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2010年5月23日 (日)

西部ニューギニアのバボという街

昨夜から引き続いてかなりの勢いで雨が降り続いている。
終日雨の一日になりそうな気配、四面もやに包まれて,夜の明けるを覚えない。

昨夜遅くなって,畠中君から電話で「家内が具合が悪くなったので同窓会に出席ができなくなった」と言って来る。今更どうしようもない。

今田君の労作西部ニューギニア戦記を続ける。

次の話題は第5師団が基地とし,飛行場建設に当たった”バボ”という街だが、ニューギニアの西部、恐竜の大きな口見たいに開いた湾、即ちベラウ湾のその一番奥深いところにある街である。
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第5師団の主力の部隊は、昭和18年3月5日ジャワ島スラバヤ港を出港して、アンポン島、そしてセラム島の北側を経由し、3月11日西部ニューギニア島ベラウ湾中央の南岸に位置するバボに上陸した。此処は湿地と鬱蒼としたジャングルに囲まれた約40km四方に広がった台地であった。その北側に海中に突き出ていたのは、海中に浸かっていても永久に腐る事はないと云われる鉄木(アイアン・ウッド)で組んだ桟橋であり、ここがバボに出入りする船の唯一の波止場となっていた。そしてこの両岸に東西に伸びている海岸線は、海中に深く根を張っているマングローブの樹が繁茂していて、埠頭以外には全く出入りの出来ない台地であった。
この台地の住民は既に逃散して全く居なかったが、以前はこの地方の豊富な木材の集散地として、この奥のジャングルから切り出されたチーク材や鉄木等木材の集散地で、集積場、加工場、倉庫及び住宅等が数多く点在していた。師団の各部隊がそれぞれの建物を兵舎とし、やっと落着いた1ヶ月半ばかり経った4月末の夜、10時過ぎから約2時間余りに及んで始めての空襲に見舞われた。上陸間もない頃だったので近くに作っていた浅い簡単な防空壕か、個人用の蛸壺に避難して運を天に任した。幸にこの夜は大した被害はなかったが、今後堅固な防空施設は絶対必要であった。よく考えてみるとこのバボに対して10機以上の爆撃機が来襲すれば、これは東京都に大して200機以上の来襲に匹敵する激しいものではないかと思われた。その後この爆撃は月に2度の割で続いた。この為には避難施設は早急に作る必要があった。しかし、このバボは湿地帯の上にある台地、為に地下水位が高いため、掘るとすぐ湧水するので深く掘り下げることはできなかった。そこで誰が智恵をしぼったのか判らないが各隊に伝わって来た話は、各隊で貯蔵している米の麻袋を砂嚢代わりに壕の上に積み重ねてみたらという話しだった。早速壕の上に麻袋に入った40kgの米袋を、10段ほど積み上げこれにシートを掛けておいた。結果として米を積んだ防空壕は思いのほか頑強で、その後2、3回の爆撃では爆風や破片を完全に防ぎ、又たまたま直撃弾を受けた壕もあったが、壕内ではかなり強い衝撃を受けるものの、被害は上部の数段が飛散したに留まり、この壕に避難した者達は全く被害を受けなかった。

私はこの後この防空壕の安心感からその入り口に立ってそっと夜の空と陸との戦闘の様子を覗いて見た。
それはいつも敵爆撃機は上空に達すると同時に、暗い夜空に吊り星の様な照明弾を数十個ばらまいて、昼間の様に明るくなった空を敵爆撃機は次々に8の字を描きながら反復して爆撃を繰り替えす。爆弾は空を切り裂く様な音を立てて落ちる。下からこれに対応して5発ごとに曳光弾の混じった高射砲、高角砲そして高射機関銃を激しく打ち上げる。すさまじい爆発音の中で曳光弾の光が尾を引いて夜空に吸い込まれて行く。毎度の事ながら打ち揚げ花火にも似て美しくもあり、又凄ましくもある光景であった。

この師団を挙げてのバボでの飛行場建設に付いては,その後このバボを去る日まで,日の丸を付けた飛行機がここから飛び立った光景を見る事もなく、その爆音を聞く事もなかったことは残念であった。
次にここバボでの飛行場建設に付いて少しふれてみると、軍がこの造成の為に雇った労務者は、このニュウギニア島の土着のパプア族で,ここでは通称グヌン、オラン(山の人)と呼ばれる人たちであった。そして彼等が通常生活している集落は、このニューギニア島の中央を東西に走るスタンレー山脈の中腹で気候温暖な地帯に住む種族であった。その肌の色は真っ黒で頭の毛は短く縮れまた唇は反って太く常にビンロージュの実を消石灰をまぜて噛んでいるので、口元は真っ赤に染まり,衣服は木の皮で作った前垂れ1枚で局部を覆っただけ。その姿は正に人食い人種そのものといった恐ろしい風貌、風体をしていた。見かけは悪いが性格は穏やかで,力は強く従順でよく働くという事であった。彼等の宿舎はバボの片隅にあったが,引き続く爆撃に次第に恐怖を抱き,日が経つに連れて逃散するものが増えていったようであった。
飛行場の完成を見られなかったのは,この辺りに原因があったのではないかと思う。
なお、彼らの住んでいた山脈の中腹には、この地上に生息している美しい極楽鳥が飛び交っているという。
ところで、このバボに来襲した敵機は主として米国の双発ボーイングB25爆撃機であったらしいが、たまにはコンソリデーッテッドB24大形爆撃機も来襲していたようでもあった。特に後者の機体にははりねずみのごとく40ミリの機関砲のほか20丁にも及ぶ火器を装備している超大型機で、この機銃掃射の様を後々ゴロン島の湊で低空で日本軍の機帆船を襲う姿を間近に見たが,攻撃にもの凄い威力を発揮する爆撃機であった。
(つづく)(今田勇君手記「西部ニューギニア戦記」より)
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