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2009年11月 1日 (日)

続便秘物語

いやに暖かいなと寒暖計を覗いてみると、20度となっている。午前7時半でそれである。
何かが狂っている感じ。

昨夜私の肛門は健全であると宣言したが、今朝起きると調子が少しおかしい。
小便をしに便器の前に立ったのだが、小便が出ると同時に、何だかパンツが濡れてる感じがする。
し終わっておそるおそるパンツを覗いてみると、肛門部の周囲が丸く濡れている。
やはりこちらも漏ったのだ。ぞっとする。
なぜこんなことになるのだろう。
便器にしゃがんで、指を肛門の奥深く入れてみる。肛門は腫れぼったくなっているが、もう痛くも何ともない。肛門の中もぬめっていて、糞のかけらもない。指について来るのは粘液だけで臭いも何にもない。今年の始めに胃カメラを呑んだ事があったが、食道や胃袋の内壁が美しく、自分ながら感心しながら画面を見た経験があるが、それと同じ感触である。

肛門も腸も悪くないとなるとこれは機能の問題である。
医師に診てもらう以外にないなと悟る。今日は日曜日だから明日以降何処かへ行こう。決心をする。

以上が我が続便秘物語である。

丁度折よく家内の友達の元看護婦婦長さんから電話がかかった。医者でなくてもこのぐらいのことならいいだろうと質問を繰り返す。
現在は無色無臭の汁みたいな液体が漏って肛門の周囲を濡らすだけなのだが、いじり過ぎたのが原因でそのうち止まるだろうとのご託宣。やった安心する。もし止まらないようなら医者に行けということだったが。

食欲とは不思議なものである。昨日今日すっかり食欲がない。それで朝はパンとコーヒー、昼は近所にうどんを午後1時に勿論一人で出掛ける。いつもうまいと思って食べてたてんぷらうどんが全然味がない、塩辛いなと思うだけである。うどんも味がなく何を食べてるか目をつぶるとわからないだろう。食い終わっても満腹感はおろか食べた感じはしない。
こりゃもう駄目だ。正に病膏盲に入りしかである。

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2009年11月 2日 (月)

天気も体調も変調

昨日の雨はどこへやら、朝から雲一つ見えない快晴の天気。
寒気襲来を告げてたが、今朝8時の気温14度とそれほど寒くはない。風は少しあるかな。
便通も普通に帰ったし、一騒動に終った感じ。人生ままあるさ。

10時雲張り出し急に天候悪化し始める。11時小雨降り出す。あわてて洗濯物を入れさす。

土田君から美都町の寺井正運君に案内を出してくれと電話がかかる。いまだ一度も出て来たことのない男だが同じ市内でやるさざん会なのに招待しないではという。それもそうだなと、早速したためてポストに向う。

正午又雲間から日が照り出す。おかしな天気。
午後3時現在照ったり曇ったりしているが,風が強く気温も12度に下がっている。
遅まきながら寒気到来という次第だ。

我が体調も今日の天気のように、腹具合が安定しない。朝と先程と二度も排便する。いくらか下痢気味なのかも知れない。便秘とか下痢とか一体どうなってるんだといいたい。
食うのはホン申し訳程度食ってるだけというのに。
指で掻き出したのが悪かったかな,肛門は顔つきに似ず繊細な臓器だから。

家内の天橋立行きに大いに期待して,私のデジカメを持たしたのだが、うっかりメモリー(SD)が京都でいっぱいになり余分を持たせなかったので、写せなくなったよし。
見てみると天橋立の写真は一枚もない。がっかり!その前にいろいろな所で沢山撮ってた奴だから,運悪く京都南禅寺で満タンになったわけ。

ロープウエイでインスタントカメラを買ったというが、下りるとすぐ伊根に廻ったのでそこでおしまいということ。その後は雨で行動もままならず、出石でお城の回りをちょこちょこしただけとのこと。カメラの中身は現像屋に持参しなければわからない。
まあいいか、又日を改めて出掛けるよと口ではいったんだが。
(写真は昭和30年私が訪れた時のもの)
Amanohasidate

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2009年11月 3日 (火)

アップル益々元気

朝7時半快晴、気温6度やや寒い。やはり寒波が来たか。風がないから昼には暖かくなるだろう。
今朝まだ肛門から無色の粘液が少し漏りパンツを濡らす。家内はやはり医者に行くべきだと仕切って言う。便は少ないが普通に出ているのだが。
しかし今日は休みだしなあ。

あれだけ良く晴れていたのに,10時半になると、空半分は黒雲まじりの雲に覆われてしまう。
当市の予報気温は最高16度となってるが、この調子ではさあどうだろう。今朝の気温は5.9度と正にぴったり合っていた。

乾癬は最近はずっと良くなり,チガソンは一日おきに呑んでるが,塗り薬は忘れる事が多くなった。
皮膚のザラザラは取れないが、痒くないのがよい。
活力がなくなったので、乾癬も元来が免疫反応だから、活力が鈍って皮膚へのいたずらが小さくなるのだろう。

今月のパソコン雑誌を見ると、アップルは秋の新体制でウインドウズは勿論レナックスもインストール出来て万能のパソコンを達成したらしい。ウインドウズは最近発売した7もインストールして使えるという。
ipod、iPhoneで正に世界を制覇し、巨利を挙げた余勢をかっての新布陣か。
価格も寧ろ引き下げた布陣体系でファンを喜ばせてくれる。
寿命があれば、すぐにも飛びつきたいのだがなあ。
アメリカはまだまだ老いては居ない。GMは引っ込んだが、いくらでも次が居る。

昨日は老齢を理由に永年愛好したリンククラブを退会した。逐次身辺を整理していかねばならない。
新しい踏み込みはもう無用だろうか。

午後3時過ぎ岡山の山田君から電話で足が痛くて歩き難く今回は出られないが、来年は何とか治して幹事でもやりたいからと元気な事をいう。横山君が転んで怪我をして入院しているが知ってるかという。驚く。夏に電話で話をしたのだがその後無沙汰で知らなかった。
昨晩は水戸君が座骨神経痛で遠距離は無理だとメールを送って来たが、不参加が多い。
みんな何事か起きる年齢だから仕方がない。

