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2010年2月 1日 (月)

小百合の”母べえ”

午前7時起床した時には降っていなかった雨が,食事を済ませて外を見るとしょぼしょぼ降り出している。
もう春雨の気配。

昨夜のテレビ映画「母べえ」は戦中物語みたいな映画で思い出さされる。いい映画だった。
録画したので早速DVDにCMを外してダビングを始める。
若者はくだらねえと言うだろうな。

あの切羽詰まった時代が、よくも現在の様に平和な時代になったものだなあと感慨は深い。
半世紀以上を必要とした。
その経過をじっくり通り抜けたものでないと実感は湧かないだろう。

雨の中を家内がベッド脇の絨毯を買いに行くというので付いて行く。先に寿司屋に入り久しぶりに寿司を腹一杯食べる。我ながらの宿慾に驚く。絨毯のついでに健康枕というのを一つ私も買う。食品売り場で果物などずいぶん買ったもので,大変な荷物となり車に乗せて駐車場まで運ぶ。
雨で客足は少なく楽な足の運びだったが、家に帰るとまた一仕事だった。
風も強くなって小嵐となる。

午後の昼寝は新しい枕でということになったが、新しいものはやはりいい。
昼の音楽のブラームスのバイオリン協奏曲も良いし楽しい眠りが出来た。

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2010年2月 2日 (火)

老い既に極まれり

連日霧の深い朝、沖合の島々はまるで見えない。天神山の下に広がる町並みも,屋根の輪郭が空と別れているだけ。

人間的機能が徐々に抜け落ちて、何もかもかすみの底に沈んだ感じの毎日がつづく。
こうして書く事にも、取り止めがない事以上に妄想まで混じりはしないかと畏懼する。
卒寿とはそんなことだったのかと今更の実感である。

永年文通のみの交友だったものも,一人二人と年に一度の賀状の束から抜け落ちている。いかなる事が起きたかその身上は知る由もない。いや知りたいとは思わない。ただ想い描くのみである。

今も昼寝していて、悪夢を見て驚いて目を覚ましたところ、夢の内容はどこかへ就職して、葬式やなんかあったりしてばたばたし、うっかり出勤を忘れていた.もう二日も経っている。なんて言い訳したらと悩むという変な夢。出勤を忘れるなんてあるのかなあ。夢はおかしい。必ずありもしない事を見る。

外はいい天気になって、さんさんと日が照り注いでいる。外を覗くと沖は相変わらず煙っているのだが。
窓を開けてベランダに出てみる。風もないし,何の木か知らないが、緑の新芽をいっぱい付けて、塀越しに私のうちへのぞきこんでいる。ああ,もう春だ。春の息吹はかくすすべもない。

今日も書き綴っているニューギニア血戦の手記のコピー2時間も掛けてやっと2ページ、自分の日記を書く速度よりも遅れている。やはり書き手が違うと思いも違うし,使う文字も異なるものと見え書き直しが多くなる。見て書くというのはこの歳になると万事厄介なことだ。

起きても手を休めるとすぐ眠たくなる。生ける屍とは今の我がことか。
耳がいくらか遠くなったせいもあるだろう。外の音は何も聞こえない。今ラジオもテレビも消えている。
静寂のよさもいいものだ。

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2010年2月 3日 (水)

黒男権現さま

朝起きると、ふと何故だか、幼少時よく遊んだ黒男権現社のことが思い出される。高い石段の上にぼつねんと誰もいないお宮だったが、年に一度のお祭りの日の神楽や二度の十二灯の夜など,又それに繋がる準備作業とよく出たり入ったりしたもんだったが、現在はどうなってるんだろうと気になって来た。

google-mapで調べてみると,石段だけ残って何の表示もない。建物は当時、当然部落の人が管理をしていた。
戦後はもう民主主義、自由主義で部落のしがらみなどなくなってしまった。誰も管理しなければ,形あるものは当然いつか朽ちて消えはてる。どうやらそうなったのか。宮の足もとに住んでいたあのおじさん、このおじさん皆もうこの世に居ないだろう。その倅たちも私と似た年頃、もう役には立たない。
世話をやくものが生きていれば、宮はなんとか存続出来るのだが、あの辺も随分変わってしまって、よそものがいっぱい入り込んでいるらしい。おそらく存続は無理だろうな。
それで私の枕元に祭神が立ち現れたか。
遠く離れて,此の歳では幼児と変わらない。もう役には立たない。勘弁して。

