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2009年10月 2日 (金)

今日も雨

昨夕から降り続いているらしい雨が,ベランダを叩いている。外を覗いてみると6時半現在気温23度と相変わらずの暖かさ。
台風17、18号の影響らしい。
本土上陸は一度も無かった今年も今度はどうやら免れ得ないようだ。二つも並んで来てはねえ。
台湾やフィリッピンが前の台風でやられて、死者が出、大被害が出ているが,今度はこちらの番かも知れない。
一昨日、昨日はサモアとスマトラで相次いで大地震が発生した。死者はどちらも数百人以上が予想される。
只ならぬ雲行だが,地球大変動の兆しとは早とちりかな。
いくら人間が賢くてもこればかりはどうにもならない。

今朝便が糞詰まりの状態でどうしても出ない。
一旦はあきらめて、一寝入りして10時頃起き出してトイレへ駆け込むと今度は何事も無くするすると出る。我ながら変な感じ。老体とは自分でも制御出来ぬからだなのか。

午後になっても雨は降り続く。
家内が内藤内科で血液検査があるというので車で送る。

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2009年10月 3日 (土)

パンダの糞の細菌

気温16度で快晴。漸く秋らしい天気に戻る。
家内は昨日同じリウマチを2カ所で診る事は出来ないと内藤医師から断られた由。
家内は一応記念病院でリウマチは診てもらうことにするらしい。でも風邪を引いたら来なさいと内藤先生にいわれたとも。

私が予想した通り7年後のオリンピックはリオデジャネイロに決まり,東京は落選した。
南米では初めてだから当然だろう。シカゴは再三のアメリカだからどこも食傷している。東京も二度目だから仕方がない。しかも前回北京でやって,アジアはもう暫くはいいと思うだろうから。

ブラジルは今大発展しているというし、邦人が沢山暮らしているし、いいじゃないの、しっかり応援して上げたい。ポルトガル語の国というのも何となく嬉しいね。
種子島に鉄砲を持て来てくれて,そのせいもあって戦国時代が治まったし、ポルトガルには不思議な因縁を感ずる。
マカオを中国に返還して,今植民地が一つもないと国だという事も好感が持てる。
まだ世界には領土を拡張しようとして、あくどく小さな小島迄横取りして返そうとしない国があるというのに。
ポルトガルも日本も一頃は領土拡張に熱心ではあった。
いつかしっぺ返しを食らう時期が必ず来る。

今日の新聞でもう一つもっとも愉快なニュースがあった。北里大学の田口教授がイグ・ノーベル賞というのを貰ったという事である。研究成果はパンダの糞に生息する細菌がごみの95%を水と二酸化炭素に分解してくれるというのだ。発表会の席で千人の聴衆に笑いが起きたというが,私も嬉しくなって笑っちゃった。

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2009年10月 4日 (日)

リスボン条約なるもの

夜半空がよく晴れて満月が中天に輝き、昼の様に四方がはっきり見えた。久しぶりに見た夜景に感動した。

今朝7時、気温13度ちょっと驚いたな。うなぎ下がりだ。
秋の深まりが早すぎる気がした。
スマトラの地震による死者は5百人を超えた。お蔭でサモアの情報はパッタリ消えた。薄情なものだ。

欧州の国家統合を決めるリスボン条約が、小国の主権侵害を恐れていたアイルランドの再投票で僅差で承認され、発効が大前進した。
ほんとの一枚岩になれるかどうか、小国民族独立の世界的風潮に逆らってのこの企てが果たして成功するのだろうか。
通信、交通時間の縮小により、行政単位の無駄は排除されつつあるが、一国単位では問題ない。
が、言語、人種の違う国を統合しての行政単位作りがうまく行くのだろうか。

核廃絶はアメリカの提唱により15ヶ国が満場一致賛成した。だが北朝鮮、イランは蚊帳の外である。
仮に核がなくなっても、武器使用は制限されない。より精巧な武器はまだまだ作られそうである。
F35が欲しいなら、性能情報だけでも10億円だとアメリカはいう。この戦闘機も進化の一過程にあるだけである。
宇宙支配、宇宙からの侵略はまだ初歩段階にも入っていない。が重要指向に入っている国はすぐ側にも居る。