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2009年11月 4日 (水)

今の世は便利が良すぎて住み辛い

朝快晴、気温4度最低。
昨夜は羽布団一枚増やして寝たので暖かく、快眠出来た。
肛門や腸の具合はほぼ完全に治癒した。普段よりは便通具合などはよいくらい。力む事も何もない。
むらをなくする様にしなければならないなと自戒する。

家内がしきって医者に診てもらえというので、現在は治っているのですがとおそるおそる相談に行くか。先生も忙しくてご迷惑だろうに。

家内に持たしたデジカメのSDメモリー、便利なようで厄介なのだなあ。
SDは大きさが3種類ある。アダプター付きでミニ、マイクロとコマゴマしていて覚え難い。どれにどれが入っているのか、カメラかパソコンに入れてみないと判らない。
初期化すればくりかえし使えるのだが、大切な記録は永久に消滅してしまう。
写したらすぐパソコンに記録しているのだがこれも明日が知れぬ器械だからなあ。
撮った枚数もわからない。相当整理をよくしないと混乱する。いやもう大混乱している。
それにこんどはムービーカメラもSDマイクロが付いている。老人の頭に混乱の種をまきつけたことになったようだ。
便利の裏返しが案外怖い。

11時せいこう胃腸外科に行く。便秘の診断を受ける。便秘時の心得を聞き薬を貰う。また肛門内の状態も診てもらい、完治の確認をいただく。

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2009年11月 5日 (木)

岩見重太郎の仇討ち

朝気温11度、雲多し。
家内は今日も市民病院通い。手術痕の抜糸か。
広電で出掛ける。約1時間行程。駅まで送る。

土田君から電話、水戸君に出席を促しておいた由。東京の橋本、田島,松岡、田淵の4名欠席、横山、山田も欠席のハガキが届いている由。予想通り。今の時期は皆嫌だろう。

正午過ぎ家内帰宅、井上に立ち寄ったらしい。

娘の云う事には今は天橋立は立ち入り禁止になっていて中には入れないという。
家内を連れて行ったツアーはホテルから見たり、ロープウエイで上がって見たりで、遠景ばかりを見ただけだったという。中は通らなかったよと裏付ける。なんだい!それでは駄目だ。岩見重太郎の碑は見られないではないか。
50年前私が歩いたこの松原は、ながいながい白州の松原だったが,松の一つ一つが年代があって懐かしかった。岩見重太郎はここで日本三大仇討ちの一つをし遂げたのかと,随分感心したもんだったが。

考えてみればあのまま放置したら枯れたり痛んだり,今に残らだったかもしれないな。
やっぱり観光客にぞろぞろと歩かす訳には行かないだろう。
岩見重太郎も従って人の口から消えて行くわけ。しかたないな。

同じ日本三景の一つ宮島は昔を今に残す為大変な努力を重ねている。
人間災害だけでなくこちらは自然災害が最近特に激しい。天橋立はどうなのだろう。同じ自然だから砂州が削られるとか,松が倒されるとかやはり大変なのだろうな。

私はそんなことを知らずにツアーに応募したのだったが、病気になってよかったかもしれない。

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2009年11月 6日 (金)

カナリアの囀る声

快晴がつづく。今朝も11度だからまあまあ暖かい。
家内が東京へ電話した所晴子がどうやら今日うちへやってくるらしい。
家内はあわてて布団や毛布を干したり準備に忙しい。食わすものも準備しなければならないだろう。夕食は外で食うかと提案する。

何をしに来るのかという思いもあるが、なにせ久しぶりに逢えるのだから楽しい。
我ながらうきうきするのがわかる。

空は真っ青に晴れて雲一つない。明日あたりさっそく宮島でも案内するか。

今度のさざん会に土田君が言ってる様に家内を連れて行こうと決心する。家内はなかなかうんとは云わないが,最後だから無理にでも引っ張って行こう。荒磯温泉はリウマチにもいいらしい。

夕方さんざん待たされた晴子がやっと広島に着いたよと電話をくれる。
会席膳の招待券を貰ってたので、其処に行き食事をすることにする。
駅に老夫婦が迎えに出たので、めんくらったようだが、その足で食事に廻る。ともかくも懐かしい。
先方はこちら以上に嬉しいのか速射砲のようにおしゃべりを連発する。
親父が生前かわいがって飼っていたカナリヤを思い出す。

ひさしぶりな賑やかな家族団らんだった。
もっともお店はがらがらで、私らの借りきりの様で申し訳なかったが。

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2009年11月 7日 (土)

親友横山君悠久の彼方に去る

今朝は気温14度もあり、曇り空。天気はなんともいえないな。
もみじにはまだ早いが、せっかく孫が東京から来てくれたので宮島を案内する事にする。
家内も私もすっかり元気を取り戻したのでよかった。孫の明るい顔がよけいに刺激を与えてくれる。

10時家を出て、宮島へ。案外道路が空いていて、駐車場は満車の所が多かったが、桟橋からかなり離れたところに空いてる所があって難なく入れる。
連絡船はやはり一杯の客。団体が多そうだ。
孫は随分永く来ていないというので、正規のコースを案内する。回廊の末端を出た所でお昼前、早速近くの食道を捜して入り、名物のあなごめしを食べる。おいしいと孫も喜ぶ。

店を出てから今度は紅葉谷公園に向う。まだ10日は早いのだが、それでも結構色づいた木々は多い。
ぞろぞろと観客も少なくない。
十分秋の景色を堪能して帰路に付く。
あまり歩いたとは思わないのだが、足の疲労感は激しい。老化が進んだという事だろうか。

4時帰宅して間もなく、横山君の息子さんから、今日先程11時過ぎに父が亡くなりましたと電話が入る。驚く。先般転んで入院したのだが、脳内出血が悪化したらしいとのことだった。
いずれは死ぬ身死は仕方がないが、転んだのが原因とは、柔道マンだった彼の最後にふさわしいきがしないでもない。私より年長だから先にいっても仕方がないのだが、これから先が急に頼りなくなった。
身辺にもう往古を語るものなしである。嗚呼!寂しいかな!