先だって訊ねた横浜の生麦には小さなほこらが路傍に建っていた。歴史上有名な所だから国か市が歴史の重みに押されて残したのだろう。祭神は切り殺されたイギリス人なのだろうか。
黒男権現にはそれはなかろう。あわれというべきか。
今日天気がよければ、行ってみたいと家内に言うと,寒いのに罷めとけと反対された。

mapを見たついでに地図をずらして、2、3km東南方の明神社を探してみるとこれは地図の上でもちゃんと記載されていた。地区の誰か等が管理保存したのであろう。これも一度訪ねて見ようと決心する。

もう世代は移り変わって,誰も知らない昔の事をあげつらうと世迷い言と嘲られそうである。
12才年下の弟が郷里に居る。まだ元気でゴルフに熱中している。
彼に相談すれば連れて行ってくれるだろう。彼は当然私の経験した事は知らない。
戦時中だったから同じ事はしなかっただろう。しかし直ぐ近所の山である。世迷い言などとよもや言いはしないだろうと思うのだが。

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2010年2月 4日 (木)

名主権現のこと

朝7時の気温ー2度。やや寒い。凍結予防のため昨夜水道栓を閉めて置いたから心配ない。
外にあるバケツの水が凍っていなかったから、零下時間が短かったのだろう。

黒男権現社のことで気になるので,弟に電話する。建物がないという話しは聞かないが、石段が途中崩れたり,管理をするものがいないので、お祭りもないし、長い間行った事がないから知らないという。
冷淡なものである。

やはり戦争はいけなかった。人心の荒廃正に極まれりと言いたい。

しかしもう一つ隣りの平家山裾野部落だった本谷の名主権現はお祭りをやってるし、お宮も残っているという。
15世紀末応仁の乱と共に豪族割拠して世に言う戦国時代が始まり、此の地も盗賊,海賊が蔓延り、良民は生き場を失っていた。当地の豪族だった大江清隣が、賊を平らげ後庄屋として施政を行った永年の徳を偲んで、その死後23年目(1579)に建てられたらしいだけに遺徳を守る人々が今も居るのだろう。
余談だが此の地区には、18世紀から19世紀にかけて、綿花栽培を指導発展させ岩国三白(紙、米、綿)の名を高からしめた村本三五郎も後年一時代を画している。蓮根の生産にも貢献し開作の恩人と言われ、大きな記念碑が私が物心ついた頃には既に室木部落の中央付近に建てられていた。

今日は立春,暦はもう春である。
時々日射しはあるが雲が多く外の空気は風も冷たいしまだ冬だと言える。

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2010年2月 5日 (金)

私の幼児性

やや雲が多いがまあまあの天気、朝から日射しがまばゆい。
気温ー1度。ぴりっと外の空気は冷たい。

最近はデジタルテレビと私のうちもテレビが一新された。画面も美しく,音もよい。
しかし私は余り見ない.特に娯楽番組は嫌である。総体に騒がしく情緒が乏しい。何をしゃべっているかよく判らない。私自身の老化が原因だろうから,文句のつけようはない。
だから見なければいいということになる。ドラマ好きの家内も最近飽きが来ているらしい。時々そんな言葉を口走っている。これまた耳がだんだん遠くなって来ている。

テレビがもったいないくらい良いのが、損したなという気分にさせて益々嫌になる。

だから将来見るかどうか判らないが、折角持ち合わせているのだからと良さそうな番組は録画しておく。
寿命がもう無さそうなのに、これまた勿体ない話である。

私もいっぺんに老人になったわけではない。もちろん若いときがあった。
しかし今頃みたいに気ぜわしくはなかった。のんびりしていた。何事も教わらなければ知らなかった。
子供がどうして出来るのか、ほとんど兵隊にゆく年になるまで知らなかっただろう。
股下(こした~今のステテコみたいな軍特有の下着)の着方が判らず,いい加減に着ていたら、非常呼集の身体検査のとき怠けているとさんざんビンタを取られたことを思い出す。
怠けるのにも何もどうして着るのかほんとに知らなかったし教えてくれるものもいなかった。
私は二十歳の時、まだ幼児のごとき魂の持ち主だった。

