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2010年5月28日 (金)

南国のお祭り(2)

高層に白雲が沢山浮いているが、どうやらいい天気になるらしい。朝の気温は12度と寒い。放射冷却といえるようだ。

昨夜は毛布1枚増やして寝たので、夜中に起きる事も無くぐっすり眠れた。
おかげで頭に曇がない。

内藤内科に行く。先だっての血液検査でBNP値が108となっていて、心臓が大分弱っているとのこと。無理をしない様にとの事であった。
しかし、もうどうしようもないな。

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(回教のお祭り その2)(今田勇著「西部ニューギニア戦記」より)

その祭りには地区のラジャー4人と26人のカパラ・カンポンに対して、夫婦同伴で出席するように案内しておいた。
祭り前日の晩から当日の早朝にかけて案内された者たちは夫婦二人連れで、そしてその地区の住民を多数引き連れてカヌーを連ねて続々とガアに集まってきた。
当日の朝から順々に委託料等の代金を受け取ると、どの夫婦もそろって近回りの家に入って行った。暫くして出てきた彼らを見て全く人が変わったのかと吃驚する。というのは朝方本部事務所に現れた時の彼等は、誰もが着古した汚れたシャツやブラウスに色褪せた古いサロンを纏い裸足であったが、今家から出てきた彼らの姿は、男性は新しい白シャツの上に立派な上下の背広を着込み、更にその上に新しいサロンを巻き、女性は少し肩の張った花柄のブラウスに花模様の美しいサロンを纏っていた。更に彼らの足元を見ると方や男性は黒の短靴、女性は白いローヒールの靴を履いていた。見違えるように様変わりした二人は腕を組んで会場の入り口で出迎えていた私たちに向かって「トゥアン、スラマット・シアン」とか「トゥアン・タペッ」とにこやかに挨拶をして会場に入ってゆく。これはオランダ統治時代の名残だろうと思ったが、少なからず驚かされた光景であった。

前田隊長の簡単な挨拶に続いて地元ガアのラジャーのお礼の挨拶と回教の祈祷の行事に続いて握手を交わし、第1回目の60人を越える会食が始まった。
このセラム島での会食の仕方は、シナ料理の宴会と同様にいろいろの料理を出来るだけ沢山作って置いて主賓の客の宴会で残った料理を2度、3度と階層を下げつつ全部平らげて行くという形式を取っていた。

所で机の上に並んでいた料理は、13,4種類にも及び総じて味は濃く油をたっぷりと使った上に、唐辛子や胡椒等の香辛料がよく効いている料理が多かったが、その味は至極良かった。年中暑さの続くこの南方ではマレー半島、シンガポールそしてジャワ島でも同じであったが。総じて料理の味は濃く油はたっぷりと使った上に香辛料がよく利いていたが、これは南の暑い夏を凌ぐために食欲をかきたてて、その体力を維持する必要性からでたもであろう。
さてだんだんと食事が中ほどに進んだ頃食卓の真ん中に大きな深い器にスープを満々と入れた料理が出された。手元の小さい器にこのスープを掬い飲んでみると食欲をそそるカレー味の美味しいものであった。
器の周辺の者がそれぞれにスープを掬って行くと、その真ん中に島のような物が浮き上がってきた。良く見るとなんとこれは昨日切り落とした山羊の頭であった。
臨席にいたガアのラジャーが指差してこれが本日の料理のナンバル・サトー(第1番)だという。そしてこの柔らかい脳みそと頭の肉が美味しく本日の最高の料理だというが、昨日のトサツの光景がま眼の前に浮かんで、一寸手が出し難くなりご遠慮申し上げることとした。
とかくするうちに机の上の料理もあらかたなくなりかけた頃、小屋の前の広場では既に参加した多勢の住民たちが歌声につられて踊りが始まっていた。
笛、鉦、小太鼓その他この地方独特の楽器を賑やかに鳴らし、数人の男が甲高い声で歌う。この歌にあわせてサロン姿の多数の男女が手振り腰振りよろしく輪になって踊る姿は日本の田舎での盆踊りを思い出させるものであった。
次から次へと歌そして姿、形を変えつつ踊りが続くうちにいつの間にか太陽は西の水平線に沈み辺りが暗くなってきた。小屋に吊るしてあった大きいランプに赤々と灯火が入ると、広場での踊りの雰囲気が一段と盛り上がって行った。
徐々に夜が更けて来るにしたがって彼らの歌も踊りも様変わりして行き,恋の物語らしい踊りに変わっていたようだった。というのは今は踊り場では数十組かの若い男女二人が向かい合って楽しそうに踊っていた。トォアンたちも一緒に踊ったらという娘たちに誘いにのってほろ酔い気分で踊りの輪に入る。見よう見まねで踊りの中に入り若者たちが対面の娘たちにしているように、私も前で一人で踊っている娘に対して踊りながら腰を落としゆくその所作を見習って、徐々に腰を落としてみた。その色白の若い娘もしゃがみつつある私に対して、恥ずかしそうに踊りながら徐々に腰を落として行った。
その途端に踊り場を囲んでいた観衆の住民たちから歓声と拍手、そして冷やかすような口笛や奇声が沸き起こった。踊りの輪から抜けた後其処にいた船員に踊りの意味を尋ねたところ、この踊りは所謂男性が女性に愛を訴える踊りということで、男性の踊りに合わせて女性が腰を落とす所作をすることはその愛の申し出を受け入れたいということになるのだという。冷やかしの歓声が沸いたのはこのためだと合点する。
この踊りで娘たちが取った所作は、私たちが相手では仕方がないと腰をおとしたのだろうと思った。
あれこれと続くこの祭りはなんにしても和やかな雰囲気に包まれつつ、なごやかに時が過ぎていったものである。
しかし、この夜を徹してのお付き合いはし兼ねると寝室に引き上げたのは既に朝方の2時を過ぎていた。酔いと疲れでうとうととしていたとき額から頬にかけてひやりとしたのではっと目が覚める。頭をもたげてみると私たちの部屋に3,4人の若い娘たちが入り込んで、軽く手先で水を掛けながら未だ眠るのは早すぎると手を引っ張って起こす。已む無く手を引かれて再び踊りの場に加わり眠い目を擦りつつとうとう朝日を拝むこととなってしまった。

