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2010年1月18日 (月)

又有名高校が育った

朝7時気温ー1度。よく晴れていて、風もない。
今朝の中国新聞は一面に岡山Vを大きく載せている。よくやった、地元勢の初勝利、先ずはおめでとう。
高校生のがんばりに尽きるのだが、先の年末の高校駅伝といい興譲館勢は凄い。2位になった千葉県のアンカー新谷も興譲館出身と聞く。最後は岡山のエース中村友梨香に15秒差まで追いすがった。どんな教育をしているのか興味がわく。

汚辱に満ちた小沢の顔を見るのもうっとうしい最近の政局である。次から次へと出てくる贈収賄疑獄、田中角栄とそっくりである。
もう少し清明な政治家はいないのだろうか。これではいつまでたっても日本は救われない。

家内が庭先の夏みかんをほとんど摘果して取り入れる。寒さが厳しくなり実にも木にも悪い影響が出ると心配してなのだが。
毎年妹のところからもらって食べていたのだが、せっかくうちにも庭があるのだからと植木市で4,5年前苗を買ってきて植えたのが今年30個ばかり実をつけた。食べてみると結構甘くておいしい。
妹にも今年も30個ぐらい分けてもらったのだが、来年はもらわなくてすむだろうと妹には告げておいた。

眺めるだけの樹木も最近は繁ってうっとうしい。虫も沢山やってきて、家内はときどき蜂に刺されたりする。みかんのような果樹も出来不出来が激しいから、素人には無理なのは承知なのだが、こうして立派に生ってくれるとうれしいしありがたい。

私ら夫婦も農家出身だから、小さいときは自家果樹園の中で暮らして育った。
その自給自足のよさを知らないわけでなかったが、高度成長の世情の中で、なんでも手にはいる商品経済の便利よさに溺れて、つつましい昔の生活を忘れていた。今もう寿命が尽きるときになって思い出したわけである。

妹から昨日預かった戸籍謄本をコピーして送り返す。
親父の生年月日が知りたくて借りたのだが、妹は親父と清叔父の生年順位(清叔父が兄だと主張)を知りたくて謄本を取ったといっていた。私と妹の多年論争の種になっていたものである。若いものには関心のないことでも、老人には気がかりなことがいろいろあるものなのだ。

私らの父が4歳年上のなのに、清叔父の第一子が8歳も年上というのがおかしいと妹が言い始めたのが原因だが、父の第一子即ち私は父が40歳のとき生まれ、叔父の第一子は」その28歳のときに生まれたのだから、先方の従兄弟が年上になってもおかしくないわけだった。戸籍謄本が無かったら決着つけようがなかったのだが、まあよかった。

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