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2009年11月 9日 (月)

会者定離

昨朝と同じ様な雲行、気温16度驚く。
道理で昨夜は蒸し暑く寝苦しかった。親友の想いばかりではなかった。
晴子に宮島ゆきのビデオなどDVDを作成して持たす。

便秘事件以来排泄は極めてうまく行っている。おかげで体調もいい。
一日の安心感が違うらしい。

身近にいた親友が居なくなった事は、なにか大きな隙間が出来たようで、気にするなとたしなめながらも矢張り気になる。いつも彼が思い出した様に電話して来たが、よく判るその気持ち。いつも待ち続けていたこの俺。その僅かな均衡のうちに存在した友情。長い長い、然も強い強い友情だった。
私が18歳、鳳陽寮東北棟第44号室、生まれて始めての他所での生活、同室に彼は居た。運命の扉がそのとき開いた。
爾来71年、離ればなれの時もあったが、編隊飛行のごとく近く遠く飛び続けた。

あの生死を掛けた中国の戦場でも、お互いその存在を知る由もなく、運命は二人を同じ戦場に近づけたり、遠ざけたりし続けて5年間を過ごしていた。

戦後、私が事業に失敗して、途方に暮れていた時思いがけなく,うちに来んかと呼びかけてくれたのが彼だった。そのとき以来46年間もう何時も指呼の間にあって交際の絶える事はなかった。
古今東西オンリーワンの親友。会者定離、かけがえはもう何処にもない。

11時半家を出て,晴子を駅まで送る。最後まで明るい顔をしてバイバイする。一月後には今度は東京で会う事になる。

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2009年11月10日 (火)

孫帰京、カナリアの声まだ聞きたい

朝の気温16度と昨日と同じ。温暖化現象続いている感じ。
孫は無事着いたか,連絡無し。現代は無事が当たり前の時代だから,沙汰がなければ無事という事か。
霧深く島影一つ見えず。

孫一人居なければ,我が家はまるで隠者のさと。暖かい筈の部屋の中、しーんと淀みない空気が,心の中を凍らせる。

周平の小説なんか読むと、昔は子がいなけれ必ずどこからか子供を貰って来て、養子として家を継がせる目的で大事に育てる。その子を中心に一家団欒が発生する。
今は子がいても、親元を離れてどんどん手の届かぬ所へ行ってしまい、孫などは爺婆が思う程の親身のねばっこさは、もうない。

こうした世相がいいのか悪いのか、私にはわからない。一面気楽な様でもあるが,老いさらばえてゆく、孤独の寂しさは人という動物の業か。

午後2時雨が降り始める。しょぼしょぼと。いい潤いである。

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2009年11月11日 (水)

多少の縁の森繁久彌逝く

森繁久彌が亡くなった。袖擦り合う様な縁だったが、私にも彼との触れ合いそして思い出は数々ある。
皮切りは昭和15年新京の会社に就職した年である。同僚に誘われて新京放送劇団なるものに入った。
いの一番に早口早言葉を習った。師匠がこの森繁久弥だった。
軽妙な早口、ぽんぽん飛び出すだじゃれ、田舎育ちの私には異様な存在であった。
放送劇のお膳立てにやられる偽装擬音装置など、お手の物のごとく彼がパタパタとやってのける。感心したものである。
私が関東軍に入隊して二年目だったか,新聞に”黒龍江の畔に立ちて”というルポルタージュが表彰されたと出た、作者は森繁久弥とあった。
戦後昭和21年私は上京して職を探し求めていた頃、ふと新宿のムーランルージュに入っていた。
プログラムを見て驚いた。喜劇安宅の関の主人公弁慶役に森繁久彌とあった。実名でとはおかしい。
聞き耳起てて聞くと,扮装は弁慶でも声は森繁久弥そのものだった。驚いたなあ。満州から何時帰っていつ商売替えしたんだろうと。

その後間もなく、NHKの一番組で藤山一郎と組んで出始めた。だじゃれのうまさはやはり彼のものであった。あの男もなかなかやるなあと思っているうちに、雲を得た竜のごとく演劇の世界に君臨するに至った。

7日には無二の親友を失い,10日には身近な存在のごとく敬愛止まなかった彼と、再会の機会を得ることは永遠になくなった。私自身の生涯ももう極まったと感ぜずには居られない焦燥すら感ずる今日一日である。
(写真は新京放送劇団全員、後列左端が森繁久弥、後列右から3番目が私/昭和15年)Sinkyougekidan

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2009年11月12日 (木)

温井ダムと大銀杏

いい天気になったので紅葉狩りをかねて温井ダムまで行く事にする。
内藤には半日休診なので明日行く事にする。明日は又雨という予報だし。
自動車運転慣らしと云う意味もある。

10時半家内と二人で家を出る。宮島SAから高速道に入り,加計出口から出て温井ダムに向う。1時間で到着。温井スプリングは商売を止めたのか、閉ざされたまま。ダムの周辺をうろつく。結構物好きと思われる連中が沢山居る。周辺の山はさすがに色づいて美しい。風が出て少し寒い。ジャンパーの襟を立てる。家内はしまったマフラーを持て来るんだったと叫んでいる。谷風が厳しいが山陰に入ると遮られる。先だって訪れた湖畔のお社は今回は遠慮した。

