んじ、断固として任務に邁進すべし」であった。今はそのような事を言ったかどうか記憶に残っていないが、当然当時の状況からは十分推察出来ることである。
(つづく)
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