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2010年6月 9日 (水)

ニューギニア戦記転載を始める

高空には白い靄がかかっているが,青空ものぞき今日はいい天気のようである。
気温18度と昨日と同じ朝明け。爽快、申し分ない。 
朝の音楽もヴュータンやサンサーンスの綺麗なバイオリン協奏曲が次々と並び,気分いやがうえにもさわやかにさせられる。

先月になったしまったが、旧制中学校の同窓会が今年も同じ錦帯橋畔の岩国観光ホテルで開かれ,最後の生き残りになるらしい5名が集まった。
その際、山口からやって来た今田勇君に昨年いただいた彼の編集になる「ニューギニア戦記」の読後感を話しているうちに、何とか此の記事を後世に残したいとの彼の意志を聞いた。
当然だと思ったので、なんとかしようとその努力を続ける事を誓った。
しかし考えてみるともう余生は幾ばくも無い。

とりあえず,私のブログに転載して反響を見ながら、手段を講ずる事にしようと思い立った。
思いつくままにすでに一部をとびとびにブログの中に転載しているのだが、関心のある人もあると見え反応も少なくない。

そこで改めて今田さんの編集著述の最初から、そのまま転載する事を決心、その序文から転載しますので、関心のある方はどうかお読みいただきたい。
長文なので幾日かかるか見当が立たない。
もちろんブログの事あまりの長文は許されないので,細切れになる事はやむをえない。
ご容赦願って続ける事にいたします。

  _____________________
(平成20年今田勇編集著述「ニューギニア戦記」より)(その1)
序文
___ダンピール海峡の戦闘(東部ニューギニア)と季節風に荒れる海を突っ切って、師団の食糧の自給自足に活躍した特設水上隊(西武ニューギニア)の物語___

私今田勇(編集者)は昭和16年4月から同21年の6月までの5カ年あまりに亘り,日本の広島市,中国の寧波(ニンポ)と上海市での服役期間6ヶ月を除いた4カ年半を、マレー半島、シンガポール、ジャワ,西部ニューギニア、そしてセラムの各島と南方戦線を遥々遠く転戦し,最後は昭南島(シンガポール)防衛の陣地構築に従事して居たとき,この地で終戦を迎える事となった。

シンガポール島沖の無人島ガァラムの収容所で抑留10ヶ月の後、昭和21年5月25日解放され,6月3日広島県大竹市に帰還し、ここで除隊となった。

ところで、数多の太平洋戦争の記録はどちらかというと日本軍が昭和18年前期まで破竹の勢いで進撃していた時の物語が多い。
今茲に7年前82歳で病没された船舶工兵第8聯隊の中隊長だった吉田武中尉(戦後自衛隊勤務)が書き残された遺稿のメモを整理した記録は,昭和18年3月上旬の「ダンピール海峡の戦闘とその後の戦い」という物語で。これまでと違って痛ましい受け身の戦闘記録である。
ごく簡単にそのあらましを書いてみると次の通りである。

要約するにこれは先の世界大戦で日本が敗戦に向かって,雪崩れて行くきっかけとなったという受け身一方の凄惨な戦いの姿の様である。即ち,この戦闘の直前にガダルカナル島に上陸した第17軍が,米,濠正規軍の攻撃を受けて無惨な撤退をした直後、これで勢いに乗った連合軍の東部ニューギニアへの攻勢は強烈になって行った。

ここで大本営はこれに対応して,決戦場の東部ニューギニア戦線強化のため、この方面での戦闘力不足を知りながら、無理を承知の上で急遽第81号作戦を企画,決定して、現地の第8軍司令部に指示をした。

この作戦は、ニューブリテン島に待機していた第8軍の3ヶ師団を東部ニューギニアに急遽投入し、ここの戦線の強化を図るための渡海作戦であった。

即ち、これはニューブリテン島の第8軍麾下の3ヶ師団を三つのルートに分けて,ニューギニア東部3拠点に渡航を試み、その一つのルートがニューブリテン島ラバウルからダンピール海峡(約100km)を横断して,ニューギニア島ラエの拠点に渡ろうとした軍団の輸送作戦であった。
これは第51師団とその関連部隊の他、ラエ到達後に揚陸を担当する船舶工兵第8連隊等、約7,300人の将兵と軍需品7,240屯、燃料750ドラム缶の他、火砲33門をやっと集めた7隻の古い輸送船に搭載して渡航作戦を決行したのである。この船団を護衛する海軍の艦艇は駆逐艦8隻であった。

3月1日船団はラバウルを出航して3日目ダンピール海峡に差し掛かったとき、米軍のボーイングB17型爆撃機大編隊の熾烈な反復攻撃を受け,3日間で全輸送船7隻と駆逐艦8隻のうち4隻が撃沈されたのである。この時の損害は戦死者約3,600名の他,積載した武器、弾薬、上陸用舟艇、燃料と諸軍需品のすべてを失う。結局駆逐艦に救助された約3,600人のうち、目的地ラエに運ばれ、ここに上陸したものは兵員のみで900人程度だったという。

ただ別のルートの輸送は攻撃を受ける事なく,無事に渡海したという。
(つづく)
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