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2010年1月 1日 (金)

暗鬱な元日

午前8時起き出して、家内の作るお雑煮を食べる。
おとそ代わりの清酒賀茂鶴を杯につぎ、先ずは無事年越しをめでる。
杯を合わせておめでとうというと、はずかしそうに今年もよろしくお願いしますと妻がこたえる。
今朝の気温はー1度、前のうちの屋根や庭木の隅に昨日の残雪がちらほら見える。
空はほとんど灰色の雲に覆われているが、ところどころ青空が顔を出している。
寒さは昨日と変わらないんだろう。

昨日は後の高速道路で40台の自動車衝突事故が発生した。この付近では珍しい大雪に面食らった連中が引き起こしたのだろう。
遠くから来て巻き込まれた人は哀れである。

さむいから老人の出る幕はない。おとなしくテレビでサッカーなどを見る。
やはりガンバ大阪が強かった。アジアのMVP遠藤はさすがだ。

毎年の事だが札幌の山崎君が元気な声で年賀を呼びかけてくる。
昨日は長男さんの所に結集したらしい.子供二人孫8人とか。
もっぱら絵画に熱中している毎日らしい.料理は免許の腕前だから、栄養バランスは自慢ができるとか。

天候は朝からのままで暗鬱な一日に終始する。年賀状にも格別の変化はない。

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2010年1月 2日 (土)

元旦の宮島参拝

朝7時半、東天が明るんでいるだけで日の出はまだのようだ。雲が多いが雨雲では無さそう。
気温2度と昨日よりはうんと暖かい。風はそよともない。

家内と話し合って、宮島参拝を決め、午後1時過ぎ車で出掛ける。
やはり国道は車の列、あとからあとからと続く。駐車場の案内は地元の係員が手を振って合図してくれる。
桟橋を過ぎたところで止める事が出来る。

連絡船の込み具合は案の定ただ事ではない。臨時便が出ているとみえ5分おきくらいに出発する感じ。
どの船も勿論満杯。10分ぐらいで宮島に到着するのだが、凄い人の波で手を握ってないとはぐれそうである。
洪水の様な流れで、油断すると迷子になりそう。

社殿の入り口は混雑してどうにもならないので、入り口で拝んで、裏道を抜け大聖院に向う。
これも道路いっぱいの人の波だったが、流れに乗って無事お参りをすます。
同じ道を帰り、藤い屋に入って休憩、お茶を飲む。30分ぐらいいて桟橋に行く。相変わらずの人、もう5時近くなってるのにまだ参詣の列がつづく。
この人たちは島に泊まるのだろうか。

帰りの船ではいささかへばった感じ。折から雨が降り出したが船の中だから問題ない。
車の場所が桟橋から遠くなかったから、濡れる事もなくすいすいと帰路に付く。
帰宅したのはもう5時を回っていた。Img_1519
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2010年1月 4日 (月)

天皇様のご隠居はないのか

朝7時半、空に雲一つなく正に元旦の日本晴れ。東天丸く茜色に染まり、正にアジアの曙である。
少年の頃胸を膨らませた山中峯太郎の小説のテーマがいみじくも口をついて出る。
気温ー2度。庭先に出て四方を見渡しても雲一つ見当たらない。
後の極楽寺山もくっきりすぐ頭上にのしかかる。

今年は切り良く三が日明けが月曜日で、婿の話しではお役所も儀式はなく普段通りの仕事が始まる由。
民間ではそうも行かないで、うじうじと仕事に手が付かない日が2、3日は続くのだろう。
不景気な時だから気を引き締めてしっかり働いてもらうべえか。

老人も寝てばかりいないで、何か役に立つことでもやれとケツを叩かれそうでもある。

平成は22年目だが、天皇はもう77才とか。平民なら隠居していい歳である。
私は76才までで店も何もかも他人に譲って、一切の仕事から手を引いた。
天皇はそこへ行くとお気の毒である。大丈夫かいなと思ったりする。

昔の様に譲位という制度があってもいいのではと思うがどうだろう、
何事も定年制は必要なのでは。代議士諸公は先年慣例みたいなものがつくられたやに聞いて居るが。
上皇ということになられて、ほっとされるのでは、それがより人間らしい生き方というものでは。

昨日は娘らの好意で孫たち夫婦と一緒に招かれて賑やかなご馳走攻めに逢う。
孫らもそれぞれ今年は子供が生まれるとかで、静かで穏やかな日は案外今日が最後かも知れない。
婿らも皆やさしく、現代的で私の様な関白様ではなくていいと家内は帰宅してからぐちる。

日射しは時間を追うにつれ部屋いっぱいに射し込み、まるで温室である。
シューベルトの「冬の旅」をCDで聞く.バリトンはサイモン・キーンリーサイド。余り馴染みはないが、ソフトな声でこの曲にふさわしい。おやすみから始まって、例の菩提樹、あふれる涙は私の好きな曲。13番の郵便馬車、14番の霜おく髪あたりまではしっかり聞いていたつもりだが、うとうととしてしまう。ふと目覚めるとあの甘美な”辻音楽師”がもう流れている。30分ぐらい眠ってしまったらしい。一瞬の間と思ったが、気持ちがよいので落ち込んでしまったらしい。

昼飯に呼ばれる、正に法悦のときが過ぎた。
ごごになってもほとんど雲はない。
一日これで終れば、新記録なんだが。

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2010年1月 5日 (火)