私はいつも繰返し言うのだが、今日私が普通の人間で居られるのは軍隊のお蔭だと思っている。
ほんとに動物としての人間に生まれ変えさして貰った。細かい事まで生き方を学んだ。ついでに自動車の運転まで習った。員数を付けるー俗社会で言う どろぼうのことーということも知った。戦いが激しくなれば略奪や殺戮行為も実践せざるを得なかった。聖人君子では決してない。今更なろうともおもわないが。

此の変貌をもってしても戦後人に操られて、親の財産を根こそぎ失う結果となった。
私の根っこにある幼児性は天性のものでどうしようもなかった。

此の数日熱中して取り組んだ吉田武中尉の手記「東部ニューギニア血戦」のコピーがやっと終る。
もっともこれは今田勇氏が編集著述した冊子の一部に過ぎない。私が勝手に判断して、私が経験した事もない熾烈極まる血戦の場面を抜き書きしたもので、故人にはまた今田氏には申しわけないが、勝手を許してもらわねば私の思う形が出来ないので仕方がない。
まだまだすっきりしたものに仕上げたいので暫くはかかりそうだ。

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2010年2月 6日 (土)

長寿社会

ちぎれ雲が点々と浮かぶ空、どうやらそれでも晴にはなりそうだ。気温1度。沖合の霞具合もやや薄い。
昨夜ビデオを3時間ばかり寝ながら見たのでいささか眠い。

長寿社会なんて言うから、どのくらい私の身近な人が生き死にしているのかなと調べてみる事にした。
一番手っ取り早くて正確なのは中学校名簿だと思い、私が所持している名簿を調べる事にした。
約50年前の昭和33年度(1958)の名簿では卒業生108名中死亡者26名と24%が既にこの世から消えている。
半分は戦死だろう。昭和59年度(1984)になると死亡者37名(34%)と26年間に10%増えている。
平成6年度(1988)死亡者50名(46%)そして名簿を外して平成21年度(2009)現在の死亡者推定66名である。死亡率61%だから、まだ39%の同期生が残っている訳である。21年間に15%増だから俄然ペースダウンしている。皆90才になるかならないかの年齢である。
平均年齢を超えているものが4割近く居ると云う事はやはり長寿傾向を裏付けるものだろう。

夕方近くのスーパーに買い物に出掛ける。終って何かまだ買い物があると家内が荷物を残して店内に戻る。袋に納めた買い物を提げて駐車場の車に一人戻って待つ。家について荷物を納める段になって一つ買い物袋が足りないと家内が言う。そのまま仕方なくスーパーまで帰る。家内の永年顔見知りのキャッシャーが気づいて、取りのけておいてくれてた様だ。無事手元に戻る。やれやれ、これまた老い耄れ専科の一幕。

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2010年2月 9日 (火)

自家製ジャム

写真の整理に連日没頭する。、
思いがけなく忘れていた場面が出て来たり,誰だったか思い出さない人物が写っていたり、いろいろ思案しながらやるのが面白い。ほんとに時を忘れるとはこのことか。1950年前後となるともう半世紀以上も前、懐かしさを通り越す。

パソコンに熱中していると、目の感覚がすっかり崩れて、外に目をやっても完全に幻状態。最近凄く悪くなったなと自覚する。

昨日家内は読売旅行の一泊ツアーで別府温泉行きを申し込む。一人1万円そこそこだから安くて人気があるらしく,今月分はもうない。妹等を誘って一応3月4日に申し込む。

今朝は久しぶりに朝からしとしとと春雨。
気温も10度と上がっている。身体がうんと楽である。

夏みかんのジャムも家内がおいしいのを沢山作った。体脂肪の関係でバターが食えないから,我が家では長い間パン食はジャムのお世話になっている。時々材料があるときは自家製を作る事があるのだが,案外手間がかかって大変である。今回も少し焦がりが出来たらしい。

二十年も前には大きなイチジクが裏庭にあったので、ジャムにでもしなければ処理の仕方がなかったことがあった。大きくなり過ぎて近所迷惑にもなり、鳥や虫に集られたりしてうるさくなったので伐採してしまったが、一時良い食源だった。

