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2010年6月27日 (日)

高速道路無料化始まる

降り続く雨、止む気配はまるでない。気温23度とほとんど変わらない。

梅雨たけなわとはこのことか。

どこにゆくつもりもない、いくら降っても構わないと家内も言う。

押し気味だった韓国、惜しくもウルグアイに1-2で屈した。

次は日本だがパラグアイとはてどうだか。ラプラタ河口に国境を接するブラジル、アルゼンチンと共に並みの強さではない南米の国たち。当たって砕けるだけか。

ひょうひょうとした司令官(岡田監督)には印象的な言葉がある。ハエがたかるように何度もチャレンジする」。うるさく飛び回ってボールに食らいつく。追い払われても、すぐに別の仲間が群れをなして寄ってくる。そんな青いユニホームの動きが運も引き寄せたのだろう}と中国新聞コラムで言ってることが再現できるかどうか、大いに期待している私だが。

前回大会優勝を争ったイタリア、フランス共に一次リーグに勝ち残れなかった。欧州勢の不振と南米勢の躍進が特に目立つ。番狂わせは何時の時にも起こる。

午前11時雨が一時中断している。空やや明るみを増す。

明日から一部の高速道路が無料になる。広島では広島ー呉道路、浜田道路がそれ。

ワアッーと一斉に混むのではと新聞は心配している。

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(平成20年今田勇編集著述「ニューギニア戦記」より)(その10)

さて、この3月2日ダンピール海峡の北口付近において、編隊を組んだ敵機の猛攻を受けて旭盛丸が先ず撃沈されたが,この時点でラエへの上陸をニューギニア北側のマダンに変更すべきではという策が問われた。他の2ヶ師団は上陸に成功している.上陸地をマダンに変更しても多少の損害は受けたかもしれないが、全滅の憂き目にあうことは避けられたであろうし遭難者の救助も十二分に出来たであろう。

戦後この作戦について天皇が次のように発言しておられたと藤原彰氏は「天皇制と軍隊」の記述の中で「何故すぐに決心を変えてマダンに上陸しなかったのか、この度のことは失敗といえば失敗であるが,今後における成功の基となるならば、却って将来のために教訓になると思う.将来に安心のできるようにやってくれ」と。

このお言葉は当時杉山参謀総長への伝達を記録した真田一郎作戦課長の業務メモの一部である。天皇は旭盛丸が撃沈された時点で,決心を変更すべきであったことを指摘されたのである。従来の計画通りの輸送船による上陸作戦では、敵の手のうちにあったラエへは全く無理な事であった。「夢よもう一度」という期待もほど遠く実現にいたらず、敵軍は3月3日には自陣の懐に船団を深く引き込んで完膚なきまでに叩き潰したのである。

幸いに命を失う事無く海中に落ちて浮遊した戦友たちは,敵の制海権下の海上を南へ東へと流され、船舶工兵第8聯隊第2中隊の小隊長小崎中尉などは30余日漂流した後,ニューブリテン島南側中央部にまで漂流しここで土人に助けられたのであった。

この作戦により船舶工兵聯隊は壊滅的打撃を受けたが,生き残った者は引き続きこの海峡を挟んで,大、小発動艇を駆使して、兵力の前線輸送、患者の後送等に従事した。しかしながら隊員将兵の損耗も激しく半年後ラバウルに終結を命じられることとなった。

これより先に9月4日ラエ地区に居た吉田中隊もフィンシハーヘンに米軍が上陸した時点でニューギニア島からニューブリテン島へと撤退したのであった。

振り返って第51師団の上陸作戦の概要を見ると、7月21日ラバウルの第8艦隊司令部(司令官三川中将)において、陸海軍及び陸海の各航空隊最高指揮官は一堂に会してラエ輸送作戦実施の細部協定を締結した。

上陸作戦にあっては、陸海空の緊密なる連絡がとられる事によって初めて成功するが、このためには事前の調整は細部に至るまで綿密に定めておかなければならない。

(つづく)

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