温故知新

雲多くいい天気で治まりそうにはない。気温3度。

新年になってから、いつものことだが昔の事を思い浮かべる事が多くなる。
いつだったか随分前に岩国の図書館で見つけた「ふるさとの歴史」という本をコピーしたままにしていたのを、思い立って印刷した。読み返したいからである。著者は同じ部落出身らしい山崎武夫さんという方になっている。
全部で140ページになるからかなりの分量である。著者略歴を見ると、大正元年生まれとなっているから、私の8年先輩という事になる。中学校は同窓となっているから、幼年時の小学校も同じかも知れない。

幼少年時に8年違えば、もう姿は見えない。
私はささやかな消息すら知らない。
しかし私から見ると凄い記録を残されたものだと、深い感銘を受け利用させて貰っている。

書き記されてある郷里の年間行事などは,100%身に覚えのあることばかりである。
微に入り細に亘りあますところはない。わざわざ図面や写真まで添えてある。
ここまでくわしく記録した文献をいまだ見た事はない。
おそらく精魂を傾けた労作だと思って誤りないだろう。
斯様な先達が身近く存在する事は郷党の誇りでもある。

存命ならもう百才寸前である。殊更探索する齢でもないので、現在の消息を伺うつもりはない。うやうやしく拝読して、報恩の誠を尽したい。

温故知新という言葉があるが、現代の風潮は温故というような生温い時代では無さそうだ。
古きものはゴミである。焼却場行きである。運がよくても野ざらしである。

数年前市立図書館でその数年前借りて読んだ”醒めた炎”という木戸孝允の伝記を書いた小説をもう一度読みたくなって捜した事がある。
どこにもないので係員に捜して貰った。私の過去の借用記録に載ってるくらいだからある筈だと、係員も一生懸命捜してくれた、しかし出て来なかった。図書館の図書目録にも存在しなかった。何故ないのかわからないという。
私の勝手な推測では、ゴミ扱いにされたに違いない。

余談だが、私の婿が中古本市場を捜して買ってくれたので、今は大切に本棚に保管している。
本は必要なものには、その頭脳に匹敵する。単なるゴミなどであるものか。

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2010年1月 6日 (水)

ふるさとの変容

気温0度とちょっと寒い。すっと素直に起きられない。

ふるさとという言葉が少し気になる。広辞苑を見てもいろいろの定義がある。私は生まれたのはメキシコである.戸籍謄本の最初の行にメキシコの日本領事館の出生受付とあるから間違いない。しかしふるさとという気はしない。

ふるさとは生まれた所という定義はあたらない。
かって住んだ土地ということかもしれない。これなら戦前戦後二十数年住んだからいいだろう。

私のふるさとはもう思い出というイメージの中にしかない。土地の名称も全く変わって、慣れ親しんだ地名は殆ど残っていない。現状はもちろんまるで違った世界である。
戦争で破壊し尽くされた影響が一番の理由である。

しかし昨日も書いた様に山崎武夫さんという先達のおかげで、生き生きとしたイメージの中にきっちりと現存する.有り難い事である。ふるさとの地名”磯崎””室木””麻里布””砂山””えんげし””かたぎどう””大開””向縄””長田””水の浦”等々。境界線まで私の脳裏には地図がさらっと浮かぶ。
よく私が登った”平家山”そして対面する”源氏山”皆懐かしい。

現在は今住んでいるこの市とふるさとの市は十数キロの境界線を挟んで隣りの県であり、隣りの市となった、昔は歩いて一日かかった距離でも今は高速道で10分である。思いもかけない移り変わりである。

テレビで今日から登校と文字が出る。エッと驚く、今日は6日だろう、どうしてっと云うと、家内が澄まして、ずっと前から学校は早くなってんのよと答える。
私はうかつにも始業式は1月8日とばかり思っていた。
これまた移り変わりが激しい。ぼんやりしていると置いて行かれるわけである。
勉学に追い立てられる子供たちもまた哀れだな。

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2010年1月 7日 (木)

小沢征爾活動停止

朝の気温ー1度。よく晴れて雲は見えない。薄くもやって青空も定かではない。
沖の島々はうっすらと浮かんでいる。

いい天気のお蔭で今日も温室暮らし。日中は文句をいうことなし。
寒い国の人々に申しわけない気持ち。
マーラーの第6などフォルテに鳴り響いてもいっこうに構わない。
居眠り傾げに2、3時間も過ごす。老人の逸楽である。
しれでも暑いからと窓を開けば肌を刺すつめたい風が踊り込んで来る。外は怖い時期なのである。

家内が時折パスポートの期限が切れるからどこかに行ってきたいといっている。
私はもう駄目だからと相手にしない。
娘にでも頼めというのだが、娘たちが皆忙しそうで相手にしてもらえない。
妹の美恵子さんはいつでも行くよと云ってるそうだが。

食事の間に間にテレビを見てると、今日始業式の学校もあるらしいし、よく聞けば明日の始業式というのもあるそうな。私の覚えにまんざら間違いはなさそうだ。
結局都合により変更するという事らしい。何事も軍隊式に杓子定規にやらないのが現代風ということか。
人間の社会はおおまかなものだが、コンピューターはそうは行かない。年末に買って来たパソコンの中古がスイッチを押しても真っ白になるだけで、絵が出ない。とうとうヤマダ電機にもって行く。半月ぐらいしか経っていない。店員さんがいろいろやってみて、他のディスプレイならまともにつくので、ディスプレイの故障だということで、修理するから2週間まってくれということになる。
少し早すぎる故障だが、¥17800.なりのパソコンではこんなものかと諦める。
安いという事は悪いということでもある。