私はもう政治なんかどうでもよくなって議会中継など聞く事は最近なくなった。ところがここのところ家内が政治づいたか,朝食の時間の話題が政治関連が多くなる。おかしなものである。
民主党も掛声ばかり高くてなかなか実践は難しいが,自民党もこれを凌駕する様な妙策は出そうにない。
世界中が悩み考えているのだから、個々の力が及ぶ所ではない。良くても悪くても中国のごとくトップの才能に任せて突っ走るしか無さそうだ。大衆は愚なりというヒットラーの言葉がしきりに思い出される。

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2010年2月13日 (土)

思い出少々

朝日が久しぶりに昇り,好天気を思わしたのだが、午前10時頃には雲が出て来る。
ここのところ余り天気はよくないから、期待は無理かな。

相変わらず写真の整理をしているのだが、思いがけずジャパンドライ横川店を分離させたころ、松山へ飛行機で店員を連れ旅行した時の写真が出て来た。
日帰り旅行で飛行機で行き水中翼船で帰るという強行日程だったが、飛行機に酔い,船に酔い面白い旅だった。
写真はないと思っていたが、やはり存在した。何処かに隠れていた。一番忙しく又ごたごたしていた時代でもあった。

今はもう無いが小さい飛行機で、倉橋島の上空でエアポケットに2度も落ち込み,中本嬢が気分が悪くなり,空港で1時間ばかり動けなくなった。
たっぷり見た筈の松山城の写真が1枚もなく不思議だったが無事現れた。1968年10月18日私も家内もまだ若かったなあ。先に2月頃決行しかけたのだが、天候不良で飛行機が飛べなくておじゃんになった,再度の決行だった。店を臨時休業してまでして実行したのだったが。

此の年の6月八重の花田植えというのを子供等も連れて見に行った。
なかなか壮観だった。現在でも益々盛大に続いているのだが、残念ながらこのときが最初で最後である。

何事も機会を失すると駄目である。後悔先に立たず,先人は良い事を言っている。
上記の二件は願っても無い良い体験だった。


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2010年2月15日 (月)

歴史はあるとき消える

昨日は終日写真編集。
疲労困憊。
夕食も途中でダウン、茶碗3分1残す。
今日は
明け方かなり降ったらしい。溜まり水が点々とある。
朝の気温5度。濃霧。昨夜は昼間の仕事に疲れ果てたか,7時過ぎまでぐっすり。
寝床に入ったのが6時38分頃だったから12時間以上寝床に居た勘定になる。2度程便所に起きたから,少しの間目を覚ましたことにはなるが。
こんなに疲れる事は最近では珍しい。

OS9の入っている古いiMACを使う事によって,写真整理がすらすらと運ぶ様になった。
今日も新しいMacやWindowsXPで再生してみるが問題ない。

器械の進化が早いから、記録して遺したからとて油断は出来ない。再生できなければ只のゴミに過ぎない。
今も千本以上のビデオテープがその問題に直面している。昨年ビデオレコーダーが故障して駄目になったので。新しいのを買いにいったが、何処にも置いてなく、聞いた事のないメーカーの1台が僅かに売られていた。
早速それを買って帰って使っているのだが,これが故障したら6個のテープ戸棚がほんとにゴミになる。
考えると嫌になる。
もっとも、もう1台古いソニー製が手元に残ってはいるのだが。此の寿命が何時までもつかだ。

17才の時からつけ始めた日記はワープロに転記整理し始めてから,現在はパソコンで初めから書いて,記録している。こちらは殆ど文字だから,日本語が無くなるまでは大丈夫だ。

原書のペン書きの文字ももう薄くなって,見辛いものも中にはある。
先に知覧の特攻記念館や大島の陸奥記念館で見た、兵士たちの遺書などが、見辛くなっていたのを思い出す。
学生時代母が呉れた手紙も随分前に何を書いたのか判り難くなっていた。
百年存続する事はなんでも簡単な事ではない。
私のしていることも、後続が繋がなければ結局空しい事になる。
「古事記」でも「源氏物語」でも丹念な写本がその歴史を伝えていると聞いている。

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2010年2月17日 (水)