ダムの食堂に入って食事。老夫婦らしいのがやっていて、あまりおいしくはない。
程々に切り上げて,大銀杏を見る為に筒賀に向う。戸河内交差点の大きな表示を見て,迷う事なく到着する。沢山の車が狭い道を行き交う。
大銀杏は神に祭られて側にお宮が建てられている。1200年の古木だそうだが,さすがに凄い風格である。
根幹の太さは十米はありそうである。
カメラマンが取り巻いてぱちぱちやってるが、大きくてなかなか写真に納まり難い。
近くの戸河内ICから高速に入って午後2時には帰宅出来る。
浜田に行くちょうど良い車慣らしになった。
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2009年11月13日 (金)

大銀杏の驚き

夜半にかなり降ったらしい。庭の木立が濡れそぼっている。朝の気温14度。昼になっても上がりそうにはない雲行である。
昨日温井ダムに出掛けておいてよかった。
この年齢になると一日一日が大変重要である。取り逃がすともう取り返しがきかなくなる。
今度のさざん会も二人だけの大会というわけだが、もう大会というには到底あたらない。止めようかと思ったのだが、止めれば取り戻す事は出来ない。後悔しても間に合わない。

来年のさざん会は岡山の山田君にお願いするつもりだ。先般電話で話した時来年元気ならやっても良いと云ってたから,条件付きではあるが承諾したということだ。坂口君も来年広島でやれというけれど,岡山ならなお近くて行き良いだろう。
土田君は4月の初めに胃がんの手術をしたのに、元気を出して今回さざん会を引受けた。やる気があれば出来る。
今度が35回目である。継続の火は何とか絶やしたくない。来年は満90歳。終るにしても切りが良い。

今日はどんよりと重そうな雲が空を覆って,気温は上がらない。
寝るに如かずとベッドに朝10時過ぎからもぐりこむ。昨夜から掛けた電気毛布のスイッチを入れる。ぽかぽかとすぐ温かになる。私は体温が本来上がらないたちだから、こうしたコタツ類の助けを借らないと眠れない。今までは電気敷き毛布を使って居たのだが、冬が深まるとそれだけでは駄目なのである。掛け布団も3枚が限度でそれ以上は重くて息が詰まる。
というわけで電気掛け毛布の登場となる。

昼は家内からのブザーで起こされてうどんを食べる。食っては寝だからいっこうに瘦せられない。うどん、パンくらいが丁度よい。
風が治り,咳も完全に止まった。医者に貰った咳止めも何日分か残っている。
昨日の温井ダム行きも、身体にこたえなくて全く心配ない。
24日の荒磯温泉行きが楽しみになって来たほどだ。
(昨日書いた大銀杏の写真、幹回り人と比べてみて、大きいことがよくわかる)Img_1482

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2009年11月15日 (日)

町内の大掃除

町内の大掃除の日。といっても道路などを掃くだけで、溝さらえなどはしない。楽なものである。しかし8時半は早いのか誰も出て来る気配はない。
家内と二人で隣の領分まで済ます。
家内は皆が出て来るまで帰らない。班長だから仕方がない。

私は腹の調子がいくらかよくない。便秘と下痢がないまぜになって具合が悪い。とうとう掃除を止めてトイレに走り込む。

今朝のテレビで23年前に発刊された,"思索の整理学”という本がよく売れてるという。現代人はあまり考えなくなったという反省かららしいという。そうかなあと思う。もっとも考えるという事もいろいろあるから、何を考えるかが問われるのだろう。考える動物というぐらいだから,人間は四六時中何か考えている。誰でもすることである。
こんな本が売れてもしようがないのになあ。

午前中の昼寝の時,不思議に従弟の三郎の夢を見た。疎遠のまま10年ぐらい前に亡くなった男である。小さい時にはよく手下にして,遊び歩いたものである。それでも意地悪で有名で大人を嘆かせていた。
夢なのにえらくまじめな口調で私が説教したのに驚いて目が覚めた。
なんで今頃、夢というもの不思議だなあ。

今朝の7時半の気温は9度だった。曇空だから12時近くなっても16度にならない。
ベッドから抜け出るとやけに寒い。厚手の半天を背負ってパソコンに向う。足温機にスイッチをいれて。
念のため部屋の中の寒暖計を見ると19度だ。なんだこれで寒がってはと自分を叱咤する。
老いぼれると情けない。一事が万事こうである。

人には誰でも躁鬱の気があるものだが、私は今幸いに躁の状態にあるらしい。勢い猛に荒磯温泉に車で出掛けんとしている。連れて行かれる家内はどうやら尻込み加減だが。しかし雪でも降り出したら駄目だ。後旬日。どうなることやら。

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2009年11月17日 (火)

カーボンオフセット販売

先日テレビで宮島の山頂が写されていたが、あの頂上の大きな岩,もう10年以上登っていない。頂上にあの岩が自然の威力で取り残されたのであろうが,現実にあの岩に登って四方を睥睨すると浩然の気溢れて人格が高まる。なつかしい。
もう辿り着く体力はないだろう。朝な夕な目には遠くて映じなくても心に映じ続けているが。

シューべルトのソナタだけが美しいメロディーを流し続けている。

今日の新聞を見ると上海で万博を機にパジャマ姿での外出禁止とある。私にはどうでも良い事だが、旅行するときやはり考えないといけないなと思ったりする。すてきなパジャマも多いのにどうして禁止するのだろう。
が、だいいちパジャマ姿で外出するのが4割も居るそうなと聞いてこれにはアングリだ。
所変われば品変わるだな、

かなり強い雨降り。昨夜風呂の追い炊きガス栓を切り忘れて、自動装置が働いてガスが使えないと6時に家内に起こされる。
外はざーざーと降っている。やれやれ。
気温7度。この分では上がる見込みはないな。

先日はオバマ大統領が初来日し、いろいろ期待された向きもあったらしいが,大山鳴動してネズミ一匹の感しか残せなかった。今中国にいってるが、こちらの方が成果がありそうだ。アメリカも雲行が変わるし,日本も変わらざるを得ない。
いいのか,悪いのか私にはわからない。
デフレ懸念、不景気風何時晴れるともない。
われわれ不生産の老人ばかり沢山居たのでは、所詮良くする事は無理かも知れない。