大好きな指揮者小沢征爾が食道がんで治療に専念のため、半年活動を停止すると、さっき昼のニュースでやっていた。今はがんでもたいてい治っている。森繁久弥は歳相応の寿命だから仕方がないが、こちらはまだ若い。すばやい再起を期待したい。

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2010年1月 9日 (土)

迷惑電話

連日夜明けはよく晴れていい天気が続く。
今朝は0度だった。

一昨日の晩から変な電話が夜中にかかり始めた。いつも0時前で寝入りはなである。
出ないと何度でもつづく。出ると切れる。いたずらの様でもある。番号が表示されない。
非通知電話はディスプレイが断ってくれるから、それではない。

表示はただガイセン チャクシンと出るだけである。数字がないから、どこからかわからない。敵もさるものである。
今晩も続くようなら「迷惑電話」に入れてしまわなくてはならないだろう。

昼には箪笥などを処分したいから、見積もってくれと私の方から電話があったと云って、牛田から業者が訊ねて来る。寝耳に水で驚く。
変な事が続くのだがどうしたことだろう。
老いたりといえどもまだブログが書ける程なるに、何をたわけたことを怒り心頭に発するところである。

往年の名歌手栗本尊子さんがラジオで歌っている。私と同い年の90才である。
凄いソプラノに驚く。鍛錬のたまものだろうか。私はもう普通の声も出ないのに。

昼前頃から雲が出て来る。従って寒さもきびしい。
おやつの時間にお茶を飲みに下に下りても、寒くて長居は出来ない。
早々に二階に戻る。日の射し込む日は温帯と寒帯の差が出る。

家内は身体をよく動かしているから、あまり寒さを感じないらしい。
寝たり起きたりの私は体温がないからだめだ。

しかし4時半になると日が西の山陰に沈む。途端に寒気が襲って来て、極楽も終わりである。
やはり春が待ち遠しいな。

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2010年1月10日 (日)

核廃絶を云う前に核を持て

気温4度の夜明け、小雨がちらついたらしい形跡。
午前9時曙光すらまだ見えない。
 
日々が過ぎ行く.我が輩の誕生日あと旬日を残して、遅々として近づかない。早い様な遅い様な複雑な思い。

寒さつのり、ついに上衣は今日より5枚を重ねる。
その上おりおりストーブを焚く。老人なるものまことに金のかかる代物なり。
冬至はすでに先に過ぎ去った。しかし冬日の時間はなお慌ただしい。
朝食事を終ればもう9時、午後5時にはもう暗い。

政局は対米関係を巡ってぎくしゃく。下手をすると政権の息の根を止めかねない。
所詮仮装社民党政権だから、長続きするわけがない。

戦後すでに半世紀を経過した。このまま米国の原爆の傘の下で良いか。
北朝鮮のごとく蛮勇をふるって、核保有国になるか。自立の道はそれしかないのか。
強力な軍隊をもち、国民皆兵に向う。いや、それは避けてもらいたい。
衆愚は武器を持つと何をし出すか判らない。前例はいくつもある、経験者もまだ沢山居る。

核廃絶はいい言葉だが、核のない国がいくら大きな声を出しても犬の遠吠えにしか過ぎない。
核を持ち、完全に配備した上で云うのなら世界に通用する。
その覚悟を固める時期になっている。
核を一番よく知っている国民は日本人である。今更核から逃げ回る事はよそう。

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2010年1月13日 (水)

今天佑はあるのか

昨夜の冷え込みで雪が少し置いている。マア1cm程度か。
気温はー1度。日中も3度ぐらいしか上がらないと云うから今日は一日寒そうだ。
老人の一番苦手な日だ。
朝は用心のため便所にまでヒーターを持ち込む。昨夜は風呂の脱衣場に持ち込んだり忙しい。
娘らの住むマンションなどではビル全体が暖まっているから,こんな心配はいらないのだろうが。
老人家庭は火事が起きやすい。一番の泣き所だ。

午前9時幸い日が照り始めた。雲は見えない。
日が射し込んでくれるとこの部屋は温室だ。日脚が1m、2mと延びている。まもなく暖かくなるだろう。

昨日はかかりつけの内藤医師がくれぐれも朝9時までは窓を開けるなとこんこんと忠告してくれた。最近目立って朝倒れる患者が増えてるのだそうだ。朝起きて急に冷たい空気に逢うのがよくないとか。
私は血圧は正常で昨日も132という事だった。ただ気温変化で簡単に200以上に上がるからとおどされる。

ストッと死ねるのなら望ましいのだが,半身不随なんかになって病人暮らしはごめんこうむりたい。私らの親たちは皆永年の闘病生活で自身も苦しみ,側の私たちをも困らせた。あれだけはと今一番の気がかりの点である。
癌なんかにかかって、余命3ヶ月ですなんていわれると却って安心出来るかも知れない。
最後の寝床は短い程いい。

政権交代して、世の中が良くなったか今問われんとしている。
景気は悪くなるばかりだし,失業者はふえるばかり。救済にとうとう金配りまで始め出した。

私の幼少時代失業者が乞食になって戸別にお米やお金を貰って歩いたり,路傍に座って頭を下げっぱなしして物乞いしていた時代が蘇った気がする。
今は国が税金を使って助けているから目立たないだけである。
物や金をもらって生きている状況は同じである。