次の町内会長

昨日はデオデオにエコポイントを貰いに行く。テレビの交換によるものである。¥26000.の全国共通の商品券を呉れるという。なんだか狐につままれた様な感じだけどまあ貰えるものは貰って置こうと。
ついでに銀行に行ったり,食事をしたりして帰宅する。

午後から夜に掛けてまた写真の整理に没頭する。
目は悪くなるばかりだ。しかし茲に着て投げ出す訳には行かない。
一日かかってCD一枚と今日は進捗率が良い。

2月17日(水)曇
一昨日、昨日と続いた朝の気温5度が,今朝は0度とまた下がっている。
毎日疲れがひどいせいか、夜はぐっすりと良く眠れる。不眠症の家内は羨ましがっているが、代わってやる訳に行かない。

毎日根を詰めた作業が続くせいか便秘になったので,昨夜寝る前に下剤を一錠飲む。
効果覿面、5時前には腹がにがり始め慌てて便所に飛び込む。

パソコンを長時間やると長く俯いた姿勢だから腹を圧迫する。
正規のパソコンの前でなく、応接間に置いている古いパソコンだから、ソファに腰掛けての仕事だし尚悪い。
悪いとは思いながらやる。意固地なのか、こわぐれなのか。
胃腸に良いわけないな。

家内も少しよろけ始めた。心配である。

少し運動を心がけて、身体を動かしながら写真の整理をする。
いくらか体調が良くなった様な気がして来た。
やっとCD7枚目が片付く。50枚くらいあるから、気が遠くなりそうだ。兵隊に行く前から写したのがあるから、70年は優に越えている。仕方がないな。

夕方近く町内会長が来られて、来年度からうちの班が会長初め主要役員を務めることになるので、3月の半ばまでに決めて欲しいと言って来られる。
近所の人と相談して、今月の28日に組員を召集して総会を開き決めていただくこととし、回覧状を早速作って回す事にする。その日集会所が空いてるので使えるとの事だった。10年前には私が強引に押し付けられたが、今回はもう遠慮してくれるだろう。若い人が沢山居るし。

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2010年2月20日 (土)

銅メダル1個でも嬉しい

朝7時半気温0度と外に出るとまだ冷たい。
朝起きるとすぐだから頭がじんじんする。血圧が上がったなと感ずる。悪くすると脳卒中ということになる。
内藤医師の言葉、”9時までは窓を開けるな”が思い出される。
命は格別惜しくはないが、植物人間は困る。
やっぱり俺は強欲なのかな。

バンクーバーの冬季オリンピックが時折気になり、テレビに耳を傾ける。
日本勢はさっぱりの様子。韓国と中国が頑張っている。だんだんアジア勢が勢いを増した感じだ。
何せ地球の人口の半分はアジアに住んでいるのだから、これで公平というもんだ。
こちらは自分の事が忙しくて、他には気が回らない。

高橋がやっと銅メダルを取ったといって一面の大記事。
家内はよくやったなあと感激の態。
私はやっと銅かとしょんぼり。

しかしこんなのはのぼせ上がり易い国民にはちょうど良い。
かって私が少年の頃、ロサンゼルス・オリンピックで水泳全種目のうち4百を除いて残りは全部金を取り、水泳王国と自画自賛し,高揚のあまり戦争に突き進んだ。

成績はよければよいというものではない。
ほどほどが一番良い。金は他に譲るという気持ちが大切である。

写真など、コンピューターの面白さにつられて、保存した記録(データ)CDが、今朝数えてみると百枚以上もある。
これはとさすがに驚く。音楽はもうとっくに千枚を越えているので、もう手は出さないし出せもしない。

大量のゴミだな。何もしない方が良いかもしれない。

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2010年2月21日 (日)

90才は潮時か

どうやらよい天気になりそうだ。朝から日射しがまぶしい。気温は昨日と同じ0度だったが、ぴりっとくる冷たさはなかった。春らしくなってくるのかもしれない。
家内が朝食事の時にちゅーぴー祭りでチチヤスに行ってみたいが込むのではとか言ってたが、何の事かよくわからない。梅乃花が咲いたのかも知れないなと勝手に合点する。