家内が市民病院に出掛けるというので、広電まで送る。

カーボンオフセット販売なんて言葉が新聞紙上に乗っている。その商品の炭酸ガス排出量分を価格に上乗せするのだという。
消費税みたいなもので,チャンと納付してくれるのかいなと疑ったりする。業者任せで業者も大変だな。
売る責任だと云うんだろ。

炭酸ガスを吐き続ける動物だから,人頭税も必要になるだろうし。急に喧しくなってこまっちゃうな。

昼前には雨は上がる。

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2009年11月18日 (水)

特攻兵の手記

早朝5時に起きて,広島総合病院行きの準備を始める。7時半家を出て病院に行く。皮膚科2番目。
8時45分受診。亀頭医師。変化無し。
9時半駐車場を出る。
起き出した頃気温5度だったが,帰宅して見ると17度に上がっている。我が部屋の中は21度。
晴天だといいなあ。

食堂が寒いので絨毯を敷く。家内は暖かくなったと喜ぶが、どうも気持ちの問題のようだ。相変わらず北風が進入して来て寒い。床下から上がって来る冷気がくせ者だ。

食事が終ると早々に退却する。私の何時ものパターン。

荒磯温泉行きを車にするかJRにするかで迷っている。JRなら4時間足らず、車なら3時間程度。楽なのはJRに決まっているが,寄り道ができない。浜田で何か新鮮な魚を求めたい。畳が浦も久しぶりに訪れたい。
それには車が良い。

昨日の冷たい雨で凍結を考えて混乱し始めたのだが,今日の様な天気になるとまた元に戻る。
まあ当日の天気次第ということか。

今朝広島総合病院に行くのに、待ち時間用に神坂次郎著の”特攻ー若者たちへの鎮魂歌”を本棚から抜いて持って行く。
待つ間にぺらぺら適当に開いて読み始めたが,手記に感動して、涙が吹き出して読めない。風邪予防のマスクの中も鼻水でぐしゃぐしゃになる。純真無垢だった若き日を思い出してどうにもならない。ハンカチを出したり,チッシュで噛んだりしたけど追っ付かない。とうとう読むのを止めて手提げにしまう。
少ない周りの人は,みすぼらしい風邪弱い老人の姿と読んでくれたと思うが本人はいかにもてれくさい。
とうとう立ち上がって、階下のロビーをうろつく。こうなると待ち時間がいやに永い。
やっぱり藤沢周平にすれば良かったと悔やむ。

いつも一番早い順番に申し込んでおくのだが,今日は残念にも一足違いで2番目になったのも痛かった。
担当先生に来月は一番にと頼むとそれでは木曜日にしましょうと一日づらされる。水曜日は込んでるのだそうだ。
10分ぐらい遅くなるのが嫌なのだなあ。

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2009年11月19日 (木)

運動は程々に

朝気温7度、沖の島影はぼんやりと見える。

しかし寒さが昨今ずっしり身にこたえるようになった。まるで冬になったような感じである。いやでも厚着をするようになる。今度は重くて鈍重になるを免れ得ない。かくなるのが老人たる所以か。

逢う人皆お世辞に元気だ、元気でいいねと云ってくれるけど,実質はこうしたていたらくだ。
九州の方まで夜を徹して走り歩いていた70才台までの我が身が懐かしい。事実76歳まで現役で働いた。あれから十四、五年でこれほど老いさらばえるとは。

よく運動は何をされてるんですかと聞かれるけど、運動らしきものは一切やってないから,その通り答えると不思議な顔をされる。私は生来なまけものだから身体を酷使する事は嫌いである。
仕方なしに職務上パークレンの入った30kg缶を配達に走り回って,腰を痛め,ひどい便秘になって苦しんだ事がある。
もう40才を超えた頃である。非力な私が無理して両手に一缶づつ60kgもトラックいっぱい積んで配達したのだから,今考えると不思議な気がする。そのせいだけでもないが,私の身体は左右にも縦横にも曲がっている。酷使した証拠と思っている。

運動も程々というのが私の信念である。現役を卒業して、肉体労働はもちろん運動もあまりしない。
おかげで腰の痛みは感じた事がない。学生時代ハンドボールで捻挫した膝の痛みも此処数年忘れ去った。ただ正座は出来ない。しないままでまかり通っている。
長歩きすると足首が痛くなる。これは仕方がない。普段に歩けるだけでよい。走る事もあまりしない。世の中急ぐ事は今更何もない。21歳から車に乗ってるから急ぐ事はそちらに任せる。
歩きたい人はせっせと歩けば良い。人生暮らし方がいろいろあっていいのではあるまいか。

今日も昼は外食にする。家内も助かるだろうし,無駄がなくなるだけ得かもわからない。

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2009年11月20日 (金)

曾孫を見る幸福

朝気温5度、霧やや深し。
明日からの連休を控えて、さざん会の会費など旅行費用を準備しておかねばならない。今日は少し忙しいかな。
東京行きもあるし,大分金がかかりそうである。
千代の話では、オペラの翌々日にはN響の定期公演に連れて行くという。私の好きなシャルル・デュトワの指揮だとある。
滞在を一日延ばす事にして、OKを出しておく。
家内の体調がも一つなのが気がかりだが。

横山の息子さんから12月5日法事の招待が来る。いろいろ考えたが、この歳では知人も少なくなったし、長座が苦しいし、途中で席を外す事になっても心苦しいので,欠席させてもらうことにする。家内も既に病院の予約が入っていて,代役も務まらない。最近は親戚の法事も結婚式も皆遠慮してるのだから,やっと生きてるだけの老人の出る幕ではないだろう。