あの時は下級兵士が反乱を起こした。満州事変など戦争を始め結果的に景気は回復した。
戦後一億総乞食の時代が訪れた。アメリカの喜捨に縋り,最後は朝鮮戦争のおかげで立ち直った。

一筋縄では景気は回復しない,前例がよく物語っている。

歴史は繰り返すとか。老人には力はない、ただ天佑を願うのみである。

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2010年1月16日 (土)

我が家の会計年度

殆ど部屋の中で過ごしたから,外界の事を云う資格はないが,朝の気温は0.5度くらいだったし,照ったり曇ったりしたので,結構暖かかったのではと思ったりする。
もっとも昨日買ってもらったパジャマのせいがあるかもしれないが。
パソコンと終日にらめっこしてても,鼻水がぽとりと云うのは今日はなかったな。

一応家計簿の締めは終った。経費が大分減ったかな。旅行を殆どしなかったのが大きい。
外国へはとうとうどこにも行かなかった。もう行けないな。
しかし何もしなくても、介護保険、国民保険、住民税など天引きしてくれるのは驚く程大きい。
呉れたり,取り上げたり、独り相撲をやっていらっしゃるようで、お上とはおかしなものだね。

差し引き貯金が少し溜まった様で、金融機関のご機嫌がいいらしい。
年の暮れから新年と贈り物のシーズンだからといって、いろいろ子供のおもちゃのように、沢山貰って家内は私に振ってみせる。

寒いという事はやはり血の巡りを悪くするので、いい智恵はまるで出ない。ブログなど人様に見せられるようなものはもちろんだ。
しかし歳を取ったお蔭で面の皮があつくなったらしく,臆面もなく恥部をさらけだすことはできるので、こうして時々はくだらぬ世迷いごとをしゃべる。

正月早々故障した,安物の中古パソコンが驚く程大きな包装になって帰って来た。
ディスプレイの故障が直らないので同等品と交換したと説明書きがある。
早速ひもどいてスイッチを入れてみると今度はさすがに快調である。
膨大な包装に随分お金がかかっただろうなと、無償修理だけに気の毒な気持ちがしてならない。

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2010年1月17日 (日)

阪神大震災の年は私も大変だった

気温ー0.5度くらい、快晴の空が広がりいい天気の夜明けである。
あの阪神大震災から15年という。ここらでも震度4ぐらいだったかな驚いて飛び起きた経験が忘れられない。すぐラジオ、テレビをつけたことは勿論である。
終日釘付けにされた。
テレビでまじまじと次々と広がる惨状を見せられて、地震とはこんなものかと始めて恐怖を実感させられたものである。

あの年は丁度姫路のお城の前のホテルで元日を迎えた。
その前の大晦日に赤穂の城跡や大石神社などを見学し、午後姫路城に向ったがお休みで,元日には無料で内部が観覧出来ると知り、城前に宿を取り翌朝喜び勇んで家内と二人朝早くから城を見物させてもらった次第だった。
当日明石から海峡をフェリーで渡って鳴門まで行ったのだが、その淡路が16日後の地震でめちゃくちゃになったと知り暗涙を呑んだ。
長生きすればこうした奇縁にも遭遇するものである。

此の年は又個人的にも悪い年だった。娘の嫁ぎ先の姑や弟の嫁の実母が相次いで亡くなり、私は運転免許の更新を忘れて、改めて免許試験を受けさせられたりした。今思うと、この地震に気を奪われて5日後に迫った期限を思い出せなかったのが原因とも云える。
老いを実感して,仕事を辞める決心を固め,翌年早々全事業を他人などに譲渡し、完全な年金生活に入ったわけだった。
1995年それは私の人生の区切りをつけた年でもあった。

午後妹から夏みかんを取りに来いと電話があったので、家内と二人で出掛ける。
休日だから市内の車の量はいくらか少なく,順調に行き,順調に帰る。
久しぶりだから女同士のおしゃべりは続いていたが、こちらは女子駅伝を見るに忙しい。岡山勢が高校生などの活躍で初優勝を遂げ,京都の6連覇を防いだ。

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2010年1月18日 (月)

又有名高校が育った

朝7時気温ー1度。よく晴れていて、風もない。
今朝の中国新聞は一面に岡山Vを大きく載せている。よくやった、地元勢の初勝利、先ずはおめでとう。
高校生のがんばりに尽きるのだが、先の年末の高校駅伝といい興譲館勢は凄い。2位になった千葉県のアンカー新谷も興譲館出身と聞く。最後は岡山のエース中村友梨香に15秒差まで追いすがった。どんな教育をしているのか興味がわく。

汚辱に満ちた小沢の顔を見るのもうっとうしい最近の政局である。次から次へと出てくる贈収賄疑獄、田中角栄とそっくりである。
もう少し清明な政治家はいないのだろうか。これではいつまでたっても日本は救われない。

家内が庭先の夏みかんをほとんど摘果して取り入れる。寒さが厳しくなり実にも木にも悪い影響が出ると心配してなのだが。
毎年妹のところからもらって食べていたのだが、せっかくうちにも庭があるのだからと植木市で4,5年前苗を買ってきて植えたのが今年30個ばかり実をつけた。食べてみると結構甘くておいしい。
妹にも今年も30個ぐらい分けてもらったのだが、来年はもらわなくてすむだろうと妹には告げておいた。