ガアのラジャーが以前からこのお祭りは3日位ぶっ通しに行っていたが、この度ももう一日位続けられないかと、住民たちが言ってるがどうだろうかとの頼みがあった。しかし今は戦争中でのこと、朝にはグラマン戦闘機の偵察定期便もやってくることだし、万が一爆弾を落とされたり、機銃掃射でもされれば大変な事態ともなりかねないと説得にこれ努め早々に解散することとした。そして8時頃までにはカヌーに乗り又は徒歩で殆どの住民が姿を消していった。
前田軍曹以下一同やれやれ無事に祭りも済んだと棟を撫で下ろした。ここで一寸話を差し挟むとどこでも祭りのつき物になっているらしい博打のことだが、この島でもこっそりと椰子林の奥でこれが開帳されていた。というのは私が踊りの合間に息抜きにと裏の椰子林に入って見ると、小さなランプを囲んで数十人の男たちが円陣を作っていた。肩越しに覗いてみるとさいころ賭博の真っ最中であった。真ん中に白い大皿を置きこの中でさいころを回し、椰子の殻で作った椀で伏せてその中のさいころの出た目で勝ち負けを争う。一つは出たさいころの目が上か下かで、もう一つはさいころの目の数をずばりと当てることに賭け、数が的中した者には掛け金が倍になって戻る仕組みのようだった。ところでこの回すさいころは鰐の牙で作った6っ目のもので、さいころの角から角に斜めに細く削った真っ黒なカサワリ、ラウツ(海松)の心棒が差し込んであった。
そしてこの心棒を中指と親指とで摘んで、皿の上で回して賽の目を出していた。
この連中の中に知った船員の顔を見つけたので軽く声をかけたところ驚いたらしくランプを消し慌てて全員闇の中に消えて行った。だが、また場所を変えて開帳し空が白むまで続けたことだろうと思った。

さて、この回教の祭りは全く何一つトラブルも無く楽しく終わったが、この後この祭りの効果は計り知れないものがあったと思っている。
私たちが用務等で出かける時は、いつも白シャツに半ズボン姿で腰に図嚢一つ吊るだけで、武器等を携行したことは全く無かった。今まで事故一つ起きたことも無く過ごして来たが、この祭りの後は更に平穏そのもので、何処の部落を訪れても部落総出で歓迎されるし、一方では澱粉の委託生産や物資の買い入れの量も順調に伸びていったものである。
(つづく)
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