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2010年6月 8日 (火)

セラム島のバザール

雨は上がっているが,空は灰色一色。霧深く島影は依然見えない。
朝の気温18度。安定した空模様ではなさそうだ。

昼前には雲を貫いて届いて来る日光に、急激に地上は暑くなった来た。
雨の恐れが無い訳ではないが,気温は大分上昇しそうだ。
外の仕事をする気にはならない。

夕方5時ぽつりぽつりと降り始める。南の風で窓から降り込む。涼しいのはいいんだが。

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(今田勇著「西部ニューギニア戦記」より転載)

セラム東部地区にバザールを開設して便宜を図る

当時この僻地の島で過疎地帯であったセラム島では、マレー半島、シンガポール島、ジャワ島のような人口過密な地方と異なり、諸物資の取引を市場を通して行う等の流通組織の全くない地方であった。
普段この辺りで諸物資の流れは、移住してきた華僑の商人が大きい部落に店舗を構え、此処で住民に食糧物資や日用雑貨品等の売買の仲介を一手に行っていた。そして其の他の取引は直接農民と漁民等の住民の間で、物と物との等価交換をしているのが通例の取引であった。

地区のカパラ、カンポンたちの話では、各地に店舗を構えている華僑の商人は、その手先の仲買人に現地住民を使い、独占的に農、漁民の生産物、漁獲物を安く買い取ってこれを周辺住民に割高に売却し、又遠隔地から仕入れた衣料、雑貨品等も独占的に大きく利益をかけて売却し、この取引で法外な利益を挙げていたようだという。

そこでこの話を聞いた私たちはせめて地元農民の生産する青果物の野菜、果物や漁民の獲る漁獲物等はバサールを作り、此処を通して適正な価格で取引をしたらどうかと提案した。そしてこのセラム島東部地区の南北両側の大きい部落に、それぞれ1ヶ所づつ青果物、漁獲物の市場を開設することとした。そしてこの市場には管理人を2人置いて、この管理人の報酬は水上隊で支払うこととした。

そしてこの市場内には日本の軍票の品目別の買い取り価格を掲示しておいて、この売買の手数料は5%とした。そしてこの手数料対応分は品物で残すこととしその残った現物は我々の副食として隊で使うことを考えた。

東部全地域に檄を飛ばし市場関係者に周知を図り、機会あるごとに今までの物々交換は止めてこのバサーるを利用するように指導した。しかしその後市場取引はなかなか軌道に乗らず苛立ちを覚えていた。

12月に入りやっと少量だが野菜や魚類が一部入荷し始め、次第に取引量も増えたし市場の取引も何とか格好が付くようになっていった。

そして戦後50年も経った現在ではこの島の市場組織も年とともに改善整備されその取り扱い物資の種類や量も増加し、殆どの物資が市場を通して取引が行われているのだろうと想像し推察をしている。

以上このセラム島の戦地生活で平穏な戦地の裏話をいろいろ書き流したが、この他に隊員の駐留地でも私の知らないいろんな寓話が多くあったことだろうと思っている。しかしこの当時は未だ戦争の最中の事、平穏に時が過ぎたと言うもののこのセラム島周辺でも偶には戦争の表の顔、言い換えると直接敵の攻撃にさらされたことも当然の成り行でもあった。
(おわり)
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