最近の目の状態から,小さい字はだんだん無理だと悟って,今日から14pointにに改める事にした。
私が一番良く使うこのテキストソフトは早速今朝変更した。見易く楽だ。
先だって買って来た¥17800.のパソコンのテキスト表示がえらく大きくて見易い事に気づき,改めるに如かずと考えた訳である。やはり世間は広く見渡さなければ駄目だな。老いては子に従え、世間に従えである。

人並みに所得税の申告をしなければならない。
年金生活だから別の余分なものは何もない。十項目も書き込めばそれで終わりである。
後は銀行の口座から徴集してくれる。
1時間もかけないで終る。明日にでも税務署に届けて来よう。

5時、日が西の山に沈むと俄然寒くなる。

写真の整理もだが,今田君のニューギニア戦線の手記もコピーが忙しい。
画面が大きくて見易いマイクロソフトの安い器械でやる事に決める。4月までに終るという約束だから気ぜわしい。
やり始めてみるともの凄く楽だ。なぜ早く気づかなかったのだろう。
写真は死ぬまで続く仕事だから急いでも仕方がない。

近所の私と同年の人が息子さんからもう運転は罷めてくれと言われて、むくれているとの話を家内が聞いて来てしゃべる。私も時々娘等にやんわりともう止めなさいよと言われているが、娘だからきつくは言わない。
止めるかどうか、自身いささか迷い始めてはいるのだが。
一番の理由は目の具合だ。表示が見えにくくなった。逆光になった時が一番困る。見えないといっていい。
考えてみると危ないことだなと痛感する。今頃は天気のよい日は出ない様に気をつける。
夜は出ない事にしている。対向車のライトは禁物だ。
情けない事だが仕方がない。
しかし、今更歩けと言われても困るんだなあ。

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2010年2月22日 (月)

チチヤスの梅が寂しい

2揃いで何だかすっきりする。が、天地の間は霧が立ちこめてうすぼんやり。
おてんとうさまには関係ない事らしい。
納税申告は早くから決めてる事だし、何時出掛けるかなと思案。

朝2度、昼中には15度になると予報のご託宣。春らしくなるかな。
2月もあと僅か、25日は広島総合病院へ、28日は町内会長選択の組員召集の大役が控えているいる。おちおちして居られない。幸い今の所気力は充実してはいるのだが。
班の仕事は家内任せだから当然班の誰それの顔も判らない。会を仕切る事も運営など出来る筈もない。
単なる名義人として、家内に同席してもらって、全部助けて貰うつもりでいるのだが。

娘から電話で孫が成城大学に合格した由知らせて来る。一先ず浪人は免れた訳だ。おめでとう。
孫の最後の一人だが、英文学部というのだから将来留学でもするつもりかな。
これで冥土への旅土産は出来た.安心立命しよう。

昼前にチチヤスに梅の花を見に行く。殆どの枝を剪定し、花は少ない。木の老齢化が進み、新しい増殖計画でも考えているのだろうか。新聞社の事だからその点抜かりはないだろう。
客数もほんまばらで老人が多かった。昔をいとおしむ人々であろうか。
家内はせっせと歩いていたが、私は此の程度の花では喜べなかったし、足も重かった。

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2010年2月25日 (木)

世は無常

今朝はとうとう気温十度に上がる。五時過ぎ起きて病院行きの準備をする。
余りにも時間が早いので、インターネットをあちこち覗き回る。
6時過ぎ朝めしを食べて、7時20分家を出る。
いつも通り病院では一番乗り。
待ち合いで時間待ちに朝日、毎日、読売とざっと目を通す。
手足があまりよくなっていないので、薬を変えられる。
先生が今回で転勤されるとかで最後の診察となる。僅か1年の縁だった。感じの良い先生だったが仕方ないな。

家内が東北地方の花見のツアー案内が来ているがどうかという。
三春のさくらや蔵王、磐梯方面のさくらを見て歩くらしい。
妹等がまだだろうから誘ってみるという。

克ちゃんがOKしたので、も一人の妹に電話した所、めいが18日に胃癌で無くなって、密葬で済ましたという。享年38才の若さである。
家内も驚いて、残念がって涙を流している。特に祖母に当たる家内等の母には非常にやさしく親しみ、祖母も生前はこの孫(東京に長く居た)のたよりを喜んで待ちわびていたほどだった。
気だての良いいい子だったのにと私も暗然とする。

