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2010年1月17日 (日)

阪神大震災の年は私も大変だった

気温ー0.5度くらい、快晴の空が広がりいい天気の夜明けである。
あの阪神大震災から15年という。ここらでも震度4ぐらいだったかな驚いて飛び起きた経験が忘れられない。すぐラジオ、テレビをつけたことは勿論である。
終日釘付けにされた。
テレビでまじまじと次々と広がる惨状を見せられて、地震とはこんなものかと始めて恐怖を実感させられたものである。

あの年は丁度姫路のお城の前のホテルで元日を迎えた。
その前の大晦日に赤穂の城跡や大石神社などを見学し、午後姫路城に向ったがお休みで,元日には無料で内部が観覧出来ると知り、城前に宿を取り翌朝喜び勇んで家内と二人朝早くから城を見物させてもらった次第だった。
当日明石から海峡をフェリーで渡って鳴門まで行ったのだが、その淡路が16日後の地震でめちゃくちゃになったと知り暗涙を呑んだ。
長生きすればこうした奇縁にも遭遇するものである。

此の年は又個人的にも悪い年だった。娘の嫁ぎ先の姑や弟の嫁の実母が相次いで亡くなり、私は運転免許の更新を忘れて、改めて免許試験を受けさせられたりした。今思うと、この地震に気を奪われて5日後に迫った期限を思い出せなかったのが原因とも云える。
老いを実感して,仕事を辞める決心を固め,翌年早々全事業を他人などに譲渡し、完全な年金生活に入ったわけだった。
1995年それは私の人生の区切りをつけた年でもあった。

午後妹から夏みかんを取りに来いと電話があったので、家内と二人で出掛ける。
休日だから市内の車の量はいくらか少なく,順調に行き,順調に帰る。
久しぶりだから女同士のおしゃべりは続いていたが、こちらは女子駅伝を見るに忙しい。岡山勢が高校生などの活躍で初優勝を遂げ,京都の6連覇を防いだ。

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