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2009年11月11日 (水)

多少の縁の森繁久彌逝く

森繁久彌が亡くなった。袖擦り合う様な縁だったが、私にも彼との触れ合いそして思い出は数々ある。
皮切りは昭和15年新京の会社に就職した年である。同僚に誘われて新京放送劇団なるものに入った。
いの一番に早口早言葉を習った。師匠がこの森繁久弥だった。
軽妙な早口、ぽんぽん飛び出すだじゃれ、田舎育ちの私には異様な存在であった。
放送劇のお膳立てにやられる偽装擬音装置など、お手の物のごとく彼がパタパタとやってのける。感心したものである。
私が関東軍に入隊して二年目だったか,新聞に”黒龍江の畔に立ちて”というルポルタージュが表彰されたと出た、作者は森繁久弥とあった。
戦後昭和21年私は上京して職を探し求めていた頃、ふと新宿のムーランルージュに入っていた。
プログラムを見て驚いた。喜劇安宅の関の主人公弁慶役に森繁久彌とあった。実名でとはおかしい。
聞き耳起てて聞くと,扮装は弁慶でも声は森繁久弥そのものだった。驚いたなあ。満州から何時帰っていつ商売替えしたんだろうと。

その後間もなく、NHKの一番組で藤山一郎と組んで出始めた。だじゃれのうまさはやはり彼のものであった。あの男もなかなかやるなあと思っているうちに、雲を得た竜のごとく演劇の世界に君臨するに至った。

7日には無二の親友を失い,10日には身近な存在のごとく敬愛止まなかった彼と、再会の機会を得ることは永遠になくなった。私自身の生涯ももう極まったと感ぜずには居られない焦燥すら感ずる今日一日である。
(写真は新京放送劇団全員、後列左端が森繁久弥、後列右から3番目が私/昭和15年)Sinkyougekidan

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