« 家内眼鏡を壊して困惑 | トップページ | 今年何度目か植物園 »

2010年7月 5日 (月)

ちょっぴり歩く不安

朝5時目覚める。外気浸入と扇風機で涼しすぎて眠れない。
とうとう起き出してパソコンに向う。
産経ネットに入り記事を読む。
ワールドサッカーの審判員西村主審のオランダ対ブラジル戦でのファウル一発退場の公正さが好評らしい。誤審の多い今回のワールドサッカーで光る名審判と讃えられているとか。

貴乃花親方が理事辞退を申し出て却下されたとか,日本で人気のあったパクという韓国俳優が日本人になれと言われて自殺したとか、世の中いろいろあるな。
選挙戦も影が薄くなりそうだ。

ちょっと横になり7時又起き上がる。気温25度,正に熱帯夜だ。今朝も濃霧注意報が出てるかも知れない。凄い霧だ。
湿度はやはり80%。じぐじぐと汗が滲み出そうだ。
食慾はない。お義理でパンを齧る。

午前中やや小雨が混じった天候も、昼頃から雲を通して洩れる光で明るくなる。
おかげで蒸し暑さが蘇る。

昼食の時,菖蒲やあじさいの話が出て、後で植物園に行く事にする。
一寝入りした後、何となくふらふらして体調が思わしくない。蒸し暑いし,身体に良くないかも知れないと取りやめにする。
昨日のデパートでといい、歩きに少し不安が出て来たのが気になって,出掛けるのを躊躇したのだが、段々こうなるのかな。家内は気力の問題だと言うが。
  ________________________
(平成20年今田勇編集著述「ニューギニア戦記」より)(その18)

船舶工兵中隊は今日までマレー、フィリッピン、ガダルカナルと上陸作戦に参加して来たが、今度の作戦は今までと全く異なった雰囲気の漂った作戦であった。

友軍の直衞戦闘機が時々船団の上空に飛来して来た。本作戦の直衞戦闘機の援護は常時100機で、陸軍60機、海軍40機という取り決めであった。

当時の東部ニューギニアの敵飛行機は合計189機の地上機の存在が我が軍の司令偵察機により確認されていた。そして、その60%は大型機であったが、隠された在庫機もかなりあるものと予想されていた。

これは我々輸送船団には最大の脅威であったわけで、一歩一歩死に近づきつつあったようである。潜水艦の情報は今の所出ていないようであったが、万一を考えて航行中には甲板に出ている様に指示されていた。従来は航行中は一切甲板に出る事は禁止されていたが、度々の経験から潜水艦の攻撃を受ける恐れのある場合は、魚雷の爆発の衝撃でハッチが閉まって、ハッチから脱出出来なくなり、大きな損害を受ける事となるからである。

航行2日目に入った。繰り返すようだがこれまでは船団航行中は主として飛行機の襲撃を受ける事が多く、これの銃爆撃を避けるためハッチの中に入っているように指導されたが、潜水艦の魚雷攻撃を受けると、その一撃によってハッチの昇り降りするクラップ(梯子)又はジャコップ(縄梯子)等が爆風のために吹っ飛んで、ハッチの中に居るものは脱出する事が出来ず、みすみす多くの将兵を失う事がある。

昨年の今頃はシンガポールの作戦が終わり、フィリッピンに転進のためシンガポール港に集結し、3月4日出港のための積み込み作業の最中であった。

当時は連戦連勝の勢いに乗っていたので、我々は意気軒昂であった。次はフィリッピンでというのでお互いにまだ見ても居ないこの未知のフィリッピンを想像しながら語り合ったものだった。当時の我々は将来への大きな夢を持っていた。

そして間もなく中隊員の乗った対馬丸は南シナ海に向って出帆し、この海の荒波にもまれつつリンガエン湾に向った。この航行中手ひどい時化に出会った。平常でも、この海は東南の貿易風が強い所で、その風浪に向って前進する老朽船にとっては手痛い苦難であった。船は木の葉の様に翻弄されてハッチから出るものも無く、食事もほとんど出来ない有様であった。それでも今までの勝ち戦には希望と明るさがあったものだ。しかしこの一年で戦況は全く変わり今輸送船中の隊員は皆心は重く、重い鉛が身体にぶら下がっているようであった。
(つづく)
   ___________________________

|

« 家内眼鏡を壊して困惑 | トップページ | 今年何度目か植物園 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/157907/48803379

この記事へのトラックバック一覧です: ちょっぴり歩く不安:

« 家内眼鏡を壊して困惑 | トップページ | 今年何度目か植物園 »