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2010年6月16日 (水)

老人の長談義だらだらと続く

朝の気温20度、雲は多いが青空も見える。過ごしよい一日になりそうだ。
出掛ける用事はないのだから,快晴でなくても良いし,大雨でなければ又好しである。

昨日はサッカーの勝利が日本中を沸き立たせた。これほどの反響が出るとは誰も思わなかったのではあるまいか。
夜中の1時に終ったのに,新聞朝刊一面に大きく報道されるなど,寝ずに印刷し配布した事蹟が歴然として人々を驚かす。凄いとしか言い様が無い。

昨日は鞠子が電話して来て、昨年度のブログ集を皆読んだという。家内が電話に出て聞いたのだから,他に何を言いたかったかは分らない。私の妹として書いた一文に文句の一つも言いたかったかも知れないが。
未だ週に一度は百姓をしに多田に通っているという。流石に最近は疲れが出て、その翌日の仲間との会合に遅れて出たりして文句を言われたりする由。JRで1時間以上かかる距離を往復するのだから,通うだけでも大変なのに,偉い奴だ。

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(平成20年今田勇編集著述「ニューギニア戦記」より)(その5)
約1ヶ年後海峡とここを取り囲む両島の海岸周辺は殆ど連合軍の手に落ちることとなり、これ以降マックアーサー指揮する連合軍は、ニューギニア東海岸沿いに北上をつづけ、この島の北西部ビヤク島からハルマヘラ、モロタイ島伝いにフィリッピン諸島,更には沖縄へと矛先を向けて進攻、昭和20年の終戦いや日本の敗戦に繋がったのである。

そこで、この日米の運命を分ける戦いの場所であるが、世界地図を開いてみると、オーストラリア大陸の北方に東西に長く伸びたニューギニア島が見られる。そしてその東にこれに対面するニューブリテン島が見られる。この島はこの大戦で勇名を馳せた日本軍のラバウル航空隊の活躍した古都ラバウル(別名ラボールともいう)のある島である。このニューブリテン島の北側に横たわるダンピール海峡は、この大戦さえなければ、我々日本人にとって全く縁もゆかりもない無名の地域、いや海峡であった。
この海峡の概略の位置は南緯6度、東経148度で、南十字星の良く見える静かな僅か100kmあまりのなんの変哲もない海峡である。

この方面の島々や海岸は地図で見ると不明瞭線(点線)で表してある。そのことは特にこの地区の人々のために測量等する必要のないことを意味する未開の地域だということである。

緑の鮮やかな密林,明るい大陽の目映い輝き,紺碧の空、透き通った海底の藻が潮の流れに揺らぐ風景等々と残り少ない地上の最後の楽園といえる美しい地域である。

しかしながらこの楽園もこの時は「魔」ののダンピールといわれる程に厳しい、日米両国軍,特に日本軍からは恐れられた地域であった。そして此所で言語に絶する激戦が日米両国の陸海空軍によって展開されたのである。

日本軍はいつも不利な条件に置かれて、戦うたびに多くの犠牲を強いられた。結局ガダルカナル島の戦いと同様戦闘の度に、日本軍が惨敗に終わる結果になった。

兎に角に人々が地球上で平和に向かって相携え前進するか、武器を手にして相争うか、そのいずれかにより、この美しい大自然も地獄ともなり、また楽園ともなるのである。
しかし、この海峡で戦ったものたちにとっては、このダンピールといえば「魔」の海以外に思い出されるものはない。この海には今日も幾千人の戦友の魂が眠っている。いや、恐らく眠る事なく生きて魂は叫び続けていることだろう。

第81号作戦だけを見ても、3,700人余の兵が戦死した。戦後各地の戦場で遺骨の収集が行われて来たが、この海底に沈んだ将兵は永久に帰って来ることは無いというのは残念である。私たちの通って来た戦場には忘れ得ない地名等数多くあるが、この海峡の名前はその最たるものの一つであろう。
(つづく)
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