眺めるだけの樹木も最近は繁ってうっとうしい。虫も沢山やってきて、家内はときどき蜂に刺されたりする。みかんのような果樹も出来不出来が激しいから、素人には無理なのは承知なのだが、こうして立派に生ってくれるとうれしいしありがたい。

私ら夫婦も農家出身だから、小さいときは自家果樹園の中で暮らして育った。
その自給自足のよさを知らないわけでなかったが、高度成長の世情の中で、なんでも手にはいる商品経済の便利よさに溺れて、つつましい昔の生活を忘れていた。今もう寿命が尽きるときになって思い出したわけである。

妹から昨日預かった戸籍謄本をコピーして送り返す。
親父の生年月日が知りたくて借りたのだが、妹は親父と清叔父の生年順位(清叔父が兄だと主張)を知りたくて謄本を取ったといっていた。私と妹の多年論争の種になっていたものである。若いものには関心のないことでも、老人には気がかりなことがいろいろあるものなのだ。

私らの父が4歳年上のなのに、清叔父の第一子が8歳も年上というのがおかしいと妹が言い始めたのが原因だが、父の第一子即ち私は父が40歳のとき生まれ、叔父の第一子は」その28歳のときに生まれたのだから、先方の従兄弟が年上になってもおかしくないわけだった。戸籍謄本が無かったら決着つけようがなかったのだが、まあよかった。

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2010年1月19日 (火)

枯れ木ばかりの植物園

午前7時東の空は明るんでいるが,曙光はまだ見えない。気温1度,やや暖かい。
昨日から朝煖房を自動セットした。さすがに起き上がりやすい。何も老人が早く起きる必要があるのかと怒られそうであるが、最近どうも早く目覚めて寝床にじーっとしておられないのでやむを得ない。

もう3日すれば90歳になるが,朝だけは脳の働きがいい気がする。午後になると眠気がはびこって何も出来ない。だからパソコンなんてものは朝のうちの仕事と考える様になった。
窓を開けるとそれこそ新鮮な空気が吸えて,頭がはっきりする。内藤先生には怒られるから内緒だが。

よく晴れて雲は一つも見えない。家内が岩国へでも行かんかと誘うが、どうも億劫でみこしが上がらない。
昔は1月にはよく出掛けたものだが、もう駄目だな。寒いし身体が重いし、老人がよぼよぼと動き回る月ではない。

パソコン3台をいじくりまわす。年末には1週間ほっておいたら動かなくなった経験が、器械も老人並みに寒さに弱いのだろうと、せめてスイッチぐらい入れてやるべーと思い立たせたわけだ。

老人にもインターネットというのは、飽きる事のない遊び相手である。年端もゆかない子供たちが熱中するのも無理ないといつも感じている。
暇を持て余している私にはこれ以外に今考えられない。

最近思いついたのだが、私の写真史を作ろうと資料を捜し始めた。
案外大変なこともわかった。どんな風にするか体裁が決まらない。もちろん肝腎の資料集めが一番難しいのだが。一々コメントも付けないと参考にならないだろうし。
余命いくらもないこの老人がやることかとも思うが、道中双六を楽しみながら行くか。

昼前家内にいざなわれて、植物園にしぶしぶついてゆく。冬の園内は見るべきもの全然なく。歩き回る足が重い。山登りはやめておく。人の数も点々として10人もいたろうか。
レストランは休業し,喫茶室みたいな所でカレーライスを食って帰る。
天気がよかったおかげで、汗ばむ程,いい運動にはなったかもしれない。
(写真はそてつのはな)
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2010年1月20日 (水)

老人は消え去るのみ

午前7時空はまだ暁暗が濃い。気温6度。雲が多く雨になるかも知れない。

ハイチの大地震の被害が1週間になってもはっきりしない。首都付近を襲ったので,情報の中心を失った影響と思われる。被害者国民の3分1の300万人,死者は5万とも20万ともいわれはっきりしない。
救援は国連初め世界各国から派遣されていても、瓦礫に塞がれてどうしようもないという。

首都機能はかほどに重要である。関東大震災からぼつぼつ一世紀になる。あの惨禍はもう跡形も残っていないが,次の来襲があったらどうなるか。当然前回の比ではないだろう。下手をすると国運を左右するに違いない。他山の石としたいこと勿論である。

7時半東天はすっぽり雲に覆われて日射しは見えないが、やっと空は白んで来た。

昼になっても,日射しのないままが続き,気温も上がらない。
予報では東京は最高17度とか,全国的に暖かいとされたが、それほどでもなさそうである。

毎日日記をつけている。
当然同じ様な言葉が繰り返される。
自分が読んでも面白くもなんともない。
他人だったらもっと面白くないだろう。
だから書く事は永年の習慣で毎日書いてるが,読み返す事はまるでない。

過去の日記をプリントするのにふと目を通すと、あれっ、これ今年の事ではと思ったりする。
去年と全く同じことを書いている。
なに、毎年同じ様な事を繰り返している証拠だ。

家内が医者から帰って来て、他の患者から聞かされた話をしてくれる。
よだれが出て困っている話を聞き、あれ、俺も最近よだれがよく出る,鼻水も、涙もよく出る。やはり人並みに出ているのだなと気づき合点する。
老人とは姿形だけでなく、すべての機能が老人なのだ。

彩寧が相変わらず良く動く。万歩計を付けておいたら、7000歩になってたと聞いた話を家内が聞かす。
曾孫の成長が早い。老い耄れはますますいばを失う。これこそが自然の理だ。

