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2009年11月 9日 (月)

会者定離

昨朝と同じ様な雲行、気温16度驚く。
道理で昨夜は蒸し暑く寝苦しかった。親友の想いばかりではなかった。
晴子に宮島ゆきのビデオなどDVDを作成して持たす。

便秘事件以来排泄は極めてうまく行っている。おかげで体調もいい。
一日の安心感が違うらしい。

身近にいた親友が居なくなった事は、なにか大きな隙間が出来たようで、気にするなとたしなめながらも矢張り気になる。いつも彼が思い出した様に電話して来たが、よく判るその気持ち。いつも待ち続けていたこの俺。その僅かな均衡のうちに存在した友情。長い長い、然も強い強い友情だった。
私が18歳、鳳陽寮東北棟第44号室、生まれて始めての他所での生活、同室に彼は居た。運命の扉がそのとき開いた。
爾来71年、離ればなれの時もあったが、編隊飛行のごとく近く遠く飛び続けた。

あの生死を掛けた中国の戦場でも、お互いその存在を知る由もなく、運命は二人を同じ戦場に近づけたり、遠ざけたりし続けて5年間を過ごしていた。

戦後、私が事業に失敗して、途方に暮れていた時思いがけなく,うちに来んかと呼びかけてくれたのが彼だった。そのとき以来46年間もう何時も指呼の間にあって交際の絶える事はなかった。
古今東西オンリーワンの親友。会者定離、かけがえはもう何処にもない。

11時半家を出て,晴子を駅まで送る。最後まで明るい顔をしてバイバイする。一月後には今度は東京で会う事になる。

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