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2010年7月19日 (月)

浜田曹長の最後(ニューギニア戦記より)

今朝の気温は遂に26度、昨夜は熱帯夜という事になる。
寝られないので扇風機を3台にした。少しひどすぎたかな。タイマーが長過ぎて遅くなったらしく調子が悪い。
やっぱりクーラーの方がよかったかもしれない。
その前の日はクーラーが効き過ぎたので扇風機にしたのだが、温度調節はなかなか思う様にはゆかぬものだ。

昼は外食、うどんですます。
いつものスーパーでちょっと買い物。
暑さがこたえるのか、たちくらみが頻発する。危機的状況にあるを何となく感ずる。
転んで打ち所が悪くて、植物人間になるのはもっとも警戒しなければならない。

午後日が陰ってやや涼しくなる。良い風が入って来て頬をくすぐる。
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(平成20年今田勇編集著述「ニューギニア戦記」より)(その32)

さて、浜田曹長とは入水後に一緒のグループであったが、時間が経つに従って彼が心身共に消耗の度合いがひどくなっていることに気がついた。平素あれほど元気な彼には不似合いであったが、泳げないという事で水に対して人並み以上に恐怖感を持っていたのであろう。普段から中隊員によく言ってた事は「もし船で遭難した時、泳げるものが助かり泳げないものが死んでしまう事は無い、むしろその反対であろう。」と。今迄に実際にそんな事例が多くあったし、勿論彼はその事はよく聞かされていたらしい。これは泳げるために自分の力を過信し溺死した例が多いのは、泳ぎへの自信過剰のため動き回って却って体力を消耗してしまうからであろう。
彼は水を恐れていたがそれにも拘らず船舶兵として召集された事は彼にとっては誠に不運であった。彼は入水した後は我々の精神的苦痛に比べて数倍の苦痛を感じていた事だろうし、行く先を案じてかなり悩んでいた筈である。時間が経つにつれて気丈な彼も口数が減って来たようだ。私は彼を激励して言った。「救援艦が来なくともこのまま浮いていれば必ず陸地に流れ着くから心配ない」と。
しかし夕刻になっても島らしいものは全く見られなかった。ふと、彼の眼を見た時彼の様子が変わっている事に気がづいた。彼の顔に全く生気がなかったのは、何かと思い詰めて疲れ果てていたのであろうと不吉な予感に襲われた。何の変化もなく望みを繋ぐものも無い状態が続いていたが、むしろ敵機でもくれば此の沈滞した空気を打ち破られたであろう。この単調さと無聊を破る術は全くなくいくら慰めようとしても現実に何の変化も起きない事に気がついた。突然彼が大きな声で喚いたと見えた瞬間彼の姿は海中にかき消えていた。
彼は二度と海面上に現れてくることはなかった。彼はこれ以上の単調さと無聊さについて行けないので、到頭生きる望みを失って自分から命を断ったのであろう。
我々はラバウル出港以来敵機に遭遇し、敵潜水艦を警戒している間は絶えず緊張をし続け、沈没船を退避した後も熱さと渇きに堪えて来た。しかし彼は孤独感と単調さとこの海に対する恐怖感とにはついに勝つ事が出来なかったのであろう。
(つづく)
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