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2010年5月20日 (木)

卒寿の同窓会

雨は上がっているが灰色の雲が空を埋め尽くし,直ぐ百米先が霞む凄い霧の朝。
これが最後の同窓会になるであろうとやはり気になって5時過ぎ目覚めるともう寝ては居られない。6時起床。
偶々書棚に挟まっていた母校の昭和33年(1958)の同窓会名簿から、同期の者の名簿を複写し、5部程プリントして今日の議題にもと持参の用意をする。
4名の准卒者(4年で上級学校に進んだ者)を含めて109名の卒業生中25名が既に此の名簿上で死亡と記載されている。殆ど戦死者だろう。

このうち何人生き残っていることだろう。今日の話題として友を偲ぶよすがとしたい。
もちろん進学校、勤務先、住所なども併記されている。改めて知る事も多い。

10時過ぎ家を出て会場の岩国観光ホテルに向う。駐車場で山口から来た今田君に出会う。
娘さん夫婦に送ってもらって車でやって来たのだそうだ。
娘等は錦帯橋などを見て歩き,終るをまっていっしょに帰るとのこと。
まだ11時にもなっていなかったので、待つ事ひさしで、予定通り12時から始まる。菊谷君と坂川君それに今年の1月に亡くなったという野村君に代って奥さんが出席してくれる。
都合5人で大竹の川上君は体調が悪くて来なかった。

一人賑やかな菊さんが相変わらずの説教調で会をリードする。
私は何時もの通りノンアルコールビールだが、他の連中もさして呑むようでもない。
勢い盛り上がることもない。どうやら今年で最後の同窓会になりそうである。

生きてる奴の話題に集中したが,米国籍の連中がかなりいて、話題は国際的になったりして面白い。弱小野球チームだった我が母校のマウンドを守った堀本君など敵兵になって,戦後こちらに進駐してきたことがあるなどと。その女房役キャッチャーだった今田君が今目の前にいる。
彼は英語がぺらぺらで英語の先生も顔負けだったのだが。
野村君も2世で戦後何十年も米軍の通訳をしていた。当然奥さんからもそうした話題が出たりする。しかしもう回顧想像するしかない。往きて還らず、余りにも時間がたちすぎた。

午后3時になり、今田君が立ち上がる。きぬぎぬの別れにも似て、立ち去り難く,野村さん,私と続いて立ち上がりながら辞去の言葉をつぶやく。

こうべを上げれば、城山の若葉が桜花にすっかり変わって美しい。
めぐらして一路帰路に向う。
20分にして帰宅。家内驚く。しかし老体はやはり疲労激しく,なにはともあれ、何時もの通り午睡に入る。

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