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2010年1月21日 (木)

真っ暗な朝

病院に8時半に予約しているので,6時に起きるつもりで居たが,5時半に目覚めそのまま起きる。
あまり寒くないのでベランダの寒暖計を覗いてみると12度になっている。一瞬目を疑ったが間違いない。
まるで春の気候だ。しかし外に目をやると小雨が静かに降りそぼっているようだ。

着替えをすますと、早速パソコンに向い今日の日記を書き始める。
三島歯科の先生がいつもながらの誕生祝いのハガキを早々と昨日届けられた。律儀と云おうか,商売熱心と云おうか、恐れ入る。

だからでもないが、最近は誕生日を忘れる事はない。他に用事もない事だしなあ。
しかしまだ明日の事だから何が起きるかわかったものではない。
明日になったら素直におめでとうを受け入れよう。

まだ外は真っ暗である。物音一つ聞こえない。新聞配達の音もまだだ。
今ラジオを消したままだから恐ろしい程静寂である。窓を開けて耳を澄ませば、微かな街の騒音のなごりとも思える音がひそやかに伝わって来る。

朝食を終えると7時半家を出る。
最近は症状は悪くないので,爪の薬のローションを増やしただけで変わりはない。
天候が悪いせいか患者の数も少ない。簡単に終って帰宅する。まだ午前十時前だった。

東京の娘が春のハワイ行きを予約したという。家内に誘いがあったが,十年前に行ってるから、気乗りはしてないらしい。行って来いやとプッシュする。ハワイ島の火山を見て来いというのだが。足の指の痛いのが気になるようだ。

朝早かったのでベッドへまたもぐる。昼までぐっすり。

午後家内のお供をしてスーパーで買い物。
久しぶりに中国産の落花生の皮付きを買って来て,剝きながら腹一杯食べる。
戦争最中易俗河で敵機の執拗な襲撃を避けながら,落花生畑に侵入して、まだ未熟な実を丸ごと煮て食べて、空腹を癒したことが思い出される。

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2010年1月22日 (金)

私も卒寿か

朝の気温2度、北側には雲はないが南側は雲が多い。何とも云えない天気。
なんとか満90才になった。マアともあれ元気なのがよかった。
祖父母や両親を超えられたのはやはりちょっと誇らしい。”身体髪膚これを父母にうく”と故人が云った様に,皆父母のお蔭には違いないのだが。この詩の次の文句”敢えて毀傷せざるは孝の始めなり”はその努めを果たした事になる。もっとも孝の終わりは果たせなかったのは明白で申し訳ありません。

しかしよもやが現実のものとなった。後はほんとに余分の生である。
もう闊達に生きて行こう。何でも来いである。

暇に任せてときどき思い出した様にニューギニア決戦の手記を読みながらかつコピーしているのだが、相変わらず遅々としてはかどらない。
左手4本右手3本で叩いているのだから、思う様に定まらない。
昨日も病院の先生が私とのやり取りを手早くパソコンに打ち込んでいるのを見て思わずため息をつく。
前の先生は私がパソコンをいじってる事は、いつかしゃべった事があるから知ってたのだが、この先生は知らないい筈だ。何の為のため息ととったか。ときどき変な癖が出て困る。

5月にはこの戦記を仕上げた今田君に報告したいのだが間に合うだろうか。まだ半分も行ってない。

いつかこのブログに載せたダンピール海峡血戦だけでいいと私は思っているのだが、後は蛇足と云っては悪いかな。読者からのコメントもいただいているし。

今朝のラジオの音楽はフンメルのものばかりだった。ベートーベンと競ったとの事だが、なかなか良かった。私の誕生日を祝福してくれたと受け取った。

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2010年1月24日 (日)

都道府県対抗駅伝競走

午前7時丁度、空快晴、放射冷却現象かー3度と今冬一番の低温。東天曙光鮮やか。
間もなく日の出を見ん。
本日行われる府県対抗男子駅伝祝砲か。広島県勢の期待十分なり。

午前中ほとんど東部ニューギニア戦記の書き写しを続ける。不利な状況下での生々しい行動の数々は読む方が面白く,書き写す指先はまどろっこしいばかり。

午後始まった都道府県対抗駅伝は結局広島はスタートの竹内がブレーキを起こし、なんと背番号と同じ34位と1区から出遅れた。京都の高校駅伝優勝の立役者だったし、唯一人区間新記録だった竹内のブレーキだった。
早速私は勝負を諦めたのだが,それからが凄かった,2区3区で5位に上がり、最後は鎧坂の粘りもあって4位で終った。惜しかったがよく戦った。こういうことは何時何処でも起きる事、長野も風邪の為に選手を3人も直前にかえなければならなかった。アンカー佐藤が5位まで持上げたのはこれ又立派と云える。
郷土の福島で出場した中電の佐藤がチームを押し上げアンカーで二位に終ったが,この福島県に初優勝させてやりたかった。最後に足の長さで3秒兵庫の竹沢に及ばなかった。
老人なので道路まで出て観戦する事は出来ないので,テレビ観戦に終始したが、久しぶりに駅伝の面白さを十分味わう事が出来た。ありがとう。

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2010年1月25日 (月)

