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2010年7月 3日 (土)

DVDアルバムを又作る

昨夜から降ったり止んだり,梅雨だからしかたがない。
気温は今朝も24度。濃霧も相変わらず。湿度遂に80%。

昨夜は夜遅くまでかかって、又貯まった音楽をDVDアルバムに仕込む。
今それを聞きながら,パソコンに向っている。20時間以上録音してあるので架け替えの心配は無い。正に無精者にはもってこいである。それでも時々近所迷惑ではと思ったりしてボリュームをいじったりする。
何時だったか,隣りの奥さんが音楽は好きだから一向に構いませんよと、家内に言ったそうだから安心はしているのだが。
それでもショスタコビッチやストラビンスキーの不協和音はやはり私自身が気になる。
音楽も食事と一緒で、いつも舌触りの良いものばかりでは飽きる。時には風変わりな現代音楽も聴きたいし。
しかしだ。
深夜など演奏の終わりの熱狂的な拍手喝采なども時に困り者である。

先程家内が買い物に出掛けたが,10時半の今雨脚が強くなる。足元がちょっと気になる。どこまで行ったのか。
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(平成20年今田勇編集著述「ニューギニア戦記」より)(その16)

然し乍ら今回は今までとは状況が全く違う。準備段階においても今回は異常な程の緊張感があった。
それはガダルカナル島の敗北を目の前に見たからである。今まで戦えばどんなに損害が出ようとも必ず勝った。そして日章旗が高々と揚がった。然し乍らこの2ヶ月間に見たものは全く聯隊員が経験した事も無い、勿論想像もしない日本軍の哀れな姿であった。吉田中隊の将来を悲観的に感じ、不吉な暗示を受けるのは致し方がなかった。その上にポートモレスビーの攻撃に向った南海支隊の悲惨な撤退状況も伝わって来た。兎に角なに一つ明るいニュースは無かったのである。ただその中にあって、無傷精鋭の九州健児・第6師団が到着して元気溌剌であるという噂を耳にした。ある時本部の下士官が中隊本部にやって来て、6師団の将兵はこんな所まで銃剣術の道具を持って来て朝夕に稽古している。極めて士気旺盛だといったが、このことは中隊員の士気が昂揚されるのに役立っているようだった。
その後何かにつけて第6師団は元気旺盛であることが口伝えに伝わって来た。軍歌演習なども盛んにやっていたと言う。こんな話を聞いていた時第6師団第6聯隊に、吉田中尉と同期だった松崎盤雄中尉がいた。彼は陸士の生徒時代から詩吟や軍歌が好きで、中隊の詩吟の会が行われる時は何時も前に出て吟じていたことを思い出した。

彼の得意は王維作「充二の安西に使いするを送る」の「渭城朝雨・・・・西出関無故人」であった。特に最後の一句を心を込めて二度繰り返し歌っている姿が目に映る、松崎中尉もその後ブーゲンビル島で詩吟で歌ったように故人となった。

2月28日夕刻総ての作業が終了し、今は今夜の出帆を待つばかりになっていた。吉田第3中値は2番のハッチに入る事となった。夜になって風雨が強くなって来た。船倉内はそれでなくても湿気が多くじめじめして息苦しい場所である。

雨が降り込んで来るためタラップ(梯子)の出入り口の蓋を閉める。全く蒸し暑い。中隊員は鮒底に積み込まれた軍需品の間に挟まって休む。船が動き始めれば風が入って来て少しは楽になるだろう。だが多数の兵士たちは甲板の大発動艇などの下に雨宿りして暑さを凌いでいる。雨が止めばハッチ内から皆甲板に上がって来て涼む事も出来るが、この雨ではどうにもならない。

ここ数日の積み込み作業の疲れにも拘らず、これからの戦場の事を考えると目が冴えてなかなか眠れない.皆板敷きの上に横になり黙して語らない。時々風雨に叩かれる音がザーザーと大きくなったり小さくなったりして聞こえて来る。
やがて船が少し揺れ始めた。いよいよ出港である。時刻は22時20分であった。
雨の中を甲板に出る.ラバウル港内は全く暗闇であった。船は湾口を北方に向って前進をはじめた。
もうそろそろ月が出る時分であった。
(つづく)
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