人類の争いは口で言う程美しくはない。陰湿で誠に醜い。

昼は天霧でうどんを食べる。スパークで買い物をして帰る。
天気は申し分ない。

一週間先のお祭り準備でしめ縄を張ったり、天がいを分配したり、家内が生真面目に班長仕事を努めているので、見かねて老骨に鞭打たざるを得ない。裏の上野さんがこれまた見かねて応援に来てくれる。小一時間もあれば片がつく。後はそれぞれの家に任せる以外に無い。
明日からまた天気が下り坂というけど、どうなることやら。

子供が少なくなって、ここ2、3年町内の子供神輿の巡幸はなくなったのだが、合同の神輿が一本町内を抜けるとは言ってはいたが。
今年は新しい公民館が出来たり、そこで衆議院議員の投票が行われたり、老人ばかりの町内も少しづつ様変りしている。このしめ縄なんてのも何時迄つづくことやら。

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2009年10月 6日 (火)

歴史ということ

昨夜大分降ったらしく、庭は濡れそぼって居る。6時半の気温は20度、南からの影響か。
へそのすぐ脇に湿疹が一つ、痒くて仕方が無い、乾癬だろう。今度は前に廻ったかな。

今日の新聞を読むと歴史雑誌がよく売れているとある。歴史バーなんていうのもあるそうな。歴史好きが集まって侃々諤々やるのだそうな。
女性の歴史好きを歴女というとも。一種のブームなのだろう。

私は小さい時からの歴史好きだからブームには関係ないが、同好者の増える事は嬉しいし歓迎だ。
地元にも物凄い歴史好きがいて、郷土史紀行なる小冊子を刊行している。50巻以上になっていると思うが、ちょいちょい買って来て私も読んでいる。大変面白いし、参考になる。
ここ迄行くともう本物だ。学者と言っても良い。
歴史好きといってもいろいろな分野もあろうし時代もある。簡単には片付けられない。
今ここでその先を論ずるのは大変だから罷めておこう。

先の戦争のことを私はいろいろ書いているが、考えてみるともう歴史の一端に差し掛かったかもしれない。半世紀以上も経っているのだから。生き証人が居る間はまだまだと言う人があるかもしれないが。

私が子供の頃話し好きな伯父さんがよく大竹戦争(長州征伐)の話をしてくれた。そんな昔の話を聞いた所でそんなに興味は無かったが、刀や槍を拾ってあるいたものがいたなどというのは実感があった。山一つ向こう(直距離3キロ程度)が戦場だったのだから。
百姓の家に沢山の槍、刀が蔵の中にゴロゴロしていたのを実際に見ていた。
大竹戦争は1866年のことだから、話を聞いた私が10歳(1930年)頃だし、その時は6、70年前の話だったわけだ。

私が戦地に携行して、敵に斬りつけた軍刀もその中の一つかも知れない。

いつか話した第6号潜水艇(1910年沈没)なども、その証拠品の変転の激しさを思うと、追い求めた私から見ればやはり歴史と言わざるを得ない。今から数えるともう百年になるのかなあ。

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2009年10月 7日 (水)

裁判員制度

午前8時現在まだ雨にはなっていないが、愛媛県ではもう盛んに降ってるということで、もう奄美迄やって来た台風18号の影響は免れ得ない。進路はやや東よりに向うかも知れないが、今度は上陸は間違い無さそうだ。
瞬間風速60米というのだからたまらない。

先程気温は19度だったが、この天気ではさほど上がる事は無いだろう。昨夜は少し吹いていたが、問題は風だな。
我が家は軽量鉄骨の軽い家だから、つむじの様なのが来ると巻き上げられる恐れがある。
風は中心でなくても、台風の外周の方が強いとも言われる。心配はそれだ。
今晩はおちおち眠れないかもしれない。

スマトラ地震は死者が今の所7百人を越えたと言ってるが、もう残りは生存の見込みが無いからと捜索を打ち切った由。こちらも大変だが、私の方も今はそれどころではない。
災害は目白押しにやってくる。しかも戦争迄やる馬鹿も居る人間の世の中だ。