卒寿

宮島も霞の底、辛うじて山容を残す。朝7時半気温3度。何時降り出してもおかしくない。

午前9時冷たい雨が降り始める。

昨夜は夜半汗をかいて寝苦しく目覚める。電気毛布の温度調整が悪かったらしい。風邪かと気になったが、そうではなかった。
おかげでイヤホンでDVD音楽を聞きながら眠っていたのを忘れて、外したまま朝まで過ごし、一晩中音楽が鳴りっぱなしになっていた。
25時間録音だから別に問題ないが,朝起きて続きを聞く事になる。

家内の部屋のクーラーも私の部屋のクーラーも煖房が出来る物だが、古い器械だからか、今の寒さではまるで効果がない。どうしてもストーブの助けがいる。
それでも家内は朝はいつもセットしているようだが、私は滅多に使わない。天気が良ければおてんとさんでまるで問題ない。雨なら寝るだけだ。

卒寿になっても、いろいろ薬のご厄介になってはいるが、かゆいだけで格別痛いとか苦しいとか無いだけに太平楽が並べられる。
卒寿の卒は九と十を重ねた字が卒の略字と同じなので、こじつけて使われていると聞いているが、いみじくも卒は卒業の卒でもある。人生を卒業しろ、いやしたいかな、どちらにしてもいい語呂合わせなのだが、なかなか思う様には行かない。

祖父母たちがその子や孫共にあなどられ,寂しく死んで行った模様が思い起こされ、なんだか後悔と今のしあわせとがないまぜになってわびしい。

昔は苦しい事つらい事は皆自分のせいにして、じっと我慢してくらしていた。因果応報などと言ったりして。今はなんでもかんでも政府が悪いと訴えて,賠償を取ったりする。アメリカが落とした爆弾まで日本政府に引いては日本国民の子孫に損害賠償をさせている。おかしくないのだろうか。

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2010年1月26日 (火)

夜半の目覚め

午前1時ふと目覚める。何か訳の判らぬ夢を見て驚いたらしい。
いつか聞いて録音していた見残しの塔の作者久木綾子女史の対談模様が耳にはめたイヤホンから聞こえて来る。これが原因かも知れない。
イヤホンを付けたまま眠ったらしくこの対談を聞き終わるとイヤホンを抜いて、ほんとに起き上がる。
早速パソコンに向って今これを書いている。
久木女史は私と同い年で、始めて89才にしてこの小説「見残しの塔」を出版して有名になった人である。
だから私もというわけでは決してないが、ただぼんやり長生きしているだけでないという人がいるということが私を元気づけてくれる。

大昔私が山口で暮らしていた時代もちろんこの”見残しの塔”の瑠璃光寺の五重塔はすぐ近所であったせいもあって、何度も何度も足を運んだ場所である。最近の様にたまに行ってパチパチ写真を撮るというようなことはしなかった。
こうして小説の題材になったりすると又格別な感情が湧き出るということである。
若いときそんなに凄いものだったかなあと改めて啓発される思いである。恐らく富士山の見える所で暮らしている人が感じている富士山に抱く感情などに近かったのではと今思ったりする。

先般家内に買って貰ったパジャマを着込んでパソコンに向っているのだが、室温12度となっていて,そろそろ寒くなる。また一寝入りするとしよう。

午前7時半気温0度、快晴。もっとも白雲が点在し日本晴れとは言い難い。

昼前からデオデオにテレビを買いに家内と出掛ける。家内の部屋は大きさが六畳だから40インチでいいと決めて、係員と交渉する、LEDバックライト入りの方が画面が明るく明瞭なので、ちょっと高いがそれに決め、とりつけ台もつけてもらう。特別割引などあって,旧品2台の引き取り料も入れて¥208.000となる。
1Fのスーパーで食糧を買い、食事も済ませて帰宅。
途中でセルフのスタンドでガソリンと灯油も補給を済ませる。
奮闘したので疲れて昼休み。2時間も眠る。

毎日聞いているDVDアルバムは現在28本目だが、最近のは皆1本20から25時間程度録音している。
録音内容はクラシック主体だが、今朝程の対談や落語、朗読、ドラマや映画の一部勿論背景音楽や科白など画以外は皆入る。音楽はジャズ、流行歌、シャンソン、カンツォーネ、軍歌、民謡となんでもはいる。
ドラマなどは画面がない方が描写が鋭くなった気がして面白い。
聞くのもiPodのイヤホンを使うのだが、これが又良い。下手なスピーカーなど及ぶところがない。
ただ耳からこぼれると聞こえなくなるから時々消し忘れるのだが。

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2010年1月27日 (水)

技術の進歩にもう追いつけない

気温ー2度、やや寒い。放射冷却か。
クーラーをつけてみたがやっぱり効果無し。夏までお預けだ。

最近になって、何の気なしにレコーダーの指示のままにVRモードで録画したDVDが拒否される機器が手元にもいろいろある事に気づき、対応に苦慮する事になった。先ずこのパソコンが対応しない.従来のビデオモードなら何でもないのだが。従って編集しよとしても片から受け付けないのでどうしようもない。

旅行などビデオカメラで撮ったやつでも、今までは何でもなかったのに、最近のはわざわざビデオモードのDVD-Rを買って来てダビングし変えなくてはならない。面倒な事だ。CD,DVDラジカセもそうだ。VRモードは全く受け付けない。

性能を追及するあまり、技術が進み過ぎた。素人には手に余り極端な事を言えば、宝の持ち腐れになりかねない。もっともメーカーのマニュアルには、基本ソフトを最新のものを使えば大丈夫とも書いてあるのだが。
私の場合はパソコンを最新のものに買い替えなくては駄目だという事だ。どうなるものでもない。