花見の浮いた気持ちに水を掛けられた思いだが、4月中旬と大分先の事他のものたちで行く事とし一応申し込む。
特に私に取っては最後のチャンスという気がするし、飛行機に久しぶりに乗れるというのが良い。

一方では20日の早朝に曾孫が誕生したという、幸不幸が重なり合って伝えられ、世の無常をしみじみ味わはさせられる。
身辺悲喜交々、花見どころではない騒ぎである。

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2010年2月26日 (金)

金メダルとうとう0か

今日2月26日になると、いつもあの事件のことが思い出される。
中学2年の時だった。知らされたのは当然新聞辺りで翌日か翌々日あたりではなかっただろうか。
偉い事が起きたな、満州、支那では盛んに戦争が激化されているというのにと、先行きの心配が先に立った記憶がある。(当時家にはラヂオも無かったし、新聞に導かれるままだった)
政府の要人が沢山暗殺された。暗殺事件が数年相次いだ。明治維新以来の政治的混迷の時期であった。
しかし世論をよそに転がる様に戦争拡大に向け拍車がかかった。
私らはその担い手になる絶好の年代だったわけである。

今被害者顔をするつもりはないが、むしろ戦争を謳歌し、微力ながらも旗ふりを演じたかも知れない。
真に心あるもの以外は、政府に同調する時代だった。
又私自身立ち止まって、国の動向を凝視するには余りにも若すぎた。

うまうまと政策に載せられて満州に渡り、パイオニアなどという勇ましい掛声の一翼を担うに至った。
その結果国の運命と共に我が家も壊滅から再出発することになった。
愚かな虫けら一匹だった。
顧みて、この日辺りが私の人生の転機だったのかもしれないと思わざるを得ない。
74年前の1936年(昭和36年)のことだった。

昼前雨の中を内藤内科に出掛ける。
外来が少ないせいか、胸のレントゲン、尿検査と念入りに検査してくれる。
血圧もその他も全く異常なしとのこと。安心である。
ついでに身長を検査してもらうと、164.5cmと5cmも縮まっているのに驚く。

頼みにしていた、浅田選手のフィギュアも結局銀メダルに終わり、とうとう日本は一個の金メダルも取れなかった。
努力は誰でもする。しかし結果はなかなか付いて来ない。
今回は特に韓国との落差が余りにも大きかった。良く検討して謙虚に学ぶべきである。

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2010年2月28日 (日)

町内会長選定

気温8度朝からいい天気。班の集会もうまく行けそうだ。
今朝の新聞を読んでると、読書欄にかねてから好きだった「高峰秀子の流儀」という本の書評が出ている.同感して早速Amazonに入りネット注文をしておく。4,5日で入荷するとある。

最近は本屋まで出掛けて探すのが億劫で、この方法が多くなる。段々足や目が不自由になったので致し方ない。
しかし便利な世の中になったものだ。音楽CDなど最近のものに興味の無い老人には此の方法が一番良い。そんじょそこらのCD屋には探しても置いてないのだから。

今日は昼過ぎ班の集会を呼びかけている。町内会長など役員選出のためである。
家内が予め丹念に準備してくれてるので大船に乗った気分なのだが、それでも少し気になって町内会規約を探し出して読む。10年前私が改訂した規約である。ざっと見ればそれでよい。まだ記憶の底に残っている。

私が選出された第1回の総会の時、変な事言って突っ込まれては不可ないと密かにポケット録音機を偲ばせて会に望んだものだったが、今回は止めておこう。主役は私ではないのだから。

昼飯を食い終わるとすぐ会場に出掛ける。
家内と二人で机を配置したり、コップを洗ったり、お茶の準備をしたりして組員の到着を待つ。
1時丁度私を入れて11人出席、過半数を超える。
私の開会宣言で始める。
会長がなかなか決まらない。遅く出席して来た中川さんに私が強引に指名して、皆の拍手を貰いとうとう承引さす。
副会長は欠席した三吉さんにベテラン組員藤井さんからの推薦があったのでこれに決め、万一本人が承諾しなければ私が引き受けるからといって承諾してもらう。他は出席者の申し出でほぼ纏まり、2時には集会の目的を無事終了し解散する。
90才の私の年齢に押されて、まあまあうまく運営されたといえよう。

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