午前中に郵便局へ行き、ガソリンスタンドへ行き,デオデオに廻る。さざん会向けの用事をそれぞれ済ます。

HDMIコードを買って来て,ムービーとデジタルテレビを繋いで試写する。なるほど素晴しい画面になる。高画質を誇っているだけのことはある。画面の隙間に出て来る彩寧の姿が可愛い。私を覚えておく事はないだろうが,曾爺が写してくれたんだと思い出してもらうだけで良い。
ほとんど1世紀離れているんだからなあ。
彼女の時代はどんな風になるのだろうか。

私は曾祖父なんて全然知らない.父方の曾祖父の名前は知っているー大きな自然石の墓がデーンと座っていたーが,母方のは名前すら知らない。
祖父にしても,両方ともあまり接触する機会すらなかったと思う。記憶はほん少しよぼよぼした姿だけしか残っていない。いや母方の祖父は元気でうちの山に薪を採りに行き母を助けて,きつい山の坂道を、背中一杯に担いで降りてくれた事は覚えていた。他には残念だが記憶にない。
どちらもごく無口な人であった。妹はよくものを貰ったりして可愛がってもらったと云ってたが。どうしても女の子のほうがとくだな。

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2009年11月22日 (日)

むかし孫が呉れた誕生プレゼント

気温6度と昨日と大差無し。少し寒そうだ。
昨日はアルパークに出掛けてジャンパーを家内が買ってくれる。ダウン入りとあって凄く軽い。老人向きらしい。
いつもなら食事ぐらいして帰るのだが、売り出し中とあって人が多く,風邪をうつされてもと早々に引き揚げる。
マスク掛けの人が多かったが,改めて危険な事だなとぞっとする。
広島県は今インフルエンザは小康状態らしいが、油断はならない。

明後日の荒磯温泉でのさざん会は、家内が去就を決めかねていて、こちらまで迷って寝付きが悪くなる。そこへ風邪でも引くともうまったなしである。
先般の天橋立で違約金を取られ、又今度違約金を払うなんてもうこらえてくれである。
旅はやはり暑さに向かっての方がいい。寒さに向っては故障が多い。

じたばたしたってもう遅い、今更どうなるものでもない。
今度しくじると東京行きが更に心配になる。神に祈るのみである。

J1リーグ、サンフレッチェの三位以内が難しくなった。それにしても故障者が多い。なんでこんなに次から次へと故障者が出るんだといいたい。ここ十試合くらいまともな戦力で戦ってないのでは思ったりする。出場者規約かなんかで罰金を取られたりする。情けない。自己管理が悪いのか、チーム管理がよくないのか、ファンの為にも慎重に行動して欲しい。

何年か前散髪屋に行くのが面倒になり、家庭用の道具を買って来て家内にやらしていたが、けれも結構面倒でとうとう坊主になって電気カミソリで刈っているのだが、昨日今日の寒さが頭にこたえる。昨年あたりから気になり出したのだが、やはりおいぼれたせいなのか。
今日とうとう堪えきれず、毛糸の頭巾を探し出してかぶることにする。
頭が暖かく好意が籠っていて楽である。長女のうちの孫がいつか買ってくれたものである。本人は中学生頃だったろうか、もう忘れているかも知れない。ありがとうよ、なほちゃん。

昼の食事にすり大根に鰹節が出る。うまいなあ。とうとう家内の分まで平らげる。削り残った大根がまたうまい。ちょっと醤油をかけてばりばり、ぴりぴりときて食欲急に増進した思い。
こんなものを食ってる限り食欲減退はなさそうだ。

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2009年11月23日 (月)

新嘗祭は父の命日

親父の命日。丁度70年経つ。今は勤労感謝の日という事になっているが、昔は新嘗祭と云って収穫感謝の日だった。もう忘れたな。もう、この言葉はどこにも残っていないだろう。
祭日だったおかげで忘れた事はない。しかし、たかだか9年くらい、同じ家で暮らしたが、うち3年は遊学していたから膝元で過ごしたのは正味6年である。縁の薄かった親父だった。もっとも私は生後4年間メキシコと日本で父母の元にあったわけだから、覚えては居ないがもう4年一緒だったわけだ。

私も一人で大きくなった訳ではない。母の力が偉大だったことは認めなければならないが、この父の影響もヅシンと頭の底に残っている。寡黙で誠実で勤勉そのものと云った人物だった。いつも手本にはしていたが、なかなか真似は出来なかった。其の悔いが私の一生を貫いて居る。
私と違っておそろしく早死にだったことも、私のそして一家の運命を狂わせたと云える。

19歳で後を継いだのだが、世間知らずのあまちゃんだから、父の遺産をめちゃくちゃにしてしまった。母や弟妹にどれほどの苦痛を与えた事か。父から見れば正に不肖の子どころではないだろう。思いもかけず永らえて、これがまともの生涯とは思えず、死して会わす顔のないことはばんばん承知している。あの西郷隆盛が、死を前にして詠んだこの詩を思い出す。
肥水豊山路已窮 墓田帰去覇図空 半生功罪両般跡 地底何顔対照公
半生の功罪と彼は云ってるし、維新の大功労者であるは万人の認める所。功一つなき我には全く何の顔向けするところがあろうか。

雲一つない上天気がつづく。
明日は車で行く事に決め、準備をする。
長門峡辺りで紅葉を見る事になるかもしれない。

夕方近くなって小百合が彩寧などを連れてやってきた。
私の顔を見ると途端に大泣きし出した。まだ覚えてはくれてないらしい。

部屋の中で手を出しても逃げるので、出来るだけ見つめ合う様心がける。だんだん気になって来たようで、じっと私の顔を見つめる。にらめっこしてるわけ。私を誰かが”ひいじい”と教える。そのうちひいじいはどれと問いかけると私に指を向ける。やっとわかったぞ。問題はこの次ぎ会った時だ。
楽しみが一つ増えた。

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2009年11月25日 (水)