今私の使っているムービーカメラにしろ、デジタルカメラにしろ、記憶装置はSDというものだ。これが真に曲者で2Gとか4Gとかいって、何千枚も写せる様なのだが、旅の途中でもう余裕がないと表示されたりする。500も600枚も写されてはいるがどうしていっぱいになったのだろうか予告されないから、だまし討ちにあったようなものだ。
よく説明を呼んでみると、写す1枚1枚の画面の大きさが、最初の指定によって大きく違う訳だ。仮に大きさが十倍違えば、枚数としたら十分の一しか写せない。そんな注意書きはどこにもない。マニュアルに書いてある、細かい数値を見て自分で計算するしかない。

先だっての天橋立観光も肝腎な橋立ては写せないまま、市販の使い捨てカメラを買って写した次の行程の写真だけが残った。
自分の無智をあざ笑うだけなのだが、文明とはげに恐ろしきものよだ。

晴子が拾って来た猫の写真が3枚メールで届く、余りに悪相に啞然とする。
昔私の娘らが手名付けた野良猫デブを思い出す。彼も凄い悪相だったなあ。強い猫だったが。

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2010年1月29日 (金)

何故アナログでいけないのか

今日は先般買ったテレビの入荷日。40”の大型だけにどういう風に持ち込み置かせるか頭を悩ます。それ以上に今あるブラウン管の29”を持ち帰らすのに,狭い家具などの間を抜けらすのに一工夫が要りそうだ。もう何の役にも立たない老夫婦があれやこれやと心配する。

私のテレビも二階から持ち帰らすのに階段が大変だ。もう私の手には負えないから任す以外にない。料金も余分に要るし。まあ怪我しない様に祈るだけだ。

10時前デオデオの人やって来る。バタバタと手早い。引き取り、新設あっという間に終る。取り扱いの説明を済まし、引き取り費用代金の支払いを受けるとさっさと退散なさる。
台が大きくなった分,付属の機器の取り込みが出来てすっきりする。

私の部屋もデジタルの28”を下から上げてもらってすっぽり収まる。
早速スイッチを入れて、N響の定期の模様を見させて貰う。ヂュトワ久しぶりの指揮である。良くて当たり前である。

しかし考えてみると、アナログを廃止して,デジタルに変換するというのが、私にどうもピンと来ない。
周波数が沢山使えて、通信容量が増えるというメリットはわかるのだが、何故アナログを廃止するかという事がよくわからない。コピーが本物と変わらないなどはデジタルに任せておいて、色調も音声もだんだん劣化するアナログでもいいのではないかと思ったりする。素人はそれでも簡単な方がいいと思う。

まだまだ10年も使えそうなテレビがゴミになるのである。引き取られて行くテレビに手が出そうになるほど愛着を感ずる。政治か何だかうさんくさい臭いがふんぷんとしてたまらない。全国ではデジタルでは見えないところがまだかなり沢山あるというのに。

夕方家内に注意されてあわてて内藤内科に出掛ける。今日は幸い外来が少なく,心電図も手早くやってくれるし,診察も簡単に済む。なにもかも異常無しである。
5時半を過ぎてもまだ明るい。大分日が長くなったな。

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2010年1月31日 (日)

90才の悔悟

朝7時半起床、気温7度。雨は上がっているが庭先はしとどに濡れている。夜中にかなり降ったのか。
付けっぱなしのラジオのせいで雨音は全然聞こえなかった。

雨空はそのまま残り何時降り出してもおかしくない感じ。もちろん四周は霧が立ちこめて暁暗まだ続きありというところか。

税務署より早くも所得税の申告用紙届く。もうそんな時期かと心せき、また旅にでもと思い立ちし決心萎ゆ。

今年満90歳にとうとう到達してしまったが、10年前満80歳になった時、ハワイに夫婦で出かけ,祝福を受けたりしたことがあったが、あの時はまだ死を考えるいとまがなかった気がする。
しかし当日の日記を読むとそうでもないようだ。
ーーーもう先が無い今となっては、考えることは殆ど過去のことである。子供のころ、夏よく見かけた蜘蛛の空飛ぶ光景が思い出される。空を飛ぶといっても、羽のある昆虫のように羽ばたいて飛ぶわけではない。

尻を空に向けて糸を噴出し、風のまにまに流れ行く糸がどこかの樹の枝にひっかかり、固定されるとそれをつたって、するすると空中を移動するわけである。

人間の運命はどこかこの行為に似ているのではと思うのである。

人間もある時現状に慊らなくなり、ある決断をして、違う道に歩み出す。
確信がある場合もあれば、無い場合もある。ほとんどは後者の場合かと思われる。しかし人間はそれでも敢えて歩み出す。そして後返りは出来ない。いや行為そのものはやり直せても、時間は取り返せない。

この人間とは勿論私自身のことでもある。

今まで一口に運命だと云って、自分の人生を片付けてしまっていたが、運命の糸を空中に投げ出す行為は自分の意志に基づいている。人生の岐路を決めたのは、半ばはやはり自分であったかもしれないと、深い悔悟に捕われるこの頃である。

しかしこれすらも運命だといえば何も云うことは無いが。ーーー

茲に書いている悔悟の念は今も変わらない。が、もう万事終ってしまって、良いも悪いもなにもない。
私の人生が浮かび上がって歴然と見えている。その後余分ではあったが幸福に恵まれて、楽しい十年だったなあ、

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