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2009年12月 7日 (月)

大東亜戦争開戦の日、私は一兵士だった

明日は大東亜戦争開戦の記念日である。
近年この日の反応は静かすぎるくらいである。68年も前のことだから仕方がない。
それでも線香花火のごとく時々思い出した様に新聞記事になる。
その一つを敢えて記しておこう。
天下の朝日が大きく半面を割いて掲げた記事だったからである。そして私の言葉が知らぬ間に載せられていたからである。

1998年12月当時niftyが運営する数百の会議室(通信フォーラムと総称した)の中に”戦前、戦中フォーラム”というのがあった。自由に戦前、戦中の体験を中心にああだった、こうだった、ああでもない、こうでもないと議論が白熱していた。私もその一員だった。盛んに一兵士としての体験を投稿連載していた。
そしてある日、たまたまこの日が12月8日であった。

1946年のあの日を思い出した。まだ明瞭に記憶していた。丁度富士山駒門の廠舎から自動車行軍数車両で伊豆へ向っていた。トラックの荷物台に満載された我々兵士に向って盛んに手を振る住民そしてみかんが沢山投げ込まれた。歓迎の意思表示と受け取った。
それにしても異常だなと微かな驚きがあった。

そして修善寺の温泉街の一角で正午の大休止となった。
一レストランに入り茶の接待を受けながら携行の飯盒の底をつついた。
折から店のラジオから景気の良い音楽と共に、東條首相の甲高い演説の声が流れた。
ハワイ奇襲を告げ、国民の奮起を促す正に雄叫びだった。
この時の私の感興を書いたのが下記新聞報道の”>以下の部分”である。

  __________________________
00059/00059 SDI00751 水城 雄     12月8日に掲載された朝日新聞記事全文
( 4) 98/12/16 08:50 00002へのコメント

 遅くなりましたが、朝日新聞社会部の記者のNさんから記事全文を送っても
らうことができたので、こちらで紹介します。
 写真はありませんが、新聞に掲載された記事の全文です。


 朝日新聞1998年12月08日朝刊社会面から

【パソコン通信「12・8」の会議室 戦前・戦中の記憶を残したい】

 戦後世代の冒険小説家らが、「戦前・戦中の記憶を残したい」と始めたパソ
コン通信の会議室がある。「戦前戦中フォーラム」の名で開いて一年。戦争体
験者をまじえ、歴史書からこぼれそうな話題を中心にユニークな意見交換を続
けている。歴史を善悪では評価しない、というのが基本だ。その会議室で問い
かけをした。
「十二月八日と聞いて、何を思いますか」。五十七年前のこの日、ハワイの真
珠湾などを日本が攻撃して太平洋戦争が始まった。

 ○「悲しい」英人教師はその朝去った 死、すぐそこに覚悟 戦争体験者

 ●ラジオで始まった

 〈八日朝早く、鉱石ラジオのレシーバーを耳に当てていた寮友が「始まった、
戦争が」と叫びました。「どことだ」、「米国、英国の両方とだ」〉

 そう書き込んだ男性は、当時、旧制高校三年生だった。一時間目は、在日四
十年で叙勲も受けていた英国人教師の講義だったという。

 〈(英国人教師は)「一生のうち今日ほど悲しいことはない」と悲痛な演説
をし、「グッバイ、ヤング・ジェントルマン」と教室を悄然(しょうぜん)と
去りました。その日の軍事教練の時、配属将校が「さっき英人教師に会ったの
で『あなたの国の軍艦はみんな沈めますからあしからず』と言ったよ」と昂然
(こうぜん)と話すので「なんて心ないことか」と憮然(ぶぜん)としました〉

 軍国少年だったという男性。

 〈やったぁ! 万歳! というのが素直な気持ちだった。米英を敵性国とし
て戦争をあおるような記事があふれていたから横暴な米国を実力でやっつけて
やる時が来たという感動が体中にみなぎった〉

> 富士山のふもとで演習していた二十歳の初年兵は同じラジオ放送を食堂で聞
>いた。

 >〈俺(おれ)たちはどうなるんだ……死すらすぐそこにあることを覚悟せざ
>るを得なかった〉

 >演習は即時打ち切られ、夜行軍で東京へ戻った。野戦用に着替え、実弾を携
>帯して警戒態勢に入った。

 >〈新聞もラジオも戦争を謳歌(おうか)していた。大陸でうち続く戦争の痛
>みを訴える一部の声はもはや届きようはなかった……〉

 ○戦争知らないのは教育も一因 平和、あの日があるから 戦後世代

 ●感慨わかず

 〈太平洋戦争の始まった日だと気づくだけで、それに続く思いや感慨はわき
ません。戦後二十年以上たって生まれた世代の正直な感想ではないでしょうか〉

 現在二十九歳の農林系団体職員は、あの日のことを自発的に考えることがで
きない理由を自問する。

 〈若者の気質というより、五十数年前に何があったかを、イデオロギー抜き
で説明する機会をつくらなかった現代教育に根本的な原因があるのではないで
しょうか……若者にも涙や温かい心はあります。でも、知らなければ何もでき
ません〉

 三十六歳の男性。

 〈戦争は国際法上認められている一外交手段で、軽々にその善悪などを論ず
るべきではないでしょう。戦争という外交手段を採用したという事実に対し、
その判断の是非や問題点を考える、というのが私のスタンス〉

 ●変わる「12・8」観

 一九五三年十二月十四日生まれの栃木の男性は「十二月八日」とのかかわり
方が時代とともに自分のなかでも変わってきた。

 〈小学生の頃(ころ)――父親が開戦記念日とよく言っていた/中学生の頃
――真珠湾を攻撃した日本軍は、悪いアメリカ人をやっつけ、強くかっこいい
と思っていた/高校生の頃――同じ飛行機好きの友達と、真珠湾攻撃の日を話
題にしていた/結婚後――小学生の子どもに、何の日か教えていた。嫁さんに
は言わない。むやみにかっこいいなんて言わなくなった〉

 自分が育った昭和三十年前後という時代について〈傷痍(しょうい)軍人が
アコーディオンをひいてお金をもらっていました……銭湯では大人たちが体の
傷をみせては戦争体験を懐かしそうに話しており……漫画も戦記物一色で零戦、
戦艦大和は憧(あこが)れでした〉と振り返る。

 だが、現在ではあの日を知らない人が増え、自分からは話さなくなったとい
う。

 〈あの日が無かったらと思います。あの日があったから、今の平和な日本も
あるんだとも思います。後者の方を、強く感じます〉

 

 <戦前戦中フォーラム> 昨年10月21日に開設された。旧満州や疎開先
での体験記や手記▽戦前の農山村での暮らしぶり▽旧日本軍の兵器や軍装の研
究▽フリートークのためのサロン――などの会議室に分かれる。パソコン通信
大手のNIFTYのGOコマンドで「FSENZEN」を入れる。約三百人が
ほぼ毎日アクセスしているという。戦争体験世代では、大陸からの引き揚げ者、
学徒出陣の経験者、元特攻隊員らの発言が目立つ。戦後世代では、戦略ゲーム
の愛好家や戦記ファン、祖父らの戦争体験を聞いて育った若者が多く、現職自
衛官もいる。開戦記念日をテーマにした意見交換は当分続く。
  _________________________Img041

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