さざん会第35回大会

11月24日(火)曇
今朝の気温5度、昼中には20度になるという。夕方雨になるとも。
山陰は天気はいいらしいから、まあ行楽日和と云えよう。
前線は九州南部から四国へ掛けてかかり、大雨を降らしているが、今夜には東方に去る見込み。
おかげで明日は山陰はいい天気になるようだ。明日の帰りは山口回りか、六日市に直接出るか、迷っている。浜田道を引き返す事は目下考えていない。

11時33分家を出て、宮島SAより高速に入って、浜田に向う。安佐SAで40分かけて昼食。2時5分浜田ICを抜ける。
土田君の経営する三隅のガソリンスタンドには2時半頃には着いてしまう。
電話してもらって、車を洗ってもらったり迷惑をかける。

さざん会の会合場所には道を迷ったりしたので3時頃にやっとつく。土田君夫妻はタクシーで先に着いていたので、えらく時間がかかるなあと不審に思っていたらしい。

新館の豪華な部屋を用意してくれていたので、室内にある展望浴場で身体を清め暖めて会場に臨む。
といっても土田君夫妻と私ら夫妻の4人の会食である。
何と云っても直前に亡くなった横山君の悲しいいきさつから会話は始まる。
土田君の耳が遠くなったので大きな声でのやりとりとなる。最近特に悪くなった由。
それにしても参会者2名とは恐れ入った。場所が不便な所だったせいもあろうが、ほとんどが体調不良ということだった。
90歳前後だから無理ないことだ。乗り物そのものに不安な上に長距離の移動だから、元気な者が考えるような筋書きには運ばない。2、3の諸兄からの返信ははっきりそれをいい、広島ならいいがというものもいた。

同窓会の雰囲気はどこへやら、家内たちを含んだ家庭の話しが主流となり、いつもの若かりし時代の回顧談はどこにも出る幕はなかった。
5時から始まって、8時半まで大きな声で賑やかなやりとりで終始した。幸に相客が少なく迷惑をかける事は殆どなかった。
会食も山陰特産のかにを主体にした最高級の料理ですっかり堪能させられた。土田君の老いてなお衰えぬ威光の賜物というべきか。

土田君も今回の不出来で力を落とし、第35回でさざん会も終幕とするかという言も発せられたが、岡山の山田君の私への電話もあり、また坂口君他の便利な所でという発言もあるので、来年元気なら、山田君に連絡取ってみてからにしようではと結論を先送りする。

11月25日(水)晴
昨夜は雨が降っていたが、今朝は上天気に変わる。

豪華な宿泊と3回の温泉入浴で、心身ともすっかり元気をとりもどした。
折角益田まで来ているのだから、人丸神社に参拝して行こうと話しあっていたのだが、とうとう行く道がわからず、いつのまにか日原、津和野へ車が来てしまっていた。老人の運転はたわいのないものである。
案内を見落としたか、逆光などで見えなかったか、どちらにしても気づかずに通り過ぎてしまったようだ。

津和野は霧でつつまれて、思いがけない風情であったが、何度も訪れた所だし高所から横目に通り過ぎる。
山口の瑠璃光寺の五重塔は是非もう一度と拝観する。
相変わらず美しい。紅葉も綺麗であった。

ここから防府に向い、孫の大学受験のお願いをしようと天満宮に参詣する。
お祈りを済ませた後門前町を歩いていて、近所の客寄せの声に呼び込まれて、トースト主体の昼飯を摂ることとなった。
なかなか口も手足も達者な主人で一人で呼び込みから料理作り、客接待までこなし、お勘定ももちろん自分でさばく、万能ぶりであろ。

高速道路に引き返し、一気に帰宅する。まだ午后3時になっていなかった。

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2009年11月26日 (木)

天神様の門前の人

今日も上天気になった。朝の気温は5度とほとんど変わらない。

昨夕天神前の食道で食ったトーストがおいしかったので、バター付きのパンもいいなと私が云うと、ほうれん草のおひたしが辛かった。卵焼きはうまくできていたがという。

私が天神様の方を向いて、石段と社殿をムービーに撮っていると、掘っ建て小屋の様な食堂の窓を開け放して4,50才位の男が姿を現して、家内に食メニューの説明をしている。昨夕、今朝とご馳走疲れの我々はパンが食いたいと、宣伝につられて、隣りの引き戸を開けて入る。

先客一人、机三つの狭い店の中。真ん中の机の向こうにお掛けと指図される。
レディース何とかというメニューを家内が注文している。

待っている間に女性2人入ってくる。いっぱいである。一人は馴染み客と見えいろいろ店の主人としゃべっている。今日は25日の縁日なのに何にもない。折角よそから来た友人をあんないしたのにといっている。主人はいや11月だけは例の裸ん坊祭りがあるから、お客の便利な様に土日に変更して今年は28日の土曜日になったという。なるほどと女性はなっとく。

そのうち隣りのひげもじゃらの初老の男性が立ち上がりいくらという。680円ですーーああ700円、では20円のおつりと前掛けのポケットから小銭をつまみ出して机に置きありがとうございますという。

出て行った後で、あの人は70日掛けて日本一周するのだそうだ。北海道から始めて東北、関東、関西、中国と回り、これから四国を廻って九州までゆくとか、東京からの人だという。聞いた話を誰に聞かすともなくしゃべる。
定年になったので家内を連れてと思ったが、家内に一人で行っておいでと断られたと細かい話しまで聞かせる。

食事を終って去ろうとすろと、何処から来たかと問われる。荒磯温泉からと家内が支払いしながら答える。彼もそこが詳しいと見え料理がおいしいとか景色がいいとかいろいろ云って、ところで車で来たのかと問う。そうだと家内が返答すると、あの年寄りが運転してかと私を指して驚いて見せる。
ついでに今からどこへ行くかとまで。
こうして、新しい情報が次のお客に申し送られるのである。

