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2010年6月 1日 (火)

どこに行くにも連れが要る

灰色に幾分もやってはいるが,その雲を抜けて来る日の光は結構強く眩しい。気温18度。
今日もいい天気になりそうだ。
6月になっていよいよ夏だなと実感する。それにしても5月が永かったなあ。時間に変わりはない筈なのに、どうしてそんなに永く感ずるのだろう。
人間の感覚なんて案外いい加減なものなのかも知れない。

6月12日の鳳陽会には家内を連れて行くことにした。といっても会に出席さすのではないが,翌日奈良平城京展を見物する事にしたので,サポートしてもらう事にしたわけ。
私も、一人でうろうろするには、やはり体調に、も一つ自信が無くなった。
杖もついて歩かねばならないだろう。凄い人ごみの中だろうから。
先の奥州旅行の様に転んで怪我をした、同じ失敗を繰り返してはならない。
宿はもう昨日手配した。

家内が貰って来た老人会の名簿を見ると,明治生まれの百才の人が最近亡くなって、明治生まれは一人も居ない。私より年上が7人程居る。
60才以上が入会資格となっているが、60代は一人も居ない。
会員65名、全部70才以上だ。全くの老人部落なんだなと気付く。

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(今田勇著「西部ニューギニア戦記」より連載)
駐留隊員の一人マラリア3日熱に罹り苦しむ

ガア本部の隣地区のワルのポリースマンの知らせで、ここの駐在隊員の横山上等兵がマラリアに罹り苦しんでいると言う。直ちに本部に連れ戻し治療に専念させることとした。南の戦線でよく患う病気と言えば先ずこのマラリアが第一であった。その次はアメーバ赤痢だったようだ。
私はこの赤痢に犯されることはなかったが、このマラリアには過去4度に及んで罹病していた。最初は上海で輸送船に乗る直前に、次の2,3回目はマレー作戦中のアロール、スター市と駐留したクアラ、ルンプール市郊外のカジャンで。そして4度目はジャワ島の高原都市マラン市であった。しかし不思議なことに昭和18年3月以降僻地の西ニューギニア島又はセラム島に渡ってから病院も無く軍医も居ない辺境の地でこのマラリア病には全く縁がなくなっていたのは、至極運がよかったことと思っている。
幸いに彼のマラリアは軽い3日熱だったので、1週間ぐらいで元気を取り戻し予防薬のキニーネを持ってワルに復帰して行き一同やれやれと安堵する。
南方の地に行った人はよくご存知のことと思うが、このマラリアには軽い3日熱と悪性の熱帯熱との二通りある。前者は3日おきに震えと共に高熱を発し、これを2,3度繰り返すと治癒するが、後者に罹るとひどい高熱が5,6日ぶっ通しに続き、頗る体力を消耗してしまい悪くすると死に到ることも稀ではないという。
いずれにしてもこの病に罹る体全体に悪寒が走りその寒気から来る震えはこの寒気を防ぐために毛布を何枚も身体に巻きつけるもその効果は全く無く歯がガチガチと鳴るほどの寒気が何時までも続く。3,40分この寒気が続くと今度は体全体が猛烈に熱くなり、体温は40度を越すほどに高くなり、全身に汗が噴出して意識が朦朧となってくる。何にしても体力を酷く消耗する病気で、消耗した体力を取り戻すにはかなりの日数が必要だった様だ。
南の戦地でこの病気の予防としては、先ずこの病菌を媒介するハマダラ蚊に刺されないことが第一でそして運悪く発熱した時は唯一つの薬キニーネを飲んで安静にして耐えることだけである。ただ治癒してからは無理にでも十二分に食事を取って体力の回復をまつだけであった。(つづく)
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