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2010年6月28日 (月)

赤名峠か浜田道か

今朝6時の気温は23度と変わらない。雨の痕跡は歴然としているが現在はちらとも降っていない。僅かに西南の空に青天がのぞいている。

雨が止んでいる間に買い物に出かける。ついでに食事も済ませて帰る。

午後2時前になるとやはり予報どおりにざあざあと本格的な雨になる。
年によると空梅雨なんて名ばかりの梅雨シーズンがあったりするのだが、今年は真摯に暦通りの筋書きが追われる。
こうなると老いぼれはますます外出が困難になる。旅になど予定は全く立てられない。

念願だった出雲大社参りもなかなか実現までには程遠い。
いや今からなら、浜田道を利用すればただなんだがなと気づいたりする。
本来は赤名峠越え(トンネルを通らずに旧来の)をもくろんでいたのだから、道筋が違うのだが、まあいいかと妥協する。
18歳の時自転車で越えた赤名峠は難路だったが、雄大な中国山脈連峰を横目に心広がるなかなかの思いで深い旅路だった。若し舗装がしてなければ、車でも難路に変わりは無いであろうが。
実現となると、今は若くないのでと逡巡の気持ちが先にたつ。

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(平成20年今田勇編集著述「ニューギニア戦記」より)(その11)

この協定した上陸作戦の大要を述べると次の通りであった。
○輸送部隊の集合地及び出発日時 集合地・・・ラバウル
出発・・・・2月28日 23:00
○揚陸開始日時及び揚陸日程 ラエ入泊・・3月3日 16:30
                揚陸開始時刻・入泊直後
揚陸終了時刻・3月5日 04:30
○輸送船隊の区分 第2分隊・・・神愛、帝洋、愛洋
第3分隊・・・旭盛、大井川、太明、野島
○船隊の航路 往路・・・ニューブリテン島北側近く
復路・・・ニューブリテン島北迂回
○航行速力 原則・・・9ノット
○指揮官以下の乗艦船区分 第18司令官・・・駆逐艦 時津風
第51師団長・・・駆逐艦 雪風
護衛指揮官・・・・駆逐艦 白雪
○師団主力 輸送船8隻に分乗
○海上の護衛艦艇(駆逐艦) 荒潮、朝雪、時津風、白雪、浦波、雪風、朝風、敷浪計8隻
(各艦は小発2隻、折り畳み舟各6隻積載)
○陸海航空部隊の対空区分 それぞれ午前,午後に分けて分担、常時100機が協力
○その他 輸送船の故障の措置、遭難時の措置、灯火管制、泊地進入
                揚陸後の行動

以上の事が更に細部に亘って決められ、今は28日の出発を待つばかりになった。
なお、補足すれば護衛艦はすべて駆逐艦が使用された。又、駆逐艦に搭載された小発動艇及び折り畳み舟は遭難時の救助舟艇であり,各艦にはそれぞれ舟艇隊員が分乗していた。

ところで、船舶工兵第8聯隊はガダルカナル島の撤退作戦を完了した後、ブーゲンビル島のエレベンタ海岸に集結が終わったのは2月8日だった。次の作戦に入るため2月12日、第18軍の隷下に入り,既に述べたように第51師団の指揮下に入り,第81号作戦のラエでの揚陸を担当する事が決まり,急遽ラバウルに帰還する事になった。
2月13日ブーゲンビル島を出発、同15日に懐かしいラバウル港に帰還し、そのまま湾口のココホの露営地に入った。此所に残留していた中隊員が出迎えてくれ,お互いの無事を喜び合ったがこれも一時の事,休む間もなく隊員には次の作戦が待ち構えていた。

小池聯隊長は新たに第81号作戦のラエ揚陸隊長に任命された。陸海軍の協定が終わった所で,ラエ地区の揚陸作業準備のため聯隊長は本部付きの中尾中尉(陸士53期生,後に死亡)を中本少佐に同行させ、潜水艦により先行させた。

2月25日小池聯隊長は配属部隊(第3揚陸隊)及び乗船諸部隊の指揮官並びに輸送指揮官との最後の調整を終わり揚陸作業命令を下達した。この日連隊本部付き坂大尉を飛行機によりラエに派遣し、決定した揚陸作業命令及び計画を現地の部隊に届けさした。

その前後ラバウル地区に対する敵機の来襲は殆どなく、吉田中尉は僅かな期間を利用して舟艇の運行の訓練を行い、又この作戦に携行使用する大、小発動艇の整備に全力を注いだ。
(つづく)
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