古来天神縁起にまつわる話しは多い。
全国からお参りする庶民が話しを持ち寄り、持ち帰る。さしづめこの店の主人などもその片棒を担いでいるのではと疑う。

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2009年11月27日 (金)

ジパング

今朝気温8度、やや暖かい。
さざん会報告出来上がったので配送する。土田君には昨日も謝礼の手紙を出しておく。

昨日時刻表を買って来たので早速東京行きの計画を練る。
勿論ジパングの特権を利用するつもりである。何十年になるか、旅行好きなともだちに誘われてジパングに入ったのだが、こちらは自動車で行く事が多いので、年に数度、特に最近は1度か2度というところで、割引特権が会費にも及ばない。
近年は特に旅行社のツアーを利用しての旅行が多いので更に役に立たない。

そこへもって来て、数年前から”のぞみ”の特急券割引が除外されたので、もう使い道がなくなった始末。
今年限りで脱退しようかと云ってた矢先、娘がオペラに招待するから来いという。
3割引は東京までとあっては小さな金額ではない。ところが時刻表を見てみるとほとんど利用出来ない”のぞみ”ばかりである。

広島からは3割引の利く特急ひかりは大阪までしかない。東京まで行く特急は1本もない。
これでは利用価値ゼロ、詐欺みたいなものである。

長女の所へ彩寧が連れられて来ているというので、南から贈られたリンゴのお裾分けなど用事もあって車で二人で出掛ける。
おとないを入れて、ドアを開けると、小さな姿がよちよちと奥へ逃げ出す。
家内が声をかけると泣き出す。とんだお出迎えである。

暫くして思い出さすまでは寄り付きもしない。可愛くても手が出せない。みずがなくなるまではどうしようもないなとあきらめる。
1時間ばかり居て帰宅。

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2009年11月29日 (日)

天神祭

朝気温6度とまた平年に還る。
先日訪れた防府天満宮の裸ん坊祭りがテレビで放映される。相変わらず豪勢なもので4500人もの裸ん坊が出たという。
最近は殊更危険防止をいうから、主催者は大変だろう。
子供の頃は郷里の天満宮でも賑やかにやっていた。いつのまにかなくなった。着飾った牛が何頭も並び、人間がすっぽり収まる藁草履を背中に背負った裸ん坊が酔っぱらって、あっちへふらり、こっちへひょろりと観客の中に転げ込んだりしたものだったが。裸ん坊のかつぐ神輿も山下りは勇壮そのものだったが、ずいぶん転ぶものも出てたと思う。
どこかユーモラスな祭りだった。

最近風の便りで天神様そのものが無くなっているとか。小山だったから、ブルトーザーで簡単に平地にされてしまったのだろうか。見てないから何とも云えない。第六号潜水艇の記念碑なども湊が拡張された当時取りのけられ、どこか近所の山に移転されたらしいが、時代が変われば歴史遺産もどうなるやらわからない。

私の郷土もこぶな釣りしかの川が辛うじて残っているが、護岸工事と道路の造成で昔の面影はない。
幼時を思い起こすよすがはもうなきに等しい。

私が今住んでいる所も昔は極楽寺山のはずれで、家を建て住まいを移した頃は、イタチが走り、蛇やむかでがぞろぞろしていたもんだ。この付近も自然は破壊されてみる影もないと土地の人はつぶやいていることだろう。

来月行く予定の娘のうちも、昔私が世田谷の軍の学校に居た頃は一面の灌木地帯ー武蔵野の樹海だった.僅かに合間に農家が点在していた。
今はまるで隙間なく家が建ち並んで、ビルの屋上から眺めて驚いた事がある。
何処もかしこも、人間の行く所変わらざる無し。造物主は神にあらず。

夕方下のスーパーに菜っ葉が一球90円と出てた、安いから買って漬けようというのででかける。4球買ったから重い重い.10キロは十分越えてるだろう。家内は漬け物上手だから、1週間もしたら私の食欲もうんと増進する事だろう。

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2009年11月30日 (月)

自殺戦争

今朝はやや霞んでいるが雲一つ見えない快晴。気温4度。予報とちょっと違うな。

今朝も目覚めが早い。親友横山君の事が浮かんであれこれ憶う事多し。
彼との交友なにか書き残したいと案文まで頭の中を去来して眠れない。

昨日は下関の浜井君がイの一番に、私のさざん会終幕宣言に賛意を表して電話をくれたが、私の真意は終幕にはない。
岡山の山田君の元気ならやってもいいとの発言に期待している。私は去年の小郡、今年の益田と2年続けて加勢して事務処理は総て私がやった。其の前の広島はひとりでやった。もう一度手伝っても一向にかまわない。
かって岡山では一度も開催していない。終幕を飾るにふさわしいのでは。

今日の中国新聞の”天風録”の自殺戦争への警告には耳が、いや目がそばだった。私の身辺にも2人いる。親兄弟の嘆きは生涯続く事だろう。私も人に騙されたり、事業に失敗したりして、死を覚悟した。むしろそちらへ逃避したかった。
しかし踏みとどまった。

親兄弟などに生涯に亘って、悲しみを与え続けることに思い至って欲しい。一人で生きる事が不可能な様に、一人で死ぬ事も不可能なのだということを。

灯油を買いに行く。1缶20lt入るのだが、坂を持ち上がるのが年のせいで困難になった。以前は2缶両手で提げて上がっていたのだが、もう1缶でもふらついて駄目になった。したがってガソリンスタンドの若い店員さんの云う様に、1缶の容量を減す事にした。ところが指定が60、54、と45がなくて次は40ltである。えーとと3で割る。13で余りが出る。
まあ何とかカードで決済を済まして引き揚げる。便利だがセルフサービスは頭を使うなあ。

家内は天気がよいので、喜んで昨日買って来た菜っ葉を何分割かにして干している。大きくて固く巻いているらしい。
おいしそうで、思うだけでつばきが口の中に溢れそうである。食慾だけは完全に復調したらしい。

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