午後2時を回っても雨にはならない。何時降り出してもおかしくない様な空具合だが。
気温が上がらないので、薄着では寒くてしょうがない。寝てるばかりなのも能がないし。

曾野綾子さんが”透明な歳月の光”というオピニオン欄に裁判員制度に就いて書いている。
素人が裁判官と同等というのは錯覚だというのである。
全面的に彼女と同意見である。
それ以上に私は民主主義の欠陥をいみじくもこの制度で露呈したと見ている。人権は平等だからといって、裁判などという特殊な技能的な職業を素人も専門家もそれぞれの意見を平等に取り上げるなどというのは行き過ぎである。満足な成果が上がる筈が無い。危険で恐ろしい気さえする。素人と船頭と乗り合わせて舵取りをする船に乗せられる様なものである。

抽選で選ぶ迄は公平かも知れないが、更にこれから篩をかけるなどは、民主的とも言えない気がする。
どちらにせよ悪法だ。止めた方がいい。

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2009年10月10日 (土)

秋祭前夜

一昨日午前10時、台風一過して、青空がのぞきさわやかな一日となる。

朝の気温も20度と温かい。何となく元気になれて、どこか旅にでも出掛けるかと家内と話し合う。
旅行社に問い合わせて、京都から天橋立、出石と廻るバスツアーがあったので申し込む。
天橋立は50年ぶりくらいかな。

台風は午後3時現在宮城県に差し掛かっているらしい。予想通り知多半島に上陸して日本縦断ということのようだ。
強い台風だから爪痕が凄いらしい。困ったものだが、自然災害だから文句のいいようがない。

昨朝9時内藤内科に出掛ける。初めて午前中に行き込むのだろうなとびくびくしながら入ってみると、外来はまあまあいっぱいだったが、1時間で順番が来て終る。格別悪い所がないので早い。
10時半青空が大きくなりいい天気になる。

医者に出掛けている間に、町内のしめ縄張りが殆ど終っている。家内も朝一番にひとりで家の回りを付け終わる。明日のお祭りの日はいい天気になるという予報だ。

今朝は朝から雲の少ないいい天気、気温12度と今秋最低。
9時半木元に自動車を持って行く。1カ年定期整備のためだ。タイヤとバッテリーが寿命らしい。
今日いっぱいかかるという。代車を借りて帰る。

帰りにデオデオへ立ち寄る、大処分市をやっていて客が多い。
今度の旅行や東京行きを考えてムービーを買い替えようかと売り場を捜す。
標準タイプでVicter製の3万9千円というのがある。あまりの安さに驚く。しげしげ眺めているうちに店員が寄って来て盛んにお得だと薦める。永くない命だからまあいいかと買う事にする。
すぐ後から来た若主婦らしい女性が私にもと手を出す。限定品だがまだ在庫はある風だった。
60GBのHDに保存する仕組みである。10時間は十分行けるという。説明書には12時間まで一挙動で録画出来ると書いてある。停止画用には別にmicroSDを付けられる。microSDは持ち合わせがいくつもあるので都合が良い。デジカメと二つ持たなくていいかなと手軽さに惚れた。
それにしてもテープの時代は去ったのだなと思い知る。大きさも半分だもんな。

朝あれ程天気のよかった空が一面の雲に覆われる。八幡神社の祭礼は明日らしいが、大丈夫かなと心配だ。
雨でも降ると折角のしめ縄が台無しになるから。班長のくせに祭りの日が今日なのか明日なのかはっきりしない。町内会長によく確かめていなかったらしい。

午後5時車を取りに行く。修理代¥39160.
帰りは大回りしてバイパスに入って帰る。工事がもう少しだが、道幅が狭くなっただけすごい混み様だ。

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2009年10月11日 (日)

町内の子供神輿

気温12度と昨日と同じ。天気は昨日よりも良い。行楽には願っても無いことだろう。明日も体育の日で休日だし。
今日の八幡祭礼も無事終る事だろう。
事実上の班長の我が奥さんもやっと肩の荷を下ろしてくれる事だろう。

隣は何をする人ぞというが、人ごとではない。私も両隣と口をきく事は何年もない。
西隣はもうひと月以上も夜明かりが見えないので、どこへ行っちゃったかなあと時々気にしていたのだが、昨夜は明かりが見えてやれやれである。うちの庭先迄暗くなって、盗難防止に良くないなと思ったりしたもんだが。
町内が違うし、自然には逢う事が無い。
先代が生きて居られた時はそんなにでもなかったのだが、現在の世代とはどんな人か他所で出会ったら判らないだろう。

秋葉広島市長が五輪招致を叫んだ。2020年の非核実行年に長崎を巻き込んでオリンピックを開催するというのである。
最近は実行の難しい事を早く言わねば損みたいに、鳩山発言にしろオバマ発言と言い世界のジャーナリズムを騒がせている。
広島でオリンピックが出来るのかいなと地元の私でも首を傾げたくなる。
東京などと違って、素地がない。白紙から始めなくてはならない。予算もきゅうきゅう言っているのに、金が作れるのかいなである。言うだけでいいという手かも知れないが。

広島新球場が観客動員数187万人の新記録を作ったという。これは苦労して作った秋葉市長始め関係者の喜びは察するにあまりある。オリンピック発言はそれに力を得た発言かも知れない。急に元気が出たな。

9時頃から神輿の太鼓の音が遠くの方から聞こえて来る。やっぱり今日だった。
普段音一つ立たない町内では、小さな小太鼓でもこれに限る、すぐ察しがつく。

FM放送から静かにシューベルトの「ます」が流れている。10時ちょっと前、突如家の前で太鼓や拍子木に混ざって子供の喚声が上がる。子供神輿の到来である。家内が祝儀を包んだのであろう。間もなく行き止まりの路地を引っ返して行き、静かになる。
ラジオの音楽はなにげなくささやかに続く。

町内では子供が少なく、お祭りの神輿も出せなくなった昨今だが、今年は何ヶ町内が合同して神輿を出したらしい。ご苦労なことである。今の町内会長さんは熱心だからなあ。えらいよ。

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2009年10月12日 (月)

曾孫が主役

連日好天気。気温も変わらず。
家内は早々としめ縄を除去している。

ブログ・ニューースを見ると、便所飯というのが大都会で流行ってるらしい。最近は都会の便所はあまり臭くないからだろうか。
手軽に腰が懸けられるし、邪魔が無くて案外便利がいいかも。いっぺん経験してみないとその神髄には触れられないだろうが。
やっぱり若くないと駄目だな。

新聞を見ると”お札を刷らない日銀”というのがあった。デフレの要因だと言うのだ。馬鹿な私はなるほどなと思ったりする。

足慣らしに植物園に行く。催しがあり、入場無料とあって凄い入り。圧倒的に子供連れが多い。
いささか辟易して、山回りを一回りして帰路につく。10時半に出掛けてきたくしたのが1時。
食事をしなかったので、ちょっと腹が減る。

信号の無い三叉路でバスの前に割り込んだら、大きな警笛を鳴らされる。一瞬ドキッとする。悪かったかな。

午後長女一家がやってくる。彩ちゃんが主賓だ。一挙手一動作が面白くみんな引き込まれる様に見入る。
いくつと聞くと指一本を上げる。まだおしゃべりは出来ないが、人の言う事は実によく判る。
凄いものだなあ。
私はビデオに録画する。うまく撮れたようだ。もう少し永く撮った方がよかったかな。5分しかなかったのでDVDがちょっともったいない。

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2009年10月16日 (金)

私の死病とは?

13日の朝から喉が痛くて変な咳が出る。こりゃ風邪を引き込んだなと思ったから、どこか医者に行かなくちゃあと思っていると、家内がせいこうにしなさいという。行き付けの内藤内科は客が多すげて待たされるし、他の風邪をもらってもつまらないしということで、せいこう外科に行く。

熱は37度少々だし大した事は無いと、先生は一番やさしい薬をくれる。
帰ってすぐベッドインしたのだが、その日も翌日も微熱は続きっぱなしで、時には頭が痛くなり起きられない。

電熱毛布迄敷き込んで寒さを防いだら、今度は汗びっしょり。
食欲は全く無くなり食ったりくわだったりと3日目に入る。
風邪ぐらいでおだぶつするのかなとあきらめかけたのだが、なかなかまだ死ねないらしい。
今朝になると急に身体が楽になる。体温をはかると36度7分である。
単なる風邪でも、寝ている時は死んでいるようで夢までみることはない。
何事の想念も浮かぶ事の無いまま今日に至った。

心臓病、皮膚病、風邪といろいろの薬を飲んでいるので、胃腸の調子は最悪である。食事はまるで喉を通らない。
数日食わないくらいではどうということはないらしい。寝ているだけだからなあ。
咳は少々軽くなった。

せっつかれる事の何も無い、もろもろの責務から解放されてる自由をしみじみ感ずる。
若い頃は病気になっても寝ては居られなかった。無理に無理を重ねて、気力で病気を吹っ飛ばした。
この90年の生涯で病院に入院したのは、軍隊のとき盲腸破裂の腹膜炎手術と63歳の時交通事故で頭を負傷し病院に担ぎ込まれて2週間治療を受けたことと二度だけである。健康な身体と言わねばならない.有り難い事であった。

37度程度の熱でダウンするなど過去にはなかったことだが、老体にはまるで抵抗力がない。
しかしもう平熱に帰ったのだから大丈夫だ。ただ咳だけは少し時間がかかるかもしれない。過去にも半年患ったことがあったから。

こんなことでも死につながる筈だが、危機意識はまるでない。
自分の完結の瞬間を静かに覗き込んでいる気持ちの現在である。

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2009年10月17日 (土)

サンフレッチェなんとかしろ

日射しはあるけど雲が多い。朝7時の気温15度。
昨夜と今朝の体温36度5分前後と平熱。気分も悪くない。風邪はほぼ退散したようだ。ときおり咳がでるけど。

今度の風邪の原因がよく判らない。強いて推測すれば、寝てる時に身体が冷え過ぎたのではと思う節がある。
夏からずーっと窓を一部開放しつづけていること、夏布団を使用し続けたこと、が自分ではそれで良いと自覚していたが、肝腎の身体の方は冷やされ過ぎたのではないかと。

昨日本屋で藤沢周平の”未刊行初期短編”と銘打って今年9月初めて刊行された文春文庫本「無用の隠密」というのを見つけた。
彼が作家デビユーを果たす以前に書いていた作品らしい。かなり分厚いものである。
彼の作品はもうあらかた買い込んだ。文庫本では後何点か、本屋で捜すのが困難なくらいである。
幼少のみぎりから、小説を読むのが好きだった私でも、こんなに好きになった作家は珍しい。

昼の食事からどうも調子がよくない。胃袋がつかえた感じで戻しそうである。中途で食べるのを罷める。
一寝入りした後テレビでサッカーをみる。
前半2−0とリードしたのに安心したのか、後半は全く押されっ放しの地元サンフレッチェ、2点を楽々返されてとうとうタイにされ、危うく負けの場面があったがなんとか引き分けに持ち込んだ。こうしてガンバもサンフレッチェもまだ優勝戦線に居残る事となった。なんともじれったい一戦であった。

こんな試合は健康にも悪い。見るのではなかった。

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2009年10月18日 (日)

もう無理の利かない年齢

朝の気温12度、ちょっとひんやり。熱はもうない。
食事もさらさら喉に入る。せきもあまり出ない。
やっと風邪から解放された感じ。

家内は姪の真理ちゃんの結婚披露宴出席のため岩国に出掛ける。駅まで送る。
私も招待を受けたのだが、かぜを予測した訳ではなかったが、何年も逢った事が無い遠い縁の子の披露宴に出た所で、あまり元気の無い老人が1、2時間も座って居るだけでも苦痛なのでお断りしていた。
たまたま風邪を引いていてそのタイミングがよかっただけだ。
風邪が完治とまでは行かず、今度はやたらと鼻水が下がる。チッシュが忙しい。

昼になりさて何を食うかなと台所に行く。電気釜の蓋を開けてみると、昨晩の鶏肉と野菜の混ぜ飯が収まっている。
ははあ、今日の留守に食わすために昨夜はこんな面倒なものをつくったのかと思い返す。
引き出しには卵スープのもとがちゃんと用意されている。お湯を沸かせば、スープもお茶も一度に片がつく。
賢い奴だなあと呆れる。

午後も3時になると日本晴れのいい天気になる。そよ風しょうしょう。
土田君から突然電話を頂く。いつか彼が言い出していた浜田でさざん会を主催するという話。言い出しっぺの責任からか、11月下旬でよければ近くの温泉に場所をとっても良いから出て来ないかという。水戸君と打ち合わせて一緒に広島から来たらいいのではと。
早速水戸君に電話をいれて話してみたが、やはり大阪から浜田では遠くて簡単ではない。
水戸君も抗がん剤のお世話になってる最中である。身体に自信が持てない。無理してでもというわけには行かないようだ。

私も今回思いがけず風邪を引いてみて、体力の無さに一驚した。とても無理が出来る状態ではない。
もう暫くは寒くなる一方で、簡単には暮らせない。もう余分な事はしない方がいいとそんな気分に落着きそうである

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2009年10月19日 (月)

しつこい風邪

朝の気温13度。機嫌の良い秋の日和だ。
熱は下がって体調は戻ったかに見えたのだが、咳がとれない。ときどき咳き込んで息が切れるのではと思う程である。
横になると特にいけない。従って寝ても居れない。
楽な方の椅子に寄りかかって,日向ボッコしながら音楽を聴く。ベートーベンの大公トリオ、J.シュトラウスのウイーンの森の物語、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番、ベートーベンのバイオリン協奏曲のクラリネット版などとつづく。2時間ぐらいあっという間である。20時間分くらい自分で好きな曲を録音して置いたDVDアルバムの一つだから、夕方から夜になっても手をかけなくて大丈夫である。そのうちうとうとする。
こんなのは風邪に良くないかなと思ったり。

昨日の姪の結婚披露宴では家内が来賓の年長者だったそうで,大事にしてもらったとか。
さざん会の件も気になるのだが、体調に自信が持てない現状では,喜んで行くよとも言えない。
土田君にはどうしても返事がすぐには言い出せない。

この31日に予約している阪急旅行社の天橋立1泊ツアーを無事に通り抜けられたらという事にしたい。

今月のMac関係の雑誌をあれこれと読んでみると、皆インテル製のプロセッサーに移った器械を主体にしていて、私のPower Pcではお呼びが無い感じ。やはり老人はこの世界でも置いてけぼりである。
もうついていけないな。

生涯絶えず前向きに歩んできた私も、ここに来て能力の絶壁を感ずる。越すに越せない高さである。
もう諦めろと絶えず後頭部から呼びかけてくるささやきが聞こえる。

午前11時せいこうに出掛ける。喉の痛みが無くなった程度で,咳はひどくなるし、痰や、鼻水は多くなるし、症状はどちらか言えば悪化した。従って点滴をしてくれた上、抗生物質など薬の量が増える。

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2009年10月22日 (木)

極楽寺山に登る

朝7時半、少し霞がかってはいるが、いい天気である。気温11度5分。
風邪はもう治ったと言っても良いのだが、時折咳が思いついた様に出て来るから油断ならない。
薬はまだ残っているので朝晩呑んでいる。
若い日の様にすきっとは決まらないのだな。
朝初めてストーブを入れる、やはりあったかい。

鼻汁が沢山出て時折鼻をかまなくてはならない。やはり風邪は治っては居ないな。体調が少し軽やかなだけかもしれない。

試しに極楽寺に登ってみる事にする。標高661mの極楽寺への曲がりくねった道を午後1時半から車で行く。
家内もあまり賛成していなかったが、仕方なくついてくる。
今は歩いて登る人は僅かで、今日あたりもほとんど車の人ばかりである。5台6台とあちこちの駐車場に止めてある。
キャンプはもうシーズンオフだから殆ど見かけなかったが、ハイキング仲間らしいのは見かけた。
写真を熱心に撮ってる人も相変わらず居る。

蛇の池周辺はよく整備されている。極楽寺からの眺めはあいにく霞んでいて、よい眺めとはいえなかった。
私たちの様な老いぼれはまるでみかけない。
やはり山は山、場違いなのだろう。
帰路速谷神社にお参りして帰る。ここもこの時刻は誰もいない。

全山紅葉にはやや早いか、その感興にまだひたるわけにはゆかなかった。
帰宅したのは午後4時を少し廻っていた。つるべ落としの夕日が眩しい。

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2009年10月23日 (金)

咳が気になる

朝7時半目覚める。昨日の疲れからかよく眠れる。気温12度、快適の青空、沖合の島々は僅かに霞んでいるがこれ以上は望むべくもない。春先から夏にかけて殆ど青空を見た事がなかった毎日がまるで嘘のようだ。
陽光が2mは十分部屋の中まで射し込んできて温かい。

数日来の風邪もどうやら治まったらしいが、まだ咳だけ残って突然咳き込んだりする。
咳は何時の時にもしつこい。半年もかかった事が過去に逢った。あの時は交通事故に引っかかって、入院中毎日点滴を受けているうちに治った。運良く副作用で治った訳である。

今回も点滴を受けたが1回ぐらいではどうにもならない。
家内は点滴をしてもらいに行けと薦めるのだが。
昔終戦時中国から帰還の徒次上海で胸をやられ血を吐いたことがある。軍医の見立ては結核の初期ということだった。間もなく帰国してしっかり農作業に精出し栄養を摂取して回復したが、後遺症としてははっきり残された。
戦後間もなく行われた公務員試験にも身体検査で引っかかり完全治癒まで保留とされた。その他再三の定期検査には何時も引っかかって再検査を受けることになった。
爾来胸部の弱さはいつも気にかかるところである。

親父も肺炎で死んだが、私も死ぬ時はそんな病気だろうと思っている。
咳がいつまでも撮れない事は矢張り気になるな。

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2009年10月24日 (土)

有終の美を飾らしたい

連日の快晴が今日は崩れそうだ。灰色にすっかり覆われて8時現在夜がまだ明けきらぬ感じ。気温15度。
風邪は何とか治まった感じ。咳は殆ど出ない。
朝食もまあまあおいしく喉を通る。

冴えない天気のまま一日が終わらんとしている。島根の行商のおばあさんが亡くなったそうな。98歳とか。大した患いも無く突然亡くなったそうだ。大きな荷物を背負って一年には何度もうちの店にやって来たもんだったが、何時頃か娘に仕事をゆずったのだったが。親子二代で随分長い付き合いだったなあ。もっとも家内の話だとずうずうしいこの娘に、又この年末には買わされるらしいが。
地図を開いてみると、島根半島の最北端に”多古の鼻”というのがあるが、その多古からいつもやってきたらしい。今でも広島からでは大変な距離である。

歳月人を待たず、どんどんあの世に旅立って行く。世の習いだから仕方がない。次は我が番の筈だが、なかなかお呼びがない。

弟から先程も電話がかかって、使っていたワープロが故障したので修理を頼んだが部品がないのでと断られたという。仕方がないのでパソコンを買う事にした。どんなのがいいかと意見を聞く。娘の古いのを貰って使い方を習っているがさっぱり使えないという。娘も就いて居れないので、新しいのを買って講座を受けなさいというらしい。
今からではそうするしかないかなあ。暇なんだからいいではないかと言っておく。

習ってもコロコロ忘れて行くのが早い年齢だからやっぱり難しい事だ。
私の様に習うのは止めてマニュワルを一生懸命に読みこむ事あるのみなのだが、殆どみなそれが出来ないらしい。
弟も字慣れが悪い口だから駄目かな。

土田君からのさざん会の件どうしたらいいかまだ迷っている。風邪の具合が悪かったりでとても駄目だと思っていたが、良くなって来てみると、またやらんといかんかなあと思ったりする。
もしやっても今回で終りになる事はほぼ間違いない。誰しも有終の美を飾りたい。県の頂点を極めた男だから当然その慾は深いだろう。飾らしてやるか!

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2009年10月26日 (月)

妻の手の手術

台風20号が沖縄南方まで来ていて、天候は益々悪くなりかけている。今回も日本列島の南方沿いに北上するらしいが、雨はかなりふることだろう。

家内は今日広島市民病院で指関節の手術をしてもらう事になっていて、正午には家を出なければならない。
終るまで待って連れて帰るつもりで居る。
朝から何だか落着かない。

正午少し前に食事を済ませて家を出る。車は少なく順調に市民病院に着いたのだが、駐車場になかなかはいれない。それでも空きが早くできて、12時半には病院に入れる。

手術開始は2時半だから待つのが大変である。一応受け付け登録だけは済まして、近くの広島城趾公園に菊展を見に行く。
隣家の植野さんが大きな菊を今年も沢山作って出展されていた。御主人にもお会い出来る。
家内が病院に引き返した後も私は久しぶりの城をあちこち歩き回る。2時半に病院受付に着いたが既に家内は手術室に入っていて、待合室で待たされる事になる。だいたい1時間はかかりますとのことだった。前の人が済んでもなかなか家内が出て来ない。
3時の予定が4時半になってもまだ出て来ない。何かあったのではと心配になったので受付嬢に尋ねる。別段何も連絡ありませんという。ちょっと永いですねえという。麻酔の切れでも悪いのではともいう。だいたい術後30分休む慣しだそうだが、中にはそれが長引く事があるという。とうとう5時になってドアの向こうに家内の姿が見える。腕を三角巾で吊って元気に出て来る。
どうしたんだというと、なにやら他の所もやったようなことをむにゃむにゃという。
家内も永い手術でいささか草臥れたらしい。

帰宅しても食事をするや否や、寝床にもぐる。腕の具合が悪いとぐずぐずいいながら。
麻酔が切れたらまたがたがた言い出すのではと恐ろしく、私ははやばやと二階の部屋に逃げ込む。
小指の関節の手術と思っていたら、手のひらから腕にかけての大手術であった。
月末の旅行も難しくなりはしないかとそれもも一つ心配になって来た。

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2009年10月31日 (土)

便秘物語

今日は大変な一日だった。というより昨晩からだから夜から昼一杯というべきだろう。
他人から見れば笑い話に過ぎないのだが、当人にして見れば命がけという程苦しんだ。
簡単にいえば便秘である。
糞詰まりといったほうがあたるかな。

夕方から便が出そうで出ないものだから1時間おきぐらいに便所に屈む。力めば力む程肛門は膨らみ、痛くて堪らなくなる。
明日からの旅行という事があるから、もう何も耳に入らない。
私が行きたいと言い出した旅行だから何だか責任も感ずるし。

とうとう肛門に指を突っ込んでかき回す。なにか石の様に固い固まりが出来ていて口を塞いでいる感じ。
指で触ると奥に押し込む形になって、なかなか引っ張り出すというところまで行かない。耳かきをつかったり、家内の手助けを借りたり大騒動になる。とうとう深夜になる。いささか疲れ果てる。
旅行はもうだめだとあきらめ、家内に一人で行けと宣言する。

深夜も便所通いをつづけて、やっと固形の一部をとりだし、それをきっかけに逐次分細化してぼつぼつと出始める。
朝5時、家内も起き出して旅行の準備を始める。

6時半車で家内を駅まで送ってやる。
帰宅してから一寝入りしては便所入り。

食事も朝、昼パンを齧っただけで寝ては起きると便所へゆく。
夕方になってどうやら円満に開通したらしい。残滓がごそごそ続いて出てすっかり楽になる。
その代わり肛門は大変である。自分では見えないがふくれあがって、花びらの様に外向きに開いている。
このままでは困るなあと、早風呂に入って暖めると、お湯の力はすばらしい。15分もすると元の形に治まったらしい。
どうやら我が肛門は依